母の憂いと後悔
ここ数日、自らの愚かさ、怠慢さを後悔した話をしたいと思う。
(病んでるわけではないのでその辺りはご心配なく!)
日曜日、お昼の12時。
朝の離乳食から3時間ほど経過し、そろそろ息子の腹の虫が騒ぎ出すころ。
いつも通りの要領でミルクを用意した。
哺乳瓶にほほえみのキューブを5つ入れ、ケトルで沸騰したお湯を150mlの目盛りまで注ぎ、50ml分のミネラルウォーターで湯冷し。
残った熱は水道の冷水で少しずつ冷やし、適温まで調整する。
できたよ〜と息子に声をかけ、授乳枕を腰にセット。
息子を横抱き体勢で引き寄せ、哺乳瓶の乳首を口に寄せる。
本当にいつも通りだった。
なのに息子は首を激しく振って拒否したのだ。
まさに青天の霹靂。
なんの前触れもなかった。
昨日までは同じ哺乳瓶、同じミルク、同じ入れ方飲ませ方で、喉を鳴らしながら一気飲みしていたのに。
目を固く閉じて眉間に一文字ができているし、口をいーっとして飲んでやるものかと強い意志を見せる息子をみて動揺した。
ひとまず母乳で再チャレンジしてみると、これは問題ないようでしれっとグビグビ飲み始めた。
よかった……と胸を撫で下ろす思いがしたのも束の間、すぐに不安が襲ってきた。
次の保育園は明日に控えている。
それまでに気分が変わってまた飲み始めてくれれば…と思いつつ、嫌な予感が胸の奥でひしめいているのを感じずにはいられなかった。
息子が哺乳瓶拒否を始めて4日目の水曜日。
発熱疑惑で月曜日は保育園お休みになったのだが(それも別の記事で書こうと思う)、無事登園できた火曜日からも相変わらずミルクを飲んでくれず、保育園でも嫌がって全く口にしてくれなかったという。
幸いミルクをスプーンですくって口に運ぶと、これは問題ないようで飲んだようだが、それでも10〜20mlそこそこの話でいつ脱水症状になってもおかしくない。
帰宅してから手洗いうがい、着替えを済ませ、速攻で母乳を飲ませるのだが、やはりお乳の出が間に合っているのかすごく不安だった。
自分で乳首をぎゅっと押すと滲んではくれるが、先日まで1日に500ml近くミルクを飲むこともあった息子のお腹を満たせているのか。
加えてもう一つ大きな変化があった。
息子のうんちが見たこともないくらいに硬くなったのだ。
臭いも大人のものに近い感じになっていて、色も濃い。
さらにおしっこの色も今までにないくらい濃くなっていて、おむつにオレンジ色のシミができていたこともあった。
調べると、どうやら「尿酸塩」と呼ばれ、脱水症状にならないように身体が尿の濃度を調整しているときに出るものらしい。
(下記リンク参照)
このサイトには心配することはないと書かれているが、明らかに完母にしたせいだよなとさらに不安を煽った。
自宅でもあらゆる手を尽くして解決策を模索した。
哺乳瓶の乳首を新しいものに替えてみたり、スパウトマグというコップ飲み練習アイテムを試してみたり、ミルクの銘柄を変えてみたりした。
でも、やはり息子は頑なに口をつぐんで嫌がる。
まん丸だった息子のお腹が、どんどんと小さくなっていく(ように感じられた)。
いつもは上機嫌で過ごしてくれるのに、このところぐずりが多くなり不安な表情も増えたような気もする。
このまま息子が飢え衰えていくのを親としてなにもせずに傍観するしかないのかと、最終的には最悪の結末まで想像が思い至ってしまった。
そんな中、哺乳瓶嫌いの口コミ相談ページを身漁っていると、「哺乳瓶の乳首のサイズを大きくしたら解決できた」と書かれているのを目にした。
まさかと思いつつ使用している哺乳瓶サイズを見ると、生後5ヶ月までのもので息子の月齢には小さいみたいだ。
「そんな単純なことかな」と夫が言うのを尻目に、すぐさまワンサイズ大きいものを購入し、息子の口に運ぶ。
すると、最初こそ訝しげな表情をしたものの、すんなりと口の中に迎え入れ、以前のようにグッグッと勢いよく飲み始めたではないか。
息子を空腹と喉の渇きで苦しめていたのも、数日間どうしようもない無力感に苛まれていたのも、全て私自身の慢心によるものだった。
こんな単純なことで。
「そんなはずは」という勝手な勘違いが、自分の生命よりも大切な息子を脅かしてしまった。
人間として、母として、あってはいけない愚行だったと猛省するとともに、息子の日常を取り戻すことができたことに言い知れない安心を覚え、涙がこぼれた。
あれから数日。
全ての乳首を替え、一日に数回ミルクを与えているが、今の所変わりなく息子も元気に過ごしている。
うんちやおしっこの状態も以前通りになり、ニコニコ元気にずり這い行進に励んでいる。
母になり6ヶ月。
息子のいる生活に慣れ、育児についてかなり知り尽くしているような気になっていた。
しかし驕ってはいけない。
息子と共に今日を元気に生きられることは決して当たり前なんかじゃないし、恵まれた日常を継続するためには手を抜くべきでないことがあるのだ。
常にガチガチになって過ごす必要はないかもしれないが、母親としてすべき最低限ができていないとある日突然息子を失ってしまうこともある。
もちろんそうならないために私自身が心身ともに健康でいるべきだということは言うまでもないが、母の甘えに息子を付き合わせてはいけない。
慢心は悪。
日常にこそ感謝をし、日々母親として精進しているという謙虚な心を忘れずに、息子を守っていきたい。