泣いている人だけがいつも悲しいわけじゃない
燃え殻さんのエッセイ「すべて忘れてしまうから」の中に、「涙を流している人が常に一番悲しいわけじゃない」という章があった。
それを読んでわたしは、小学校の頃、全く同じことをある人に言われて救われたことを思い出した。
その頃わたしは、今よりも人に弱みを見せることを恐れ、常に強がっているような少女だった。
今となっては愛嬌だけが取り柄だと言われるくらい常にへらへらしているけれど、当時は笑顔なんてほとんど見せず、人に甘えることなんて以ての外で、「クールだね」と大人にも、同級生にも言われていた。
そんなわたしはなぜか、「人前で涙を流してはいけない」といういま考えると謎の信念みたいなものがあって、どんなに痛くても、つらくても、悲しくても誰かに涙を見せることだけは絶対にするまいと心に決めて日々を送っていた。
そんな小学校生活を過ごしていたある日、何がきっかけかは忘れてしまったのだけど、ある女の子と揉めた結果、彼女を泣かせてしまった。
彼女は「すぐに泣く」で有名だったのだけど、わたしが誰かを泣かせる、ということが珍しかったのか、小学生の子供にとってそういういざこざは純粋に好奇心の対象で、つい囃し立てたくなるものなのか、クラスメイトが周りにぞろぞろと集まってきて、「何したんだよ〜」とか「泣いてるぞ〜」とかいう声が四方から飛んできた。
冗談まじりではあったけれど、自分が泣かないこと以上に人を泣かせるなんて信条に反する、というまたもや謎のプライドも持っていたわたしは、クラスメイトたちにわたしが何かひどいことをした、と思われたことが悲しくて、そして少しの怒りも覚えて、軽く絶望しそうになった。
言葉をなくして立ち尽くしていたわたしは、彼女がみんなに「大丈夫?」と言われて慰められているのをみて、さらに泣きそうになった。
どうしてみんな、泣いていない方が何かをして、泣いている方が何かをされたと思うんだろう。
わたしは何もしていないのに。
どうして何も知らずに判断するんだろう。
いよいよ涙が出そうになったそのとき、どこかからぼそっと、でもよく通る声で、こんな言葉が聞こえた。
「泣いてるやつがいつも被害者なわけじゃないよな」
たしか、それを口にしたのは、喧嘩が強くて一匹狼タイプの男の子だったと思う。
なんとなく彼がクラスで一目置かれていたこともあったからか、一瞬教室はしんとして、そのあとまたすぐ日常のざわめきが戻ってきた。
クラスメイトたちはまた、散り散りに自分のもといた場所に戻っていった。
「…ありがと。」
わたしが彼に小声で伝えると、彼は
「ああやってすぐに泣くやつ見てると、いらいらするんだよな」
と、ぶっきらぼうに言った。
その返事からは、彼自身、幼いながらにして身に付けざるを得なかった孤独な強さと、彼と同じように頑なに涙を見せまいとして生きてきた、わたしに対する優しさが感じられる気がした。
結局、小学生だったわたしは、最後まで誰の前でも涙を見せることはなかった。
中学生、高校生と成長するにつれて、人前で泣くこともできるようになったし、むしろ今では涙もろいくらいだ。
それでも、辛いときやしんどいときに人に頼れなかったり、ひとりで抱え込んで壊れそうになることは多々ある。
そんなとき、ふと彼の言葉を思い出しては何度も救われていたような気がする。
大変そうにしている人だけが、大変なわけじゃない。
悲しそうな人だけが、悲しんでいるわけじゃない。
わたしたちはたまに、ついそのことを忘れてしまう。
そうして無意識に、誰かを傷つけているのかもしれないな、と思う。
わたしも誰かの見えない涙に気づける自分でありたいし、自分の悲鳴に耳を傾けてあげられる人間でありたい。
そして今、彼のそばには彼の心の涙に気づいてあげられる人がいてくれたらいいな、と思った。