歴史小説「Two of Us」第3章J‐19
~細川忠興父子とガラシャ珠子夫人の生涯~
第3章 本能寺の変以後から関ヶ原合戦の果てまで
(改訂版は日本語文のみ)
The Fatal Share for "Las abandonadas"
J-19 ~An Invitation From A President~
現代社会において、歴史上の出来事を語る時、言葉の表現が解釈によって、とても難しい。
難しいのだけど。。。
それは、戦国時代を語る時も同じで、ましてや、現在の日本国の外交に関わる事項であれば、感情的に対処する対岸国に対し、日本史上の進捗状況を語るのならば、尚更なのだけど。。。
ここでは「文禄の役」という言葉を使うとしましょう🎵
天正20年もしくは文禄元年、西暦1592年。
あなた珠子にこのような事態が迫っている時、夫細川忠興は、どこで何をしていたのか、気にならないでしょうか❓
朝鮮半島に居たのだ。
いえ。半島上陸前で、日本国の一番近い島「壱岐」で、3500名の兵を連れて、待機していた。九番隊のリーダー武将の一人として。
盟友伊達政宗も、弐番隊の武将として半島に上陸しているが、遠方東北からの出兵であるため、兵数も役割もあまり重要ポジションではなかったのだ。
だからこそ後々、忠興と政宗はとても重大な進捗状況の判断を出来る、事態に気づくチャンスに遭遇したのだった。大発見と共に。
大義名分はともかく、『明』(現:中華人民共和国)への侵攻の足がかりとして、太閤豊臣秀吉の命で、2度、朝鮮半島へ上陸したのだ。
『明』の皇帝統治は1644年まで続くけれども、すでに満州で結成した『清』が優勢を極め始めていた。『明』の統治下では抑えきれなくなっていた朝鮮半島『高麗』の不安定情勢。『高麗』の総指揮者〈宣祖〉が首都ソウルから逃避した時点で、勝利したようなものだけど、それを完全にやってのけたのは、『清』なのだ。
とにかく『明』では、ほぼ1年間の攻防戦では、日本軍に勝利したと皇帝に報告され、日本国軍の報告では、「明国統治の朝鮮半島を制覇した」と伝えられたのだ。
おそらく、引き分けの和解ってことなのだが。。。
国としては『明』の属国として対戦したが、現地民衆は情勢への不満がつのっていた故、武器を持って『明』と半島の体制に対峙するために翻って、日本国軍に味方して戦った。『清』が『高麗』を制覇した。
その事態をそれぞれに伝える『高麗』の交渉当事者〈景轍玄蘇〉(けいてつげんそ)の苦肉の策の報告、らしいのだ。
したがって、半島から意気揚々と引き上げて日本国軍が帰国して来た後、和解交渉の折に『明』の皇帝は「豊臣秀吉を日本国の皇帝と認定する。本来の領地を平定せよ」との命を下す。
『明』の皇帝は、属国が独立し和解を告げた、あくまで上から目線な認識なのだ。
勝ったものと思い込んだ太閤秀吉は、功名心も相まって怒り心頭。
「当たり前のこと云うな!日本は元から独立国家じゃ。
その上『明』の初代が幕府の将軍を〈皇帝〉と云ったが、日本国は太古から朝廷に〈天皇〉がいらっしゃるのじゃ。
さように申すならば、『清』と交渉して朝鮮半島をもらうぞ!」
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