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連載小説「オボステルラ」 番外編6「受難の宿屋」(1)


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番外編6「受難の宿屋」(1)


  その宿屋には、屋号がない。

 ここを継いで、今の主人で4代目になるが、ずっと「宿屋」、もしくは「ウキの宿屋」と呼ばれてきた。なぜなら、この街に宿屋はここ1軒しかないからだ。別に他に宿屋ができるのを制限しているわけではない。その広大な敷地のほとんどが農地で、観光地も何もなく、滅多に外からの客がないこの街では、宿屋が何軒もあっても儲からないのだ。実際この宿屋も初代が農業の片手間で始めたものだし、今だって儲けのほとんどが1階で営んでいる食堂の売り上げである。

 定期的に野菜の買い付けで商団が訪れたり、領主家やその使いの者が視察に来たり、そういうときにきちんと迎えられるように、「とりあえず1軒だけは備えています」という体の宿屋。そのため、定期的に訪れる常連客がほとんどで、イレギュラーな来客はそう多くはない。

 そんなこの宿屋で、主人は妙に目線が冷たい黒髪の男性にじっとにらみ付けられている…。

「ゴナンを泊められないって、どういうことかな?」

 うすら笑いを浮かべながらそう尋ねてくる、黒髪の男。過去にも何度か宿泊したことがあると記憶しているが、いつも一人旅だった。妙にチップをはずんでくれる客だったから、特に覚えていた。しかし今回は大勢、人を連れてきている。客が多いのは稼ぎになるのでありがたいところではあるが、その内の一人、ゴナンと呼ばれた細身の少年は、明らかにひどく体調が悪そうだ。咳もしている。

「その子は何か病にかかっているようじゃないか。うつされたら困るから、泊められないと言っているんだ」

 そう断るも、今度は体躯がおそろしく強そうな2人がものすごい圧で食らいついてくる。軍人だろうか? 片方は化粧に女装をしていて、妙な雰囲気だが…。その奥には、どえらい美女と、つい目を止めてしまう品のある少女もいる。貴族のようだが、いったいどういう組合せの旅人なのだろうか。

「ゴナンを病気の毒の源のような扱いにされるのは、いささか気分が悪いな」

 黒髪の男は笑みを消し、ぎろりと主人を睨んでくる。目線だけで人を射殺せそうな冷たさだ。しかし主人も応じるわけにはいかない。

 まだ自分が生まれる前の話だが、このウキの街は、流行病で住民の半数以上が命を失う惨事があったのだ。その時、街に流行病を持ち込んだのは、どこからか来た旅人だったという。「あのとき、巨大鳥が村を飛んだんだ。だから病が広まった」と主人に口繁く語っていた祖父。この街の大半の人と同じく、主人は巨大鳥のおとぎ話は信じていないが、その時の街の悲惨さを何度も何度も聞かされており、このひどく弱っている少年をどうしても受け入れがたかった。街を守るためだ。たとえ、宿を買い取るなどと戯れ言を提案されていても。

(しかし、何なんだ、この男のこの迫力は…)

 ゴナンという少年は、この男の子どもか弟なのだろうか? しかし、家族だったら逆に遠慮や恥が差し込まれるような場面だ。臆面もなくこの少年を第一優先で迫ってくる様子を見る限り、家族とはまた違う関係性のような気もする。恋人…、とも少し雰囲気が違うようだが。

 そうして困っていると、ちょうど食事に来ていたジョージ・クラウスマンが助け船を出してくれた。そうだ、この男は以前も『先生』を尋ねてきていた。随分と昔から懇意にしている仲のようだが、クラウスマン邸に泊まらずいつも宿を取ることを不思議に思っていたのだ。この夫妻は人を迎えるのがとても好きなはずなのに。この男は夫妻と一定の距離感を保とうとしている、そのような印象を抱いていた。

 結局『先生』が引き受けてくれることになり、ほっと胸をなで下ろす主人。

(…あの大人数の宿泊代は惜しい気もするが、命あっての物種だ、仕方が無い)

 主人は、そんなことを考えながら、宿を出て行く一行の後ろ姿を見送った。

*  *  *

 それから数日後、主人の娘、アンナが、目を輝かせながら帰ってきた。宿は自宅も兼ねている。もう12歳になるアンナは、年齢以上におしゃまでおしゃべりな少女だ。

「ただいま。ごきげんよう、わたくしは普通のアンナよ」

「おかえり……、は? 何だって?」

 なんだか、どこかに遊びに行ったかのような楽しそうな雰囲気のアンナ。そしてよく分からない挨拶をしている。 

「今日は先生の家で『学校』だったんだろ? なんでそんなに楽しそうにしているんだ?」

 勉強が好きではないアンナだが、この家の一人娘。できれば宿を継いでほしいと思っている。商売をするときに備えて勘定くらいできるようになってほしいと、嫌がる彼女をジョージの青空教室に無理矢理通わせている。なので、いつもなら学校からは疲れた表情で帰って来るのだ。

「うん、今日ね、先生のお家に、お姫様がいたの!」

「お姫様ぁ?」

 そう聞いて主人はピンと来る。あの日いた美女のことだろう。

「ああ、金髪で青い目の、背の高いキレイな人だろう?」

「違うわ! その人もとてもキレイだったけど。お姫様だけど普通のミリアちゃんよ。緑がかった黒髪と深緑の瞳で、背は私と同じくらい。本当にお姫様みたいなの」

「ああ…。で、『普通の』って何だ?」

「普通は普通よ。とにかく普通のミリアちゃんよ」

「…?」

 名前の意味はよく分からないが、あの美女の隣に立っていた少女の方だった。やはりおじさんと女の子とでは女性を見る視点が変わるものだと胸中で苦笑いしつつも、アンナに尋ねる。




「…そのお姫様と同い年くらいの男の子はいなかったか?」

「うん、いたわよ。金髪の男の子。大人しくてちょっと暗い感じだったから、話しかけなかったけど。でも小っちゃい女の子達は、なんだか懐いてた」

「元気そうだったか? 激しい咳なんかはしてなかったか?」

「? うん。一緒に授業を受けたわよ」

「…そうか…」

 心配のしすぎだったか、と主人は少し安堵する。ずいぶん弱々しく見えたあの少年、元気になったのなら、それが何よりだ。あれだけの人数が長期で泊まる予定といっていた、その稼ぎを失ったのは正直惜しいが、触らぬ神に祟りなしだ。あの黒髪の男の異様な迫力を思い出して、主人はぶるるん、と震えた。



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