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旧東ドイツ:偏見と排他主義の現場から考えたこと(その2)

このポストは、これの続編

最近のニュースによると、ドイツの地方選挙にて旧東地域の極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が再び上位となった。東部チューリンゲン州ではAfDが第1党になり、同じく東部ブランデンブルク州とザクセン州ではショルツ首相の中道左派・社会民主党(SPD)が僅差(きんさ)で勝利したものの、極右政党が2位となった。この結果は、旧東ドイツ地域での反民主的な極右の支持が依然として強いことをしめしている。

前回の投稿で背景には触れているので、ここでは割愛。

さて、ふたたび、現地に住んでいる外国人として、これに対し、どう感じ、考えてみたかというポストをしてみたい。

正直に言うと、なんだか不可解で、理解に苦しんだ。夏にこの「極右翼」支持の地域、ザクセン州を旅してみたが、いまいちピンとこなかった(前の投稿)。訪れたのは過疎化してさびれた古い村ばかりで、移民もほとんどおらず、インフラも弱く、物価が高いわりにサービスの質が低い、といった印象。そこに住んでいるのは主に高齢の白人住民、という雰囲気だった。もちろん、ネオナチ風の人物もまったく見かけなかった。

写真:高齢化の旧東ドイツの光景(英フィナンシャル・タイムズより引用)

休暇から戻った後に少し調べてみたが、この印象は間違っていなかった。以下、2019年のフィナンシャル・タイムズ紙からの情報。5年前の記事だが、2035年までの人口予測も含んでいる。

下の、掲載されている地図2点が印象的だった。いや、衝撃的、と言った方が近い。濃い赤で示されているのが、過疎化が進んでいる地域で、2035年までの人口変化の予測も表示されている。実際にザクソン州を訪ねたときの感覚と一致して、過疎化が本当に深刻だな、と改めて見入ってしまった。

過疎化の土地が赤くハイライトされている(英フィナンシャル・タイムズより引用)
上図:2017年から2035年までの労働人口の予測では、特に旧東ドイツ地域が厳しい状況に直面することが予想されている(英フィナンシャル・タイムズより引用)

記事によると、ザクソン州のエルベ=エルスター地区などでは1989年以降、人口が近年には3割も減少し、学校や病院が次々と閉鎖され、公営サービスや医師不足も深刻化しているとのこと。

また、記事にあるベルリン研究所の調査によると、多くの移民は、実際にはこれらの地域には居つかないらしい。なぜなら、彼らは雰囲気もよくて外国人にも好意的な都市部での生活を好むためだという。その上、大都市には多様な仕事の機会も豊富。

同研究所の調査員、スザンヌ・デーナー氏によると「連邦政府によって、もともと地方に配置された移民や難民たちが、家族や仕事のつながりを求めて大都市に移っていくケースがよく見られる」。そして、「その中には、配置された土地であまり歓迎されていないと感じる人もかなりいたのかもしれない」とのこと。

これで、ザクソン州で移民もあまり見当たらなかった理由も腑に落ちた。
では、なぜ移民が少ない過疎地で極右翼がこれほど支持されているのだろうか。

同じ記事によれば、ドイツの極右政党「AfD」が過疎化が進む地域で強い支持を得ている理由の一つとしては、地方や連邦政府がこれらの地域を見捨てているという認識が広がっていることにあるという。特に2015年の難民危機以降、難民への多額の支出とこのような地方困窮を対比させ、AfDの主張がより支持を集めているとのこと。

・・・なるほど、と思わされるが、それでもやはり理解しきれない部分も残る。

一方、口のあまりよくない旦那曰く、「いいんじゃないの。極右翼のAfDにあの地域を一度任せてみたら・・・。そのうち、彼らが地元の経済に悪影響を与えることに、地元の人たちも気づくんじゃないか」。

ここで、少し余談を・・・。誤解のないように言うと、私たち夫婦はどちらもドイツ国内の外国人なので、右翼は苦手。しかし、かといって素晴らしき博愛主義者やバリバリのグローバリゼーション推進派というわけでもない。

むしろ、グローバリゼーションには不安が伴う。ふたりともテック業界にいるため、勤務している部門が低賃金の地域(インドのバンガロールなどがテック部門では有名)に移されるのではないかという不安が常にある。また、自国で必死に学歴を築いた多くの経済移民がヨーロッパに職を求める中、かれらとの厳しい競争も感じている。その上、私は過去に移民による犯罪に巻き込まれた経験もいくつかある。(その詳細は前の投稿で)。

それでも、なんとか自分の意思でヘイトはやめることにした。また、顔の見えない抽象的な集団へのヘイトは、時間とエネルギーの無駄だとも気づいた。

上ですこし触れたが、過去にイギリスで黒人移民による犯罪になんどか巻き込まれ、人種差別的な考えに傾きかけた時期があった(前投稿)。ちょうどその頃、体調も悪くて手術を受けることになり、精神的にも参っていた。そして、その手術中に家族が立ち入れない場面で、手を握ってくれたのは優しい黒人看護婦の方だった。

また、交通網がこれほど発達した現代では、移民の流入は自然の流れだと感じる(ある程度のコントロールは、国レベルで行うことも可能だろうが)。 そうであれば、その「巻き戻しのできない現実」にどう適応していくか、を考える方が大切なのかもしれない。自分の内面を鍛えることも求められる。個人的な努力も含め、「寛容さ」を学ぶこと以外にあまり対処方法はないだろう。それに挫折すると、ヘイトに陥ってしまう。これは、ほんとうに正直な意見・・・。

しかも、現代において、鎖国のような対策を取るのは、「北〇〇」のような怪しげな独裁共産主義国くらいだろう。かつてドイツにも「東〇〇」という似たような地域があり、今、まさしくその地域が極右翼に傾いているのも偶然ではないだろう。

よくテレビで写し出される、前トランプ大統領のラリーや右翼のデモに集まる人々の姿を見ても、何か不気味さを感じることが多い。憎しみに支配されたその人たちの顔は、険しく見えたり、しわが寄っていたりして、健康的ではない印象を与えることが多い。とても、失礼かもしれないけれど・・・。

これは、仏陀が言うように、憎しみは内側から私たちを燃やす「火」だからだろう。結局、内面から燃えて、苦しむのは本人。ヘイトに陥らないためには、サバイバル術のような技術や考え方が必要になってくる。

さて、本題に戻ろう。上記の余談とも関連がある話題となる。ここにドイツの新聞ドイチェ・ヴェル紙(Deutsche Welle)が配信しているビデオがある。それは、「なぜ旧東ドイツが極右翼のAfDを支持するのか」というテーマをベルリン住在の歴史家イルコ・サーシャ・コワルチュク氏(Ilko-Sascha Kowalczuk)の解説とともに報じている。

そのビデオから、下、二点のグラフを比較のために貼ってみる。これは、ドイツ国内で移民の背景を持つ人々の割合を示している。旧西ドイツでは約33%(32.9%)なのに対し、旧東ドイツではその約3分の1の11%(11.4%)にとどまっている。

西側:移民の背景を持つ人々の割合ー32.9%
東側:移民の背景を持つ人々の割合ー西側のわずか3分の1、11.4%のみ

このデータを見ると、極右翼に支持が集まるのが移民が3倍も多い西側ではなく、むしろ東側であることに疑問を感じる。つまり、移民に関する大きな社会・犯罪問題があるとすれば、そのほとんどが東側の問題ではなく、西側の問題のはずだ、ということになる。しかし、その西側では極右翼政党は台頭していない。

これを考えると、これらのデータから「寛容さ」について何か読み取れるのではないかと思う。要は、移民問題がすべてではなく、むしろ移民の少ない地域での非寛容さが浮き彫りになっている。

逆に、2016年に、中東からの移民による女性に対する嫌がらせが大きく報じられた西側の街、ケルンではどうだろう。今年、6月のEU議会選挙後、このケルンでは大規模な極右翼反対デモが行われ、住民が極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の躍進を「恥ずかしい」と批判している。また、このEU議会選挙でAfDに投票したのはほとんどが、またもや、旧東側の住民だった。

今年、6月のEU議会選挙後、西側の街ケルンでは大規模な極右翼反対デモが行われ、住民が極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の躍進を「恥ずかしい」と批判

これらの不均衡も、ドイチェ・ヴェル紙の報道で取り上げられている。下の図は、ドイツ国内での市民運動の統計を示している。市民意識を高めたり、社会の質を向上させるための草の根的な市民運動のグループはドイツ国内に25,253団体もあるが、旧東側ではその数がわずか7.2%にとどまっている。この差は一体どういうことなのだろう。

ドイツ国内の市民団体の数 25,253団体
旧東ドイツでの市民団体の数はわずか7.2%

ここで、旧東ドイツが歴史的にどのような国だったのかを知ることも大切かもしれない、と思った。

そのために、「私たちから私へ(Vom Wir zum Ich)」というタイトルの旧東ドイツに関する映画も観てみた(ゲーテ・インスティテュートによる紹介リンク)。この映画は、タイトルにある通り、社会主義の集団的なアイデンティティから個人の視点への移行を描いている。1987年、イギリスの映画チームが旧共産圏の東ドイツを訪れ、社会主義体制の中での人々の日常生活や夢を描いたドキュメンタリー映画だ。

Vom Wir zum Ichより:国家から与えられた職務、機関士として労働する旧東ドイツの若い女性

ごくフツーの漁業協同組合のメンバーや造船所の女性労働者などが登場し、彼らのリアルな生活をそのまま映し出している。壁崩壊から25年後に再訪した際には、出演者たちがその後の生活の変化や社会主義に対する考え方の変化を振り返り、旧共産主義政府の秘密警察「シュタージ」や制度への不信感がどのように影響を与えたのかも探求。

このドキュメンタリーの魅力は、舞台が大都市ではなく、小さな漁村の田舎町であることだ。ベルリンの壁崩壊時の華やかなドラマとは対照的に、多くの人々は「社会主義共産国」としての祖国の崩壊に対して、あまり感動やドラマを感じていなかった。当時は「何があったのか、よくわからなかった」という声すらあった。なにより、制度が根本的に変わってしまったことに戸惑いを隠せない様子。

「仕事はいつでも国からもらえたのに。自分で探さないといけなくなった」、「家賃を自分で払っていかなくてはいけなくなった」といった声も。資本主義では当たり前のことが、彼らにとってはまったく新しい苦労の経験となった。また、老夫婦が「若い人たちが皆、西側の都市に行ってしまった」と語る姿には、のちに起こった旧東側の過疎化を思わせ、切なくなる。

労働者たちが一緒に飲んだり踊ったりして団結している様子もよく映し出されていた。壁には、常に社会主義委員会書記長の写真があり、まるで学校の修学旅行のような雰囲気。

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政権下、パーティーで踊る市民たちの姿。壁には当時の社会主義委員会、エーリッヒ・ホーネッカー書記長の写真が額に入れて飾られている。

このドキュメンタリーで特に心に残ったのは、実際、東側の田舎町で暮らしていた市民たちは、意外にも幸せだったのかもしれない、と思ったことだ。これはあくまで仮定ではあるけれど・・・。それでも、昔見たベルリンの壁崩壊のニュースは、今でも私の中で、プログレッシブで前向きなイメージとしてしっかりと刻まれている。いや、むしろそのイメージ、『民主主義、万歳!』というメッセージの強さしか覚えていない。

その感覚を通じて、自分と、この旧東側の人たちとの間にある巨大な価値観の違いを痛感した。

これを見て感じたのは、旧東側の普通の人たちが、例外もあるけれど、ほとんどが「受け身」で満足しているように見えたこと。独裁や権威主義下では、制度に従順にさえしていれば、いつも誰かが世話をしてくれる。つまり、自由はないものの安定はあった。そして、資本主義に移ると自分探しをしなければならなくなった。これがまた、彼らにはとても厄介なタスクだった。

ドイチェ・ヴェル紙のビデオでは、歴史家イルコ・サーシャ・コワルチュク氏が「旧東ドイツの人たちは自由を求めていない。むしろ、頼れる独裁者や権威主義を好んでいる」と語ってしめくくっている。彼らは、民主主義による絶え間ない変化をあまり好まず、独裁や権威主義による安定を重視しているという。そのため、彼らは、いまだ、極右翼などの反民主主義的な政党に走るのだ、と。まさしく、前述のドキュメンタリー映画とも同調し、筋の通る結論だった。

これで、旧東側の人々が生活改善を目指す市民団体やデモにあまり積極的でない理由も少しわかってくる。おそらく、複数の政党が絶えず競い合う民主主義のシステム自体が、彼らにとっては馴染みにくく、受け入れづらいものなのだろう。この歴史的な背景を考えれば、権威主義への服従による安定重視の文化が根強く残っているという事実もわかりやすい。

また、最近、いつもお世話になっているドイツ人医師と雑談した時、彼が「旧東ドイツの極右翼は、実はヴァイマル共和政時代にさかのぼる国民性の問題じゃなぁ・・・」と漏らした。この言葉が気になり、少し調べてみることにした。

調べてみたところ、ヴァイマル共和政(1919-1933)とは、こうだった。第一次世界大戦後に成立したドイツ初の民主政体で、経済的・政治的な不安定さから国民の不満が高まり、極端な右派・左派の勢力が台頭した結果、民主主義への信頼が失われた。そのため、この共和政はナチスの台頭によって崩壊した。

英のリチャード・バッセル氏(Richard Bessel)などの歴史学者も、東ドイツにおける現在の極右翼や反民主主義の根源をヴァイマル共和政期に求めている。この時期の東ドイツは、農業中心の経済的後進性と、ユンカー階級と呼ばれる地主貴族の強い支配が特徴だったらしい。

このユンカー階級は強大な土地所有と政治的影響力を持ち、民主主義に対する強い反発を示していた。彼らは土地改革や社会的変化に抵抗し、このことが地域間の経済格差や反民主主義的文化を強化した。このような歴史的な背景から、いまだに旧東ドイツで極右翼や反民主主義的な傾向が根強く残っていることが理解できる。

このように、さまざまな説があり、旧東ドイツの極右翼の問題は単純ではなく、いろいろな歴史的な要因や社会的な背景が絡み合っていることがわかってきた。

さらに、(良いニュースなのだが)、ますますややこしいことに、最近のデータでは、実はドイツ全体では極右翼の思想自体は減少しているという興味深い事実もある。これは西と東のどちらにも共通しているそうだ。(下、同じくドイチェ・ヴェル紙より)

旧東側(薄い青):近年の極右翼思想の割合の以降 ー 実はかなり下降している
旧西側(濃い青):近年の極右翼思想の割合の以降 ー どちらも、かなり下降している


この矛盾した現状
が、ドイツ社会における極右翼や反民主主義の問題がいかに複雑であるかを示している。結局、私にとっては、おおきな「謎」のままだ・・・。ふりだしに戻ってしまった。

ほんとうの異文化理解には歴史的・社会的要因を踏まえたふかい洞察が必要なんだな、とあらためて実感してしまった。もうすこし、色々と考えてみたいと思っている。


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