いいとか悪いとかでは別になくて、ただ違うだけ
「たんたん力」に憧れる。
たんたん力、とは、わたしの大好きな起業家さんの椎原崇さんの作った造語で
淡々と物事を続ける力
のことだ。
椎原崇さんは、わたしがビジネスをやりたいけど自己肯定感が低すぎて何がなんだかわからず、文字通り底辺メンタルを這いつくばっていた時期に発見した人で、とてもおもしろい。
椎原崇さんは「たんたん力」にとてもすぐれた人で、毎日毎日、1日も休まず決まった時間にメルマガを書いている。
そういう能力を持った人は珍しくないのかもしれないけど、どんな人でも毎日毎日書いていれば不調な日もあるし、惰性の日もあるし、「今日の内容はなんか刺さらないな」みたいなことは大いにあるのに対し、椎原さんは「このクオリティで毎日続けられるのかあ…」みたいなある意味、挫折感を感じる人である。
ブレない行動力は、それを支えるブレようのない精神状態、環境、思想、など数え切れないたくさんの要因によって支えられて、やっとこさそれが習慣になり行動に反映されるとおもっていて、行動だけをいくら変えようとしてもいかんとしがたいものがある。
(まるでわたしがずっと前からお酒をやめたいのに気づいたらお風呂上がりにビールを飲んでいるように)
毎日同じ時間に起きて、同じ時間にごはんを食べて、平坦で穏やかな感情を保ったままやるべきことをして、淡々と日々を生きている人に憧れている。
そんな人はとても安定しているように見えるし、満ち足りているように見えるし、ブレずに自分の中心をしっかり持ち続けているように思えるのだ。風の吹いていない静止した水面みたいに。
中心がグラグラで、右に行ったり左に行ったり、ひっきりなしに白と黒の極を行き来しているわたしとはまるで正反対だ。
このnoteも、ふと浮かんだ言葉をその場ですぐに文字にしないかぎり、ちょっとでも時間をおこうものならすぐに形を失ってどこかへいってしまう。
「あとでこれをまとめよう」などという左脳的アウトプットができないし、「今これをそのまま外に出さなければ無に伏す」というなんとも不自由なやり方なのである。
言葉が溢れて止まらない日だってあるし、1文字たりとも浮かぶずに、頭の中が空白なままシチューを煮るだけで終わる日もある。
時間も頻度も場所も、おかまいなしに言葉が浮かんできてしまうので「待ち合わせまであと5分」とか「文字を打ってて電車の乗り換えを失敗する」みたいなことが日常的に起きる。
ちなみにわたしはパソコンに向かってnoteを書くことができない。
アメブロ時代にかしこまってパソコンに向かうと一文字も文字が打てないことに気づき、えいやっ!!というがんばったアウトプットの仕方が悲しいくらいわたしに合っていなかった。
なのでnoteを書く時はほぼ100%ソファに転がりながらスマホで文字を打っている。
ゆるませて、かまえなくて良くて、なにもがんばっていないときに自分の中からやっと出てくる文字をnoteに書くことができる。
書きたいことが浮かぶとソファに転がるのだ。不自由。
そんな不安定で不自由な、理想のたんたん力とは程遠い自分の表現方法にいつも振り回されているのだが、セミナーでわたしと同じような悩みをもつ方に対し、椎原さんは「刺身感」という絶妙な表現を使っていて、これもまためちゃくちゃおもしろかった。
新鮮さ、みたいなものらしい。
わたしみたいに、思いついた時にその勢いのまま言葉が溢れて、どどどーっとアウトプットをするのが得意な人と、淡々と、ルーティンをただなぞるようにアウトプットをする人では、「鮮度」がちがっていて、「新鮮さ」もその人の良さなのだと
わたしの場合もその新鮮さが薄れると、まったくもってつまらなくて、何を言いたいのかわからないものになってしまうので、不自由だがその時にしか生まれない刹那的なおもしろさもあるのかもしれない。(基本、何が言いたいのかわからないかもしれないが。笑)
でもそうやって、いいとか悪いとかではなく、違いを「個性」や「それぞれの良さ」として、ないものねだりすらさせてくれない椎原さんの言葉の魔術はいつもわたしの憧れの的なのである。
椎原崇さんを例にたんたん力の話をするはずが、かんぜんに椎原崇さんの推し活記事になってしまったことをここにおわびします。
メルマガおもしろいのでおすすめです。