言葉とデザインが同じ生産ラインで手を取り合う
電車に乗ると視線は上。
広告を一通り眺めてしまうのは、クリエイティブ系の仕事をする人あるあるだと思う。乗車時間が長い時は1つ1つじっくり観察したりして、長時間移動も苦にならないので良い。
私は広告の企画や制作に携わった経験は無いのだが、求人メディア内に掲載する画像の制作や、Webサイト、広報誌などの制作を経験してきた。『情報を伝達し何かしらの行動を促す』と広く捉えれば広告制作と共通する部分も多く、やはり電車内の広告は気になる。
広告の構成要素を、すごーくざっくり分解すると「文字」と「デザイン」。
「文字」と一括りにしても、キャッチコピーも文字だし、開催日時のように事実を伝えるための情報も文字。同様に、「デザイン」にもイラストや写真など多様な要素が含まれているので、本当にかなりざっくりした分け方をしてしまった。
というのも、今日は文字とデザインが手に取り合った時に起こる良いことや、手を取り合えない時の残念なことに少し触れてみたくて。
「言葉とデザインは協力し合う」に共感
昨年、宣伝会議が開催する3日間のコピーライター養成講座に参加した。コピーライターになるわけではないが、デザインを深めるために文字や言葉でのアプローチにも触れたかったからだ。
その時の講師がおっしゃっていた「言葉とデザインは協力し合う」に、当時とても共感した。コピー自体に力がある場合には、コテコテとデザインする必要なんてないという話もあった。
言葉→デザインのバトンリレー
伝えたい文字情報を受け取ってデザインするというのが普通の順番だ。プロジェクト進行の都合上、ダミーテキストのままでデザインを進めることはあるものの、それでも最終的にはやはり文字→デザインの順で調整が発生する。
ちなみにダミーテキストだと根拠あるデザインできないという時もある。たとえば、コンセプトメッセージのようなセクションの場合、入る内容が「お客様と共に歩んできた30年」なのか「固定概念を壊し、新たなステージへ!」なのかで、どうデザインするかは変わってくる。
仮に、何かしらのメッセージ的なものが入りますよ、しか決まっていない状態でデザインする場合、なんとなく整えてかっこいい感じにしとくか…という具合になってしまう。「使う材料は何でも良いし特に誰からの注文も無いんですけど、とりあえず美味しい料理を作ってください」という状態だから。
そんな経験もあり、コピーライター養成講座で言われた「言葉とデザインは協力し合う」はストンと落ちた。
フォントサイズ変えるだけでも変わる
言葉だけでは表現できないニュアンスをデザインの力で加えることもできる。たとえば「スピノサウルスが一番かっこいい」という文章で伝える印象を考えてみる。(私は恐竜が大好きで、特にスピノサウルが好き🫶)
「スピノサウルスが一番かっこいい」▼
枠いっぱいに巨大にしてみる。
文章は全く同じだが、フォントサイズが巨大になっただけでも、「スピノサウルスが絶対に一番です。異論は認めませんよ。」みたいな圧、勢いが加わった感じがする。
デザインで台無しになってしまうことも…
また、デザインで余計なことして台無しにすることもある。フォント選び1つでもすごく大事。やや極端に例を示すとこんな感じ。
例:「お客様と共に歩んできた30年」▼
フォント自体が持つ雰囲気は柔らかくて素敵だが、内容とマッチせず、30年の重みを感じない、むしろちょっと軽い印象…?
例:「上質な手触りにうっとり」▼
こちらもポップで可愛いフォントだが、上質感はあまり伝わってこない。繊細で洗練された印象を伝えたいであろう言葉に対して、ちょっとたくましい…。
※一般的感覚での例示なので、こういう内容でこのフォントを使うのは絶対ダメ!という話ではなく、全体として意図があり目的が果たされるならOK。
例示が極端すぎたかもしれないが…。理由なく漠然とした" デザインした感 " を求め、珍しいフォントを使ってみたり、装飾してみたり、コテコテと色々やることで、言葉を台無しにしてしまうことがある。
デザイン初心者の時に「このデザインは後ろに写真を置いて、その上にコピーを置いているだけ。大して難しそうなことしてないのに良い感じだなぁ〜」と思ったことがある。当時はなるほどシンプルな方がかっこいいんだな!と表面的な解釈をした。「写真の上にコピーを配置」という表層だけ真似て、自分のデザインはなんか微妙だと悩んだ。
その時は理解できなかったが、「難しいことしてないのに良い感じ」と思ったデザインは、コピーと写真とが手を取り合って訴求力を増していたのだろう。コピーを配置します、後ろになんとなく写真を置いときます…ではなく、コピーにスポットを当て、余計なことはしない意図のデザインだったのだろう。
だから色々なデザイン技術を施せば良いわけではない。やはり、伝えたいことがあって、そのためのデザインだ。noteのサイトのHOMEは以下のようなデザインだったが、これを見て「白地に文字を置いただけで手抜きじゃない?」なんて感じないと思う。
「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」というミッションが真っ直ぐに届いてくる。
言葉とデザイン、仲良く
最終的に、言葉とデザインが同じ生産ラインで手を取り合い、一つの完成形に向かう時、特別な喜びがある。
素敵なコピーや原稿を受け取ってデザインする時には高揚感がある。また、デザインが仕上がった際にライターさんから「私の文章が生き生きと見えて、魂が吹き込まれた感じがする」と喜んでもらえた時は本当に嬉しかった。
言葉とデザインの協力関係、素敵。書かれている内容が平凡なのに「尖った奇抜なデザインで」と要求されても難しい。(小手先で見栄えの奇抜感を施すことはできるかもしれないけれど…)
また、心に響く魅力的なコピーに対してデザイン工程で妙な味付けをすれば、言葉の持つ魅力を損なうことにもなりかねない。
だから、言葉を丁寧に扱いたいなと思っている。
今日は言葉とデザインの話をしてみた。では、今日もお疲れ様でした!