漁夫の利(古典ノベライズ後編)
(昨日から続き)
スーパーマーケットの中年男性は、特売の鶏肉を手に持った老人の依頼をやんわり断ったけれども、そんなの相手は聞いちゃいない。
「早くしろよ。貼れよ、割引シール。その売れ残ったハマグリを、この鶏肉と一緒に買ってやるから。半額シール、さっさと貼れったら」
半額じゃない。貼るにしたってまだ20%だ。
とはぞんざいな口調で出かかったようだが店員はこの著名なクレーマーに対して極めて冷静に応対した。
もちろん「あんたの前では貼りたくない」とは言えないので、「まだ貼る時間じゃないんです」などとお茶を濁して。
ところがいくら説明しても、「シール貼れよ」の一点張り。
店員が怒りを黙って堪える間も、老人は馬鹿にした口調で店員を口汚く罵る。
「早くしろよ。お前は黙ってシールを貼ればいいんだ」
「売れ残りを買ってやるって言ってんだぞ」
「あんまり客をなめているとな、こっちの鶏肉だって買ってやらんからな」
勝ち誇ったように、持っていた特売の鶏肉を放った。
鮮魚のケースで売れ残ったハマグリの横に、鶏肉のパックは乱雑な音をたててほとんど落下する。
「あー、要らん要らん。こんな生意気な店員のいる店では鶏肉もハマグリも買う気が失せた。本部に報告だ。あー、腹が立つ」
老人が「本部に報告」といういつもの言葉を放った、そのときだった。
オレ、が意を決したのは。
自分じゃよくわからないけれども、ずっと横から見ていただけで、義憤に駆られたのだと思う。
無茶苦茶なクレームをつける老人に対してひと泡吹かせてやりたい気持ちや、困っている店員さんを助けたい気持ちがむらむらと、抑えきれなくなっていたのだ。
「じゃー、この特売の鶏肉とハマグリ全部、オイラが定価で買っちゃいまーす! うぇーい、サンキューでぇーす!」
突如横から出てきた金髪&鼻ピアスのチャラ男に、老人も、店員さんも、ずいぶん面食らっているようだった。
オレは鮮魚ケース内の鶏肉とハマグリを皆ひったくると、スーパーの出口へ猛ダッシュした。
レジのおねーさんに「釣りは要らねぇ!」と1000円札1枚を手渡してから、そのまま走って店を駆け出た。
老人の「返せ!」が後ろから聞こえてきた。
その声を耳にして、却って嬉しくなってしまったオレは、さっきの中年店員さんの溜飲が下がったであろうことを思い、ますます嬉しくなった。
鶏肉とハマグリを両手でわっしょい掲げながら、ぶはははは、と春の夜道を走って消えた。
翌日のことである。
代金が237円足りなかったことに気が付いて、朝イチで不足を払いに行ったのは。