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【極私的読解】夏目漱石「夢十夜(第一夜)」をこう読む③

こんばんは、藤江なるしです。

今回は、夏目漱石「夢十夜(第一夜)」の極私的読解の3回目です。

その前に、もしよろしければ私が読みましたモノローグ朗読でも、どうぞひとつ。再生回数100回突破。うれしい。

前回は題材冒頭、瓜実美人に「もう死にます」とか言われちゃったりなんかして、どぎまぎ腕組なんかして神妙な空気感を出しているところですよ。

この「もう死にます」は、もうすぐ死んでしまうという『必然の死』ではなく、もういっそ死ぬことにする、という『意思を持った死の選択』ではないか、と解釈したところです。

では、続きを進めていく前に、いつものやつ。

【青空文庫】※先に全文読みたい方はコチラ。

※題材はパブリックドメインを使用しております

そしてこれもいつもの通り・・・

※この読解はあくまでも個人の見解ですよ

漱石研究者の皆さま、純文学フリークの皆さま、どうぞ暖かい眼差しでほほ笑んでおくんなせい。あの・・・菓子折りも用意しております。

では始めましょう!台本(1ページ目)カモンッ!

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【07】矛盾から見えてくる女の覚悟

台本7行目「とうてい死にそうには見えない」

前センテンスで語られている、頬の血色のある温かみ、唇の赤さから「自分」が感じた女の印象です。女の艶やかさ、それは生気に満ちたものだったようですね。

しかしその次の行(8行目)。「もう死にます」の言葉を聞いた「自分」はこう思います。

「確かにこれは死ぬな」

えー死にそうなの、死ななそうなの?
どっちよーッ!?

これが正に【05】で言及した『「死ぬ」ことを選んだ女の覚悟』の解釈に繋がるわけです。生気ある見た目とは裏腹に「もう死にます」という言葉には有無を言わさぬ凄みがあったから「これは死ぬな」と思わされた・・・という事じゃないかな。

 

【08】聞いて・・・見る。

この時代の文章ならばそのように記述するが一般的かもしれないのですが、10行目「聞いて見た」という言葉。ちょっとだけ気になりました。

ご存じの通り「~てみる」は、「ためしに~する」といった意味を持つ補助動詞。しかし現代では・・・あまり「見る」という漢字は使わない気がする。明治時代の漢字については分からないですが、或いは意図的に「見る」を用いたのではないかとも思いました。

というのは理由がありまして。確かにここは、寝ている女に対し覗き込むように聞くシーンですが、この後さらに「見る」が強調される描写が入ります。(次回取り上げます)

なので「相手を見つめる」というニュアンスも含めて、この表現にしたと推測。これで「明治時代はこの表記が一般的ですよ」って言われちゃあ、超どハズいですが。その時は屋台引っ張って夜逃げします・・・

 

【09】続・ポジティブ死にます発言

「もう死ぬのかね」と聞いて見たアンサーとして、女は「死にますとも」と言うのですが、この時のリアクションが11行目「ぱっちりと目を開けた」

ここでも生気ある女の描写が入ります。普通に死にそうな人だった場合の行動としては矛盾したように見えます。

病気のように回避できない死・・・つまり『消極的な死』ではなく、意思を持って死を選択する『積極的な死』が、ここでも見えてきます。【05】や【07】の解釈を裏付けするポイントです。

さて、ここでこう思われる方もいらっしゃるかもしれません。

『積極的な死』って、つまり『自殺』って事でしょ?

ぐぐぐ・・・そう言われると身も蓋もない。でも、ちょっとニュアンスが違ってて、『自殺』ってのはそこで終わりです。ジ・エンド。だから、何かに追われたり、逃げた先にある事が多いです。

しかしこの「夢十夜(第一夜)」における死は続きがあります。というか『死』の先にあるものを求めて女は死ぬ、と解釈しています。これが【02】で言及したこの題材最大のテーマ『女はなぜ「死ぬ」のか?』に繋がるわけです。

これが為せるのは、この作品が『夢』であるからこそですね。


【10】ドラマにするために注意した点

この読解は『モノローグ朗読』をするための前段階として行っていたものを、読み物として記述しております。

『モノローグ朗読』とは私の造語です。私は舞台演劇出身で、10年のブランクを経て表現活動を再開しようと思っています。コロナ禍もあって、最初に挑戦したのが朗読なのですが、できるだけセリフや話し言葉に近い形で取り組みたいという事もあり『モノローグ(独白)』という言葉を頭に付けました。(本来の朗読とは、役を演じるというよりは朗々と読み上げるものと認識しております。)

それを踏まえて。

ここまで見てきた通り、この作中は「自分」目線で女の様子や今の状況が語られ、時間が進んでいきます。ここで注意した点。

「その時の様子や現象をただ語らない。」

身の回りの変化、女の一挙手一投足に「自分」がどう感じているかを大切にして読んでいきたい。周りに起きている事がドラマではなく、「自分」がどうなったかがドラマである題材だと思っています。そこを表現したいとそない思っておりまする。

 

ちょっと今日はたくさん書きました。読んでくれる人いるかな?
さて次回は、いよいよ「自分」の心情にも変化が・・・フフフ。

次回もお読みいただければ幸いです😀

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藤江なるし
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