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漁夫の利(古典ノベライズ前編)

 ちょうどスーパーマーケット勤務の中年男性が、黄色に赤字の割引シールを貼るところだった。
 春はアサリやハマグリの旬である。
 時季の旨いものを店ではたくさん売りたいから、どうしたって多めに仕入れたくなる。
 これは売り手の人情だ。
 しかし生モノは難しい。
 売れ残るよりは割り引いてでも売りたいけれど、貼らずに済むなら原価で買っていただきたい。
 これも売り手の人情だ。
 料理初心者にも扱いやすいためか、アサリはほとんど売り切れているが、今日はハマグリの方がだいぶ売れ残っているのだった。

 時計を見れば、夜も7時を回った辺り。
 やむなくシールに手をのばしたとき、中年男性店員は、見知った高齢男性がこちらをじっと見つめているのに気が付いた。
 すると男性店員の表情が、露骨に残念そうなものへと変わる。
 この老人は、ありていに言えばクレーマー。
 万引きこそしないけれど、店内で怒鳴り散らしたり、それを諫めた客を殴ったり、あるいは割り込み、逆ギレ、セクハラ発言と、地域ではなかなか有名な厄介者だった。
 そんな迷惑者に、安く買われたくはなかったのだろう。
 店員はシールを貼る手を止め、踵を返し、バックヤードへ向かっていった。

「おい、待て。そこの貝に、割引シールを貼れよ」

 右手に特売の鶏肉を持った老人が、偉そうな声でそう命じた。

(明日へ続く)

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