本の装丁を考える-詩集編-
こんばんは。
今回は【文学フリマ東京36】で頒布する詩集の装丁について、その思考をまとめていきたいと思います。
1.詩集という「空間」
そもそも、詩集ってなんでしょうか。
詩は言葉で出来ているのでしょうか。
詩はどこに存在するのでしょうか。
最近私は、「詩が本になる」意味について考えています。
詩は、私の頭の中にあるだけでは「存在する」とは言えないでしょう。
目に見える形になって、人と共有されてはじめて、詩はこの世界に生を受けます。
では、文字だけでインターネットに放流された詩は、どのようにして生き永らえていくでしょうか。
たくさんの人に読まれて、その人の頭の中に居を構えて健やかにやっていくかもしれません。
ですが、いつか人はそのことを忘れてしまう。
誰からも、作者からも忘れられたとしても、どこかに存在し続ける、そんな詩をつくりたい。そう思って、私は詩集を作っています。
あるいはまた、私は「詩を本にする」意味について考えています。
たとえばnoteの画面で詩を読んだとき、画一化された文字情報として目に映ったものを、私は頭の中で詩として再構成します。
そして、語のつながりやリズムを分析したり、その行間にさまざまな風景や情緒を読み込んだりするでしょう。
私は、このタイムラグが少し苦手です。
詩というテキストが、私の体験になるまで、少しだけ距離があるような気がしています。
だからこそ、詩は「本」という肉体を持った形にして手元にお届けしたいと考えています。
そうなったとき、なにをもって「本」とするか、ということにつまづきます。
一枚の紙は本と言えるのか。
でも昔の本は巻物だったわけだし、これも本かもしれない。
それではバラバラの紙たちはどうか。
これは「ひとつの本」とは言えないかもしれない。
だけど、ホッチキスで一箇所止めたら、それは本になるかもしれない。
などと考えて、ひとまず本の条件を「開くことのできるもの」と仮定してみました。
本を開き、ページを捲ることは、世界を紐解いて展開していくことだと思います。
あるひとつの空間をもつこと、読者に空間の体験をもたらすこと。
これが本という形態の役割であり、可能性です。
詩が本になること、詩を本にすること、いろいろ考えながら、今回の詩集の装丁について悩んでいきます。
2.透明な本?
詩を存在させることについて語っておきながら、今回の装丁の第1案は「できる限り存在しない本」でした。
今回の詩集の紹介文が
だからです。
形のないものをそのまま写し取るような、そんなものを作りたいという妄想から、制作は始まりました。
そこでまず思いついた案は、「透明な本」です。
今にも空気に溶けてしまいそうな、そんな雰囲気のある本を作りたい、そういうイメージです。
まず問題となってくるのは素材です。
きっと先人がいるだろう、と思い、Pinterestで検索してました。
おそらくプラスチックの板を糸綴じしたものです。
確かにはじめに思いついたのはプラスチックでした。
しかしプラスチックでいちいち作っていたらお値段も高くなるし大量には作れません。
なにより私には「どうしても本は紙で作りたい!」という欲望があります。
というところまで考えて、透明な紙といったらトレーシングペーパーだ!!!となりました。
実際、去年トレーシングペーパーを表紙にして詩集を作りました。
このノリで、本文用紙全部をトレーシングペーパーにしたらいいのでは?と思いつきました。
しかし、本にすることを考えると、いろいろと障害があります。裏表の文字が透けて、読めなくなってしまうのです。
また、トレーシングペーパーは少し折れるだけでくっきりと跡がついてしまいます。
あとは湿気にかなり弱いので、すぐにたわんでしまいます。表紙にかなりの厚紙を使わないと、形を保てなさそうです。
ということで、本に向いてないかな……と悩みつつ、なにより「これじゃない」感をもっていました。
上に挙げた例からも分かる通り、トレーシングペーパーは重ねれば重ねるほど濁ってきます。
イメージしていた「透明の本」はこんなんだったっけ?と思って、思考が止まってしまいました。
よい案が思い浮かばない中、ペーパーボイス東京の「paper‐hat 展」に行ってきました。
そこで、なんと平和紙業の紙谷刷太郎さんの中の人(?)とお話しすることができました!
展示の内容を説明していただいたあとに、「透明な本」について相談させていただきました。
透明な本を作ろうと思って、トレーシングペーパーを使おうと思っているのですが、なんかこれじゃない感があるんです……と言ったら、
「そもそもどうして透明な本を作りたいんですか?」と聞かれました。
そして、もともと考えていた「形のないものをそのまま写し取るような本を作りたい」という話をしました。そして、
「トレーシングペーパーは重いですよ」
というアドバイスをいただきました。
確かにトレーシングペーパーは密度が高く、コーティングもされていて、とても紙らしくない紙です。
もともと考えていた、「存在しないような本」からは程遠いのです。
そこで、代わりに紙谷さんが紹介してくれたのは「典具帖紙」です。
世界一薄い紙であり、一番軽く、一番「ない」に近い紙です。
もちろんこの紙に印刷することは出来ないし、本にすることも出来ません。
しかし、この提案は妙にしっくりくるもので、そこから「空気に近い本が作りたいんだ!」ということに気づきました。
*****
肝心の展示も、とても有益なものでした。
今回の展示は、紙で帽子を作るための過程を示すもので、制作チームの様々な実験や思考が示されていました。
「紙の加工」のなかに、「濡らす」があることに驚きます。
本づくりや紙工作をやっていると、水気はご法度!という印象が強いからです。
しかしこの展示によると、紙は濡らすと分子構造が崩れて柔らかくなり、乾くときにまた固まるようです。
つまり、濡らして形を作って乾かすと、そのままの形で固定される、ということみたいです。
そのときは「ふーん」程度にしか思っていませんでしたが、これがのちのち活きてきます。
3.空気のような本を目指して
そんなこんなで、「空気のような本」を作ろう!という方針を立て、いろいろ考えていきます。
まず形について。
空気から連想される形は、四角より丸だな、と思います。
丸い本を作りたい!という欲求は誰しも持ったことがあると思いますが(?)、本の形態を考えると難しいのです。
本文を丸にしてしまうと、背の部分ができず、紙の束をまとめられないからです。
そこで、思い切って背を持った本をやめよう!と思いました。
けれど「開くもの」という本の条件は守りたい、と考えた時に、目についたのが単語帳です。
穴にリングを通して紙をめくる形なら、丸型の本が作れそう!
けれど、どうしても紙同士の緩さだったり、リングの取り回し嵩張りが気になります。
そこで次に思いつくのは、紙の見本帳です。
単語帳と似たような形ですが、穴にビスを入れて使うものです。
これは、パタパタ紙をめくるのではなく、紙をスライドさせながらページを繰っていくことになります。
この形で「ページをめくる」と言えるのかわかりませんが、開いていくことができるので良しとします。
しかも、バッと展開できるので面白い見え方になりそうです!
次に素材ですが、和紙に印刷するとなると大変なので、普通の洋紙を使うことにしました。
ですが、できる限り空気に近い本を作りたい=空気を含んだ本を作ろう!という発想になりました。
そこで、先の「濡らす」加工の登場です。
濡れて乾いた紙、というとあまり想像がつかないかもしれませんが、「雨に降られた後の教科書」というと、ピンときませんか?
小学生のころ、一度は濡れてくしゃっとなった教科書を見たことがあるでしょう。
あの教科書のふんわり感を再現してみることにしました。
ということで、毎度お世話になっているプリンパで、「ハーフエアコットン180㎏」を選び、印刷注文をします。
(プリンパは、紙の種類が豊富で特色印刷も割安なので大変おススメです!)
そして、届いた紙をじゃぶじゃぶ洗って……
しわしわにして干す!
そうこうして、できたのがこちらです。
表紙は以前ワシマで買った長田製紙所の深緑金彩雲にしました。
(まだ作っていませんがアワガミファクトリーで買った雲母入りの和紙の表紙も作ろうと思っています。)
濡らしていない冊子と比較すると、この通り、空気の含みが違います。
手で持ってみても、濡らした冊子の方が軽さを感じます。
また紙の表面の繊維が毛羽立って、ふんわり感が出ています。
写真では伝わりにくいので、ぜひ実物を触りに来てください!
毎晩宣伝かよ!という感じですが、こちらの詩集も【文学フリマ東京36】で頒布します。
https://c.bunfree.net/c/tokyo36/h1/P/13
https://bunfree.net/event/tokyo36/
5/21、東京流通センターにいらっしゃる方は、ぜひ【P-13】にもお立ち寄りください、お待ちしています!
(まだ詩集は1部しかできていないので!これから頑張ります!)
七緒らいせ
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?