ふくしま移住記録#2|幸せは目の前に
土曜日の朝。浪江にきて2週間、慌ただしい日々が過ぎ去っていった。やっぱり2度寝しちゃおうよ〜という誘惑がよぎったけれど、それよりぱっちり爽やかに目が覚めたので、*ジャーナリングすることにした。(*頭の中のことを書き出すこと。)
昨夜、いきつけの居酒屋で飲んだ記憶が、音楽のように残っている。思い出すとまたほのかに酔ってしまうような、そんな心地よさがあった。
マスターは、移住前からよくお世話になっていた。浪江に来ると店の民宿に泊まり、夜は居酒屋の手伝いをすることがルーティーンになっていた。常連のおじさまたちは、お店のファミリーだなと思っていた。そして私も会話する度に、何かが深まっていくように感じていて。
── それは友情とか、心とか、絆とか、いろんな言葉があるけれど、表面上の言葉な気がして。でもそこに、あの場所で生まれた繋がりを感じた。
何度も足を運んでいながらも、新天地で一人暮らしをスタートしたばかりの私にとって、こうして「よく来たね!」と歓迎してくれる存在は心強かった。お手伝いも含めて、2週間で4回ぐらい行ったのだろうか。
「飲むときは、みんなおんなじだ。おらは肩書きなんか気にしない。」
マスターがひとりごとのように呟いた、この言葉を忘れないでいる。ここは地元住民に愛される馴染みの居酒屋であり、県内外から毎日いろんな人が来る。
飲むときはみんな一緒だからって。そんな気さくで明るいマスターに会いに、この店に足を運ぶのだろう。味はもちろん絶品だけど、飲み食い以上の意味をもつんじゃないかなぁ。
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すっかり閉店時間になり、家まで送り届けていただいた。(念の為書いておくと、お酒を飲んでいない常連さんに。) 街灯がぽつんぽつんとあるが、車のライトで照らされて道が見えてくる。家に到着してもわたしたちは、車内で30分ぐらい話していた。
震災直後にあった話、このまちが変わっていくスピード、今も県内の飲み屋では”浪江”という言葉を発しないようにしていること、個室で飲むルールを設けていること。エッセイや人から聞いて知っていた話もあったけれど、うんと身近に、そしてもっと大きく感じた。自分のせいではなくとも、肩身の狭い思いをしなければならないこと。
そこに可愛そうだとか同情ではなくて、そのために自分は何ができるのかとか、社会の大きな構造に目を向けるとか。単なるお人好しで終わるんじゃなくて、助け合う、思いやりのある、そんな社会がどうやったら生まれるのだろう。受け取った一つ一つの言葉が、胸の底にゆっくりと落ちていき、こびりつくというよりは、残っていく感覚だった。
"こんな不便なまちでも、それが魅力って言われるのは嬉しいよ。”
うん、わたしには魅力的だし、ちょうどいい。
だって、幸せが目の前にあることを感じられるから。
何か悪いことが起きてしまうと、自分の人生はどん底とか絶望って思ってしまうけれど、本当は案外上手くいっていることって結構ある。
でも生き急いでいる世界にいると、小さな幸せに気づけない。自分にレッテルばかり貼られる情報の渦に巻き込まれたら、抜け出すのは難しいのだ。
この町にきてからは、幸せに気づく頻度が増えた気がする。店に行けばいつもの皆さんに会えること。空を見上げる回数が増えたこと。新鮮な海産物が手に入ること。走れば海に行けること。顔の見えるまちで、人と人が支えあっていること。
帰り際に、ぼんやりとそんなことを思っていた。
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話を戻して、土曜の朝。ジャーナリングを終えてどうしようか考えていると、LINEニュースで日中18度まで上がるという情報が。迫るハーフマラソンが脳裏によぎり、今日はランニングだ!とウェアに着替える。
まだ行ったことがない道を通りながら、町探検もかねて、ずいぶん気まぐれな速度で走り続けていた。川沿いにつき、4キロ走ったところで一旦休憩。
陽を浴びて、お気に入りの曲を聴きながら、大きな声で歌って散歩する。
でも周りに人は少ないし、迷惑に思われることはない。この町にきてよかったことトップ3に入るぐらい、嬉しかったりする。
トータルで10キロ弱走り、帰りにHさんのお家に寄り、今日で浪江町を去ってしまうSさんに挨拶をした。3月は別れの季節と言われているけれど、さよならを季節のせいになんてしたくない。Sさんとはまた浪江に遊びに来てくれるし、わたし達はさよならを否定するだってできる。また会える日までを楽しみに。
ちゃっかりお蕎麦や料理上手Kさんの手作りパンをいただいて、おいとまいする。午後は、明日のお花見に向けてりんごケーキの下拵えと、引っ越しの残り作業をせっせと行う。その中で、ベットを組み立てるネジ一式がないことに気づいた。わたしは絶望的にそそっかしく、うっかりが多い。今に始まった事ではないけれど、日々大なり小なりハプニングの連続である。
今回はベット本体はあるのに、この様子だとネジが入った袋をゴミに捨ててしまったに違いない。(『ネジ』と大きくガムテープで貼っていたのに…)
部品のみの発注は行っていないので、仕方なく新しいベットを注文することにした。もし誰かが入れ替わってわたしの生活を体験したら、さぞかし大変だろうなぁ。そんなことが起きても絶望させないように、気を引き締めてがんばるぞ!と意味のわからないことを思って、作業を再開する。
夜はお餅を食べ、おふろで1日を振り返り、東京にいる友人と電話をして、深い眠りに落ちていった。
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