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■再掲■ 連載小説「オボステルラ」 【第一章 鳥が来た】 10話「ゴナンの人生」(4・終話)


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登場人物



10話「ゴナンの人生」(4)



 規則的に振動を感じる。大きな背中の温もり。

 なんだっけ。そうだ、お屋敷様のところで、お腹いっぱいご飯を食べたんだった。美味しかったあのマルルの実。とても甘くて、食べたことのない味だった。そのあとリカルドさんがいろいろ調べごとを始めたから、退屈で、うとうと眠ってしまって。リカルドさんが、あの大きな背中に俺を背負って、ゆっくり歩いてくれているんだ…。歩く度に感じる振動が、ゆりかごのようで、心地いい…。

 …と、はっとゴナンは目を覚ました。

目の前にあったのは黒髪ではなく、くせっ毛の金髪だった。

「…アドルフ…兄ちゃん…?」

「…ゴナン、起きたか。もうちょっとで着くから、まだ休んでな」

 そう言って、息を切らしながらゴナンを背負って歩いている。リカルドよりは小さく、痩せ細った背中。でも、どこか力強い。今日は月が明るく、2人の進む道を皓々と照らしている。

「兄ちゃん、俺、歩くよ」

「…いいから。俺が背負いたいんだよ。お前、いま、軽いからなあ。大丈夫だよ」

 そう言って、ふう、と息を吐きながら歩き続ける。よく状況がわからないゴナンは、そのまま体をアドルフの背中に委ねた。重みをアドルフはじっくりと感じる。


 そうして着いたのは、お屋敷だった。門から中には入らず、屋敷の裏手に回る。そこには、あの無愛想な壮年の門番がたいまつを手に立っていた。

「…よし、着いたぞ」

「…?」

 アドルフはゴナンを降ろすと、門番の男性に頭を下げた。

「お待たせしました、よろしくお願いします。ゴナンには今から状況を説明するので、少しお待ちいただけますか?」

 男性は頷く。アドルフは斜めがけに持っていたバッグをゴナンの体にくくりつけ、かがんでゴナンを目線を合わせ、両肩に手を置いた。

「お屋敷様はね、もうこの地を離れるそうだよ。この国にはほかに居場所がないから、隣のエルラン帝国に亡命するそうだ。今夜こっそり、馬車で人も荷物も一気に運ぶ。夜逃げ、ってやつだな。そんなコッソリ逃げなくても、いいのにな」

 ふふっと笑うアドルフ。屋敷の裏手には、4つの馬車が付けられている。一番前の妙に豪華な装飾の馬車に、恐らくユートリアが乗るのだろう。

「馬車…? 馬…、これが…」

 馬という生き物すら初めて見るゴナンは、一体なぜ自分がここに居るのか、まだわからない。

「…でね、この方にお願いして、荷物を運ぶ荷馬車の隅っこに、ゴナンを乗せていってもらうことにしたんだ。荷馬車3つぶんの荷物があるそうだから、細っこい人が1人くらい増えても問題ないんだって」

 肩に置かれた手に、少しだけ力がこもった。


「…ゴナン。今夜この村を出て、リカルドさんを追うんだ」

「…え…?」

「…この村は、今はとても厳しい。兄ちゃん達は大人だからまだ我慢できるけど、ゴナンはこのままじゃ…、死んでしまうかも、しれない…。ミィみたいに」

「…俺、だけ…? 俺、大丈夫だよ…。水も運ぶし、食べ物も、探すから」

「ゴナン。いいんだ。お前は、村から出るんだ…」

 でも、きっと、この村を出て、もっといろんなことを知りたいのはアドルフだ。リカルドとあんなに楽しそうに、まだ見ぬ世界のいろんな話をしていた。

「他の兄ちゃん達が…、家族だからダメだって、ここから離れたらダメだって、言ってたのに」

「それは俺が何とかごまかすから、気にするな。大丈夫、取っ組み合いはかなわないけど、口げんかだけはいつも兄貴達に負けないだろう、俺は?」

「…でも…」

 ゴナンは目を見開いて、アドルフを見つめた。

「…じゃあ、兄ちゃんも一緒に行こうよ。今ここで、一緒に馬車に乗ればいいじゃないか…」

 そう言われて、アドルフの表情が一瞬だけ動いた。でも、すぐに穏やかな笑顔にもどる。

「…俺はいいんだよ。ゴナン。これからは、お前の人生だから」

 アドルフはポンポン、となだめるように肩を叩く。

「……じゃあ、兄ちゃんからのお願いだ。リカルドさんと一緒に卵を探して、卵を見つけたら、この村に雨が降るよう、以前のような暮らしができるよう、お願いをしてくれ。それができるのは、この村ではお前だけだから。な?」

 それを聞いて、ゴナンの顔が歪む。

だって、でも、それを、その卵の言い伝えを、この村で『最も信じていない』のがアドルフなのに。

「…兄ちゃん……」

「…頼むよ、な…」

 そう言って、ズボンのポケットから一枚の封書を渡す。

「リカルドさんに会えたら、この手紙を渡して。あと、できれば旅の間はこまめに、俺宛に手紙を書いてくれると嬉しいな。何でもいいんだ。どこに行ったとか、誰と会ったとか、体調がどうだとか…。どんな些細なことでもいいから。日記をつけるのもいいかもしれない」

 ゴナンは頷くことも、言葉を発することもできない。

「手紙の書き方はわかるな? 送り方は…、リカルドさんに教えてもらって。うち宛じゃ兄貴達に読まれると面倒だから…、ライラさん宛がいい。オズワルド兄ぃの元奥さんの。あの人なら、大丈夫だ」

 そう言って、ゴナンの頭を撫でるアドルフ。

「…リカルドさんは、ここからずーっと南にある『ストネの街』に、拠点を1つ持っていると言っていた。鳥が南に飛んで行ったから、おそらくその街を目指すだろうと…。『ストネの街』、だぞ」

 念を押して伝える。

「この馬車はね、荒野をずっと南下して途中にある宿場町から西に向かって国を出るそうだ。そこまでは馬車で運んでもらって、そこからは自分の足で街を目指すんだ。真南に向かえばいい。昼は太陽で方角を見ながら、夜は彼方星が出る方向を目印に。何日もかかるけど、テントなんかの簡単な道具は、門番さんが用意してくれているって」

 ゴナンはまだ、苦しい顔で肩をふるわせるばかりで、言葉も出せず、頷くこともできない。アドルフはテキパキと、必要なことを次々伝える。

「…はい、これがお金だ。俺のへそくりだよ。使い方は教えたことあるよな。盗まれないよう、使う時以外は大事に隠して持っておくんだぞ」

「……」

「野営の仕方はリカルドさんに習ったんだったな。宿の泊まり方は、道中で門番さんに教えてもらって。他所の土地は水が合わないかも知れないから、お腹を壊さないよう注意して。もしかしたら都会の空気が悪くて病気を拾うかもしれない。無理はするなよ。街は馬車が走り回っているらしいから轢かれないよう周りをよく見て歩いて。あと、妙においしい話を持ってくる大人には十分警戒するんだ。モノを買うときは言い値で買わずに一度値下げ交渉をしてみて。お酒はまだお前には早いから飲むなよ。甘いものの食べ過ぎにも気をつけて。歯もよく磨いて、それと、あとは、悪い女にひっかからないよう…」

 オホン、と門番の男性が咳払いをする。出発が迫っているようだ。アドルフは名残惜しそうにゴナンの体をギュッと抱いた。

「…ゴナン、さあ、荷馬車に乗って」

「…兄ちゃん、俺、俺は……」

「いいんだ、さあ、乗って…」

 門番の男性は、荷馬車の最後尾の車両の幕を上げた。様々な荷物のすき間に、ゴナンが横になれるようふかふかの布団が敷いてある。脇には水と食糧も備えてある。この男性が整えてくれたらしい。

「これは…、ふふ、家で寝るよりも快適そうじゃないか、ゴナン」

 アドルフはそう笑う。そして「本当に、ありがとうございます」と男性に頭を下げる。口数少ないその男性は、「さ…」と優しくゴナンを荷馬車へと導く。

 今回、ユートリアの夜逃げの兆候を感じたアドルフは、ダメ元でこの強面の男性に話を持ちかけてみたのだが、何故か快く応じてくれ、積極的に準備や協力をしてくれたのが意外だった。

 誰も知らないことだが、実はこの男性は故郷に、ゴナンと同じ年頃の息子を残している。もう何年も会えておらず、今回の亡命に付き従うことでさらに会えなくなるだろう。屋敷を訪れたゴナンに自らの息子を投影し、その弱々しい姿を密かに心配し見守っていた。ゴナンが気に入っていたマルルの実をこっそりと発注していたのもこの男性だったのだが、無口な彼のそんな内情を、この場にいる人間が知る術はなかった。

「ユートリアには、ゴナンが乗っていることは内緒だそうだけど、おそらく彼が馬車を降りることはほとんどないだろうから、大丈夫だろうって」

「…兄ちゃん……」

 荷馬車から顔を出し、アドルフに手を伸ばす。前方で馬がいななく声が聞こえた。出発のようだ。

「兄ちゃん、ごめん、ごめん…」

「何で謝るんだ…?」

アドルフがクスッと笑った。

「ゴナン、元気で…」

 すぐに、前方の馬車から順番に馬車が進み始めた。ゴナンが乗る馬車も、門番の男性が御者となって動き始める。


*  *  *

 まだ深い宵闇の中。

ゴナンは走り始めた馬車の後ろの幕を少し上げて、アドルフが立つ方向を見ていた。彼が持っているたいまつの明かりはみるみる小さくなり、そしてすぐに見えなくなった。

 大地は漆黒の闇。ただ月が、星々が、爛々とその明かりを無造作に落としている。

 車列の進路は南、彼方星が輝く方向へと、進む。

(…ごめん、兄ちゃん、ありがとう…、ごめん…)

 懐に忍ばせてあったバンダナをギュッと握って、もう何も見えなくなった暗闇を、ゴナンはずっとずっと眺めていた。

〈第一章「鳥が来た」終わり〉



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