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連載小説「オボステルラ」 【第五章 巨きなものの声】 14話「湖畔の街にて」(6)
14話「湖畔の街にて」(6)
と、部屋の扉の外で、ナイフはまた誰かの気配を感じ取った。ゴナンがリカルドの不在に気付いて出てきたのだろうか? いや、これは…。
「……ミリア、どうしたの?」
ミリアが一人で、廊下をトコトコと歩いていた。ディルムッドも気配を察して、また部屋から出てこようとしていたようだが、先にナイフが出たことに気付いて部屋に控えている様子だ。
「ナイフちゃん。お湯につかって暑くなったから、ちょっと夜風に当たりたくて」
「夜風って…。外はとても寒いのよ。エレーネは?」
「エレーネは今、交代でお風呂中よ」
1人で考え事でもしたいのだろうか? しかし、流石に王女様を夜中に一人で外に出すわけにはいかない。ナイフはいったん部屋に戻って、自分の外套を持ってきてミリアに被せ、自分もブランケットを羽織る。部屋ではリカルドが苦しんでいるが、ついていてもどうしようもないので、ひとまずはこのままでも大丈夫だろう。
「…だったら、そこのバルコニーにちょっとだけ出ましょ。少しの間だけよ。湯冷めしちゃうから」
「ええ、ありがとう、ナイフちゃん」
そうして、フロアの廊下から出られるバルコニーに出る。
「わあ、涼しくて気持ちいいわ」
「すぐに寒くなるわよ」
ミリアが冷えないように、外套ごと前向きに両腕で包み込むナイフ。小柄なミリアはスッポリとナイフに隠れてしまう。
「これでちょうどいいかしら」
「ふふっ。ナイフちゃんの筋肉が、上着になっているわ」
「王女様をハグするなんて、随分と罰当たりだわ、私」
「まあ、ナイフちゃん。わたくしは、実は王女の影武者で少年剣士を装う普通のミリアよ」
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そう楽しそうに笑ったが、すぐに物憂げな表情になるミリア。
「どうしたの? 明日はお母さんに会えるっていうのに、ちょっと元気がなさそうね」
「……」
「もしかしてあなた、お母さんと仲が悪いの?」
「いいえ、そういうわけでは、ないのだけれど…」
そう答えて、しかしミリアはやはり沈んだ様子を見せる。それ以上、王妃のことについては何も話してこない。一般市民には話せないこともあるだろう。ナイフは無理に聞き出すことはせず、話題を変える。
「……ところで、あなたは今、『あなユラ』どころではないトキメキに、心を躍らせているのではないのかしら?」
「えっ?」
ナイフのその指摘に、ミリアは心底驚いたような表情をする。その反応が、ナイフも意外だった。
「…あら、違った? 祭のとき辺りから、あなたのゴナンを見る目が少し変わったように思っていたのだけど…」
「……」
そう言われて、ミリアはじっと深緑色の瞳を宙に彷徨わせる。自身の内面を確認するような表情をした後、彼女には珍しく、小さな声で答える。
「……わたくしは、お城で身の回りに年齢が近い男の子はまるでいなかったし、お客様を呼ぶお茶会も選ばれたお家のご令嬢ばかりだったの」
「そうなの?」
それは、兄・アーロンがミリアに悪い虫をつけたくなくて過剰に心配していたからでもあるのだが、ナイフがその事情を知る由はない。
「……だから、わたくしがゴナンを好ましく思っているのは確かだけど、でも、それは、たまたま一番近くにいる歳の近い男の子だからってだけかもしれない…」
ミリアは、自身にかけられたナイフの外套の端ををギュッと握る。
「……それは、15歳の女の子にしてはとても冷めた考え方ね…。『好きかな、嫌いかな』って、もっとキャッキャしたりドキドキしたり、顔を赤らめたり、狼狽えたりしていいのだと思うけど…」
「そうかしら?」
「……まあ、そもそも、貴族の方々は恋愛結婚はほとんどないっていっていたわね。王女様ともなると、特にそういうことは難しいのかもしれないけど…」
ディルムッドに聞いた話を思い出しながら、そう答えるナイフ。自分の腕の中にいるこんなにも小さな少女が、年相応の素直な気持ちすら解放できない立場であることに、同情に近い感情を抱いてしまう。
「……わたくし、分かっているのよ、実際に『あなユラ』のように駆け落ちしてしまって、自分の使命を捨ててしまうのは、よくないってことは。あれは物語だから楽しいだけ」
「まあ、そうね…」
「騎士と駆け落ちしたり、山の王と戦ったり、ギャングと馬のレースで賭け事をしたり、海辺のリゾート地でつぶれかけたお宿の再建に臨んだり、その過程で土地の権利を巡る争いが起こって詐欺師たちと頭脳戦を繰り広げるようなことは、本当はあり得ない、許されないってことも、わかっている」
「……。えっ、あれ、そんな物語なの? 恋愛小説ではなかった?」
「だから……、きっと、これは、何でもないの。ゴナンはわたくしの騎士のように見守ってくれて、そして何かとお世話をしてくれるから、ただ、好ましく思っているだけ……」
「……でも、あなたは王女の座をサリーに譲るために、この旅をしているのでしょう? そうなったら、恋愛だって自由じゃない」
そのナイフの言葉に、ハッとミリアの肩が揺れた。後ろから包み込んでいるので、ミリアの表情はわからない。
「……だめよ。そんなこと、許されないわ。そんなことのために、サリーに王女になってもらおうとしているわけではないのだもの。それこそ、『あなユラ』の愚かな王女と同じになってしまうわ」
「……それはそうなんだけどね」
ナイフはポンポン、とミリアの頭を撫でる。
「私はただのお気楽な一般庶民だから、とーっても無責任なことを言うけどね。どんな立場にあったって、人の心は自由よ、ミリア」
「……」
「それに、恋愛だって楽しいことばかりではない。というか、心がザワザワしたり苦しかったりすることのほうが多いものよ。いえ、むしろほとんどがそうね。それでも心が動くのなら、止めるべきではない。心の冒険をとどめることは、何よりも罪深いことだと、私は思うわ」
(そうじゃないと、本当につらすぎることばかりじゃない。まだたった15歳の女の子なのに)
後の言葉はぐっと飲み込んだナイフ。
「心の冒険……」
「ええ、そうよ。立場上、行動に移せないことはあるかもしれないけど、心の冒険は、我慢なんてしなくてもいいのよ」
「……」
ミリアはじっと街の夜景を見ているようだ。まだ街灯が付いており、レンガ造りの街並みに陰影の景色をもたらしている。まだ人出も多い。そこを行き交う人々をじっと見つめるミリア。
「……でも、やっぱり、まだ、よく分からないわ。分からないうちは、あまり表沙汰にするのもよくないと思うの。このお話は、ナイフちゃんとわたくしの秘密にしていただける?」
「……ええ、いいわよ。でも、悩んだらため込まずに何でも相談してね」
「ありがとう、ナイフちゃん」
ナイフはもう一度、よしよしとミリアの頭を撫でる。ミリアは少し嬉しそうにしている。「さあ、もう冷えてきちゃったから、お部屋に戻りましょ」と、屋内へとミリアを誘った。
(……でも、ミリアは隠そうとしているつもりだけど、正直、好意がダダ漏れすぎて、全然隠せていないんだけどね…)
恐ろしく素直で嘘がとても下手な王女の、その微笑ましい振る舞いを、ナイフは止めるつもりはない。でも、そのことがもしかしたら、ミリアをもっと苦しめることになるかもしれないとも考えてしまう。
「……ねえ、ナイフちゃん?」
バルコニーから廊下に戻りながら、ミリアは小声で尋ねてきた。
「なあに?」
足を止め背伸びをしてくるミリア。ナイフはその高さに合わせて少しかがむと、耳元に小声で尋ねてきた。
「……ナイフちゃんも、恋愛では心がザワザワしたり苦しかったりしたということ? それとも楽しかった? どのようなことがあったのかしら?」
「まあ」
ミリアの表情が、スキャンダルに興味を持つ少女の顔になっている。ナイフは肩をすくめて微笑んだ。
「私の場合は、初期設定からいろいろとややこしいから…。まあ、なかなか、いろいろ、エグいわよ。とてもお子様にはお話できないわね」
「……」
「そんな顔をしたってダメよ。もっとオトナになってから、もう一度お尋ねなさい。さあ、お子様は早く寝るのよ。大きくなれないわよ」
少しふくれっ面でねだるような目線を向けてくるミリアに、ナイフは笑いながらそうたしなめた。本当に、15歳の、好奇心旺盛な一人の少女だった。
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