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「西の仕事・東の労働」ショートショート

この街は東西が壁で分かれている。

昔は一つの街だったのだが、後継のいざこざで、東西真っ二つにして、王様がわかれたのだ。

王様や領主がかわることなど、街の人にとってはよくあることだった。
結局は税金を取られる。それが厳しいか、甘いかの、程度の差しかない。

そうおもっていたのだが、この壁はまったく違う世界を作り上げた。

ーーーーーーーー街の東

「ああ、西にいきたいな」

若者が愚痴るのを、老人が嗜める。

「むちゃはするなよ。バレたら、命はないぞ」

「わかっているよ。しかし、こんな無為な毎日を過ごしているしかないのか? この東では。西では日々、人間らしい生活をしているっていうのに」

「生きてるだけでもめっけもんだっておもえないのか」

「そんなんじゃ、人間に生まれた意味がないだろう」

 そう愚痴りつつも、若者は職場に向かった。

 そして、割り当てられたノルマをこなす。配給の食事を昼にもらい、最後には賃金チケットをもらって、適当なものを買って帰る。

 この仕事も、若者が好きで決めたわけではない。

 東の国では、全国民の役割が決まっている。やるべき仕事「大事業」と呼ばれるものが決まっており、そこから割り振られた仕事が最終的に一人一人に落ちてくる。
 人々は与えられたノルマをこなすことで、生活権利を得る。

 最低限の生活は保証される。けれども、最低限だ。娯楽はごく限られた、抜け道のような遊びともいえない遊びと酒くらいだ。

 そして、仕事にもやりがいなどはない。誰でもできるようなノルマを、だれもが行うことで、成り立っている。

 効率化のような概念はなく、がんばっても、がんばらなくても、なんの差はない。
 それを証明するように、若者が作り続ける部品は10年前とまったく変わらない。
 10年間、まったく同じものをまったく同じ工程で、こなしているのだ。
 これがいいもわるいもない。この街はこういうシステムで成り立っているんだ。

しかし、風の噂で聞くと、西の街は違うらしい。

 自由があるそうだ。

 自由に、仕事を決められ、やりたいことをやれ、成果を出した分だけ認められる。
 怠けるものを評価せず、成果を出すものをきちんと評価し、その分の対価と地位を与えるというのだ。

 そんな環境だったらどんなに頑張るだろうか。

 頑張った分だけ成果をもらえるのだったら、好きなこともできるだろう。


 いつかーー西にいってーーーーーーーー






そんな昔の思い出を、西の裏路地で項垂れながら男は思い出した。

西には自由がある、自由があれば、なんでもできる、そんな夢を見ていた。

だから俺は西にきた。危険を冒して西にきた。

しかし、そこで待っていたのは、自由だった。文字通りの自由だった。

なにも与えられない自由。羨むしかできない自由。

望む仕事には、つくことができない。なぜならばそれを拒否する自由を相手も持っているから。
成果を出せば、評価される。それはつまり、成果を出さなければならない。
どんな過酷な、ひどい条件だったとしても、成果を出さない限りは評価されない。
ノルマも作業も評価には値しない。努力は、成果ではないのだ。

必死で頑張った。なにもわからないまま、必死に頑張ったが、評価の枠に入ることさえ難しかった。

そして、食うにも困り、誰かが恵むという自由のおこぼれで、なんとか食い繋ぐ。
東の国のような、配給はない。

俺だけが酷いわけではない。
この西の国で生きているものは皆、この過酷な自由の上を必死に走らされているのだ。

一握りの自由を謳歌するもののために、多くの人が不自由に伏す街だ。

なんでもできるとおもっていたのに。
なんにもできない。

なんでもできるとおもっていたは、自分がなんでもできるとおもっていたから。

でも結局、自分にはなんにもできなかった。


東での日々が楽しいなどとは思わない。
けれども、東で、西に憧れていた頃の記憶は、懐かしい。

これが俺が望んだ自由だったのだろうか。

裏路地から、西の街のネオンを見上げ、その奥の東の街からあがる黒煙を、男はずっと眺めていた。

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