出会ったあの日、終わった世界 #思い出の曲
これまでの人生で、宝物のように抱きしめてきた曲や、イントロを耳にしただけで心が弾んでしまうような大好きな曲は、両手に収まりきらないほどたくさんある。
だけど、「あなたにとって、思い出の曲は何?」と聞かれて真っ先に思い出してしまうのは、aikoの「白い道」という曲だ。
何も知らなかったあの日からあなたを覚えた終わりまで
aiko /時のシルエット「白い道」
というフレーズが、思い出の中のある人の姿と一緒に、今もまだ記憶の片隅で、静かに、だけどしっかりと、息をしている。
大学一年生、春。
彼とは初回の授業が同じで、気づいたらよくキャンパス内で一緒に行動するようになっていた。
彼は高校までずっと男子校育ちで、男兄弟の中で育った。わたしも女子校育ちで、男の人と関わる機会はほとんどない環境で育ってきた。
わたしには「男ともだち」という類の関係性にあたるような人が18年間ほとんどいたことがなくて、「どうしたら異性と仲良くできるんだろう…」と、淡い憧れのような感情すら抱いていた。
そんなわたしたちは、当然性格もノリも全く違うし、同じクラスにならなかったら、4年間で話すことは一度もなかったかもしれない。
だけど人生とは面白いもので、初回の授業が終わった後に老舗の喫茶店でカレーを食べたその日から、わたしたちは、常に行動を共にするようになっていた。
当時わたしには、今思い返すと痛みすら伴うくらい、人生をかけて付き合っていた恋人がいた。
ちょうど大学に入学して半年が経った頃、恋人との関係は徐々にこじれている時期で、お互いにひどく依存し、疲れて不満を溜め込んでいた。
その不満をすべて補って余りあるほどの魅力を放っていたのが、彼だったのだ。
今だから言えることなのだけれど、わたしはそのとき恋人よりも遥かに、その人と一緒にいるときの自分の方が好きだったし、誰がどう見ても、幸せだった。
わたしたちの唯一の共通点は、音楽だった。
お互い別々のバンドサークルに入っていて、ボーカルを担当していた。
好きなジャンルは全く違ったのだけれど、音楽への情熱や向き合い方は、なんとなく似ているところがあった。
一人だったら一生聴くこともなかったようなジャンルの音楽を教えてもらったり、CDを貸しあったり。
彼の言葉を通して、見たことのない景色が目の前に広がる瞬間は、何度体験しても、言い表せない高揚感があった。
彼と一緒にいると、世界はいつもほんの少しだけ熱を帯びていて、わたしはどこまでも飛んで行けるような気がしていた。
彼に対する淡い想いが決定的なものに変わったのは、たぶん2人でカラオケに行ったときだったと思う。
「この曲は、歌詞が本当に好きなの。だから、ちゃんと聞いててね。」
冗談まじりで口にすると、彼は曲が終わって静かになるまで、ずうっと画面を食い入るように見つめていた。
そして、わたしが歌い終わった後、ぽつりとこう呟いたのだ。
「はじまり」じゃなくて、「終わり」っていうのがすごいね。
そう言った彼の横顔を、わたしは暗闇の中でまじまじと見つめてしまった。
あなたを覚えたのが「はじまり」じゃなくて、「終わり」って表現するaikoの感性が、すごいね。そういう意図だったのだと思う。
これを聞いたわたしは、込み上げる気持ちをなんて言葉にしたらいいのかわからなくて、「そう、すごいんだよ。」と言って、笑顔をつくるので精一杯だった。
このときわたしが歌った曲が、aikoの「白い道」だった。
彼を覚えてしまってから、わたしの中で、たしかに何かが終わってしまった。
細かな違いに気づく視点、言葉への誠実な向き合い方、力強く溢れ出す感性、それを余すことなく伝える表現力。
クセもこだわりも強いのに、いつも話をしっかり聞いてくれて、批判をせずに受け止めてくれた。
表情や声の大きさが普段と少しでも違うと、すぐに体調を気にかけてくれた。
服装や髪型の変化には必ず気づいて、「こういう形の服は、この前のよりも似合うね」と、具体的に言葉にして褒めてくれた。
一度でも話題にしたことは、どんなに些細なことでも覚えてくれていた。
誕生日には毎年、熱のこもった手紙を書いてくれて、わたしの心をあたためた。
単純で、物事をあまり深く考えず、細かい変化に全く気づかず、プライドが高くて言葉にするのが苦手な恋人から受け取ることのなかったものを、彼は、全部与えてくれた。
色のなかった平坦な大学生活は、彼が隣にいるときだけいつも鮮やかな色がつき、うるさいくらい賑やかに、常に陽気な音楽が鳴り響いていた。
いつまでも続くのだろうな、と漠然と思っていた鮮やかな日々は、彼にはじめての彼女ができた日を境に、ゆるやかに終わりへと向かっていった。
ちょうど学年も変わって、お互い新しいことを始めたり、別々のコミュニティに居場所を見つけ始めていた時期だった。
わたしたちは徐々に、一緒にいる時間が少なくなっていった。
彼は幸せそうだったし、わたしもその時の恋人とは別れて、新しい人と出会っていた。
プレイリストには新しい人に教えてもらった音楽が溢れ、彼が好きだった曲も、このときの思い出の曲も、自ら聴くことはなくなっていった。
それが先日、「白い道」がシャッフルで流れ、一瞬にして、あの日のカラオケボックスに引き戻された。
わけもわからず、心がぎゅううと締め付けられて、なんでだろう、と考える間もなく、あのときの光景が蘇った。
何も知らなかったあの日からあなたを覚えた終わりまで
あれは恋、だったのだろうか。
いや、「恋」だなんて言い古された言葉では、到底言い表すことのできないくらい、尊くて、愛おしくて、この先一生感じることのない感情だったのだろうな、と思う。
それくらい、彼の存在は大きくて、特別で、わたしの人生の色を、温度を、少しだけ、でも確実に、変えてしまったのだ。
あの時、わたしは彼に出会って、知らなかった世界や感情を知って、何かが終わった。それだけは、たしかなことなのだと思った。
何も知らなかった自分が、彼という世界を、知ってしまったあの日。
大人になったわたしは、彼のように何でも言い合える友達もできたし、毎日幸せに生きている。
だけど、彼に出会って終わってしまった何かは、わたしの中で、これからもずっと生き続けるのだろうな、と思う。
遠く遠く続く、この白い道の先で、ずっと。
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