あってもなくてもいいくらい可愛い:思考の切り替え研究室
こんにちは
思考の切り替え研究室
室長のりなです・・・
・・・思考の切り替えや
人の心や精神世界について学び
人生を楽に楽しく生きる方法について
ひとり密かに研究しています。
今回も
その研究に関することを
書いていきたいと思います。
気が付けば私たちは
自分が思っていること・・・
いや、感じて思った後に
今のは思って良かったの?
思っちゃいけなかったんじゃないの?
良かったの?悪かったの?と
ジャッジするクセがあると思います。
思った後なのだから
それがどんなことでも
後の祭りなのですけれど。
そのジャッジを
繰り返してると
自然になにかを
思ったり感じたりする自分を
責めてしまうことになり
日々はどんどん
辛くなっていくのですよね。
常に自分の中の
拘っているルールに対して
合っていれば自分を好きだし
合っていなければ自分を嫌う。
それで自分で自分を
否定したり批判したりしている。
それってちょっと
窮屈な感じがします。
そして辛いです。
私たちって
デフォルトで自分を肯定しているから
自分を批判したり否定したりすると
「ある」ものを「ない」って
言い張っているようで
摩擦を起こしてしまいます。
自分を肯定している私たちは
どんな自分でも肯定できるはずだし
自分の本質と
自分が拘ていることは
繋がってはないと思えば
どんな出来事に対しても
素直に扱っていけるのかも、と思います。
「あってもなくてもいいくらい可愛い」
という言葉を
母のお母さんがよく言っていたと
時々聞くのだけれど
何度聞いても
なにそれどうゆうこと?ってなって
母に聞いても
意味は分からないと言いいます。
でもこれって
どんなことがあっても
どんな気持ちでいても
どんな子でも可愛いよ
愛してるよ・・・と
そういう言葉なのではないかと
私は勝手に思うのです。
どんな子でもいいよ
というのは
無条件に愛しているよ
ということですよね。
「あってもなくてもいいくらい可愛い」
とてもシンプルだけど
その言葉の中には
大きな無条件の愛があって
こんな素敵な言葉を
私の母は言われていたんだと思うと
なんだか泣きそうになってしまいます。
当の本人は
意味が分からなかったようですが(笑)
きっと言葉で説明できなくても
想いは伝わっていたと思います。
だって母も
私たちや孫たち
親族の子どもたちに会った時
可愛くて仕方がないという表情で
その言葉を掛けているのだから。
その愛の言葉を
自分にかけてあげても
いいんじゃないかと
私は思います。
「あってもなくてもいいくらい可愛いよ」
「どんなことがあっても
どんなことを感じても
何かを成しても成さなくても
私は私を好いたりしないし
私は私を嫌ったりしない。
なぜなら私は価値そのもの
愛そのものだから
それが無条件の愛だから」
その考え方を持った上で
自分が素直にやりたいと思うこと
それをやっていけば
この人生は楽になっていく
そんな気がしています。
私も今
その考え方で
生きることを実践しています。