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映画鑑賞記録『満ち足りた家族』

映画を観に行った。韓国映画『満ち足りた家族』。
ホ・ジノ監督作品、主演はソル・ギョングとチャン・ドンゴン。
そんなに前じゃなはずなのに、いつどこで見たか記憶が曖昧になってしまっているが、恐らく日比谷シャンテで観たように記憶している。

パンフレットを読んで初めて知ったことだったが、この題材は、様々な国で何回か映画化されているそうだ。
原作も、それらの過去作品も恥ずかしながら知らないのだけど、本作は現代の韓国の闇を切り取っており、ドキッとさせられる一本だ。

兄、ジュワンはお金をもらえれば依頼者を無罪にするための方法はいとわない弁護士。
弟ジェギュは、小児科医。

ジュワンは、前妻との子である高校3年生の娘、現在の妻とその間に生まれた赤ん坊と、高級マンションで暮らしている。
一方ジェギュは、妻と高校2年生の息子と自分の母親と暮らしており、母親の世話は妻と家政婦がになっている。

二組の夫婦は、母親の介護について相談するために食事会をするが、ジュワンにはもう一つ思惑があった。
ジュワンはあおり運転をし、結果的に相手をひき殺した御曹司の弁護人をすることになった。ジェギュは、その被害者と一緒に車に乗っていた子どもの担当医であるため、ジュワンはジェギュに、なんとしてもその子どもを殺すな、と念を押すのだった。ジェギュはそれに強く反発する。
映画の始まりにこの事故が描かれる。
初っぱなからなかなかびっくりさせられるしかなり不穏で不愉快な描写だ。
しかしこの事故、というか犯罪は、真っ向から対立する二人の正義感や人間性を象徴しているように思う。

ある日、高校生二人がホームレスに暴行する動画がネット上に流され、大きな事件となる。犯人の高校生は、ジュワンとジェギュの子どもたちだった。

ジュワンとジェギュのそれぞれの正義感が揺らぎ始める。
子どもを守ること、親としてすべきことは何か。
ぶつかり合う二組の夫婦。
それぞれが下した結論は果たして。

最初から最後までいやな雰囲気が漂い続ける作品だった。
自分の犯罪に全く責任を感じていない御曹司。
暴行したことに何の反省もしない子どもたち。
もし、自分の子どもがそんなことしたら絶対に警察に行かせるとは思うが、いざその立場になってみないとわからないのかもしれない。
もし罪を逃れる方法があるのならば、その道を選んでしまうかもしれない。
冷静に、客観的に判断できなくなるかもしれない。

前半は、まるで無能な女性のように描かれるジュワンの若い妻は、実は一番冷静なまなざしを持つ立場として描かれているのが興味深かい。

人間が人の痛みや、人生や、悲しみ、喜びに共感できなくなるの怖いことだ。

娘は今年の春から高校1年生。
この一年、志望校を決めるためにいくつかの高校を見学して歩いた。
その中の一つの高校で、25年度から「文学国語」がなくなり「理論国語」だけになる、という説明を受けた。

全高校でそうなるのか、今調べる限りでははっきりわからないのだが、「文学国語」が選択授業になっていることは確かなようだ。

私が好きなロシア文学研究者であり翻訳家の奈倉有里さんが、自身のエッセイで、文学を読むことの重要性について重ねて書いている。
文学は、知らない文化を知るきっかけになったり、全く違う人生を疑似体験したり、遠い国の誰かのことを想像したりと、人間の心を育む重要な文化だ。それを学校教育から省いてしまうということは、人が人の心に寄り添う力を奪うことに繋がりうるのではないかと、私は深く懸念している。

この映画でホームレスに暴行し反省しない子どもたちのように、けんか相手をひき殺しておきながら罪を逃れようとする金持ちの息子のように、なりはしないだろうか。
そんな人間を生んでしまう社会は、どんな社会なのか。

最近、私が気になっているのは、韓国の著名人が若くして自殺してしまうニュースを頻繁に耳にすることだ。
過去にも、韓国のアイドルの自死は何度かあった。

韓国の社会と日本社会はよく似ている。
私は韓国文化が大好きだし、韓国の歴史にも深い興味を抱いている。
しかし、この相次ぐ韓国の若い人の自死は私たちが見えていない韓国社会の闇があるのではないか。この映画を観て改めて感じたことだった。

しかし、韓国だけではなく、世界は混沌としている。
この世界のどこに希望を見いだせばいいのか。
子どもたちに託す社会を、今よりも少しでもましな世界にするために、私たち大人がすべきことは、山積している。

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