エゴイスト(本ver.)
高山真氏著「エゴイスト」を読了したので、その感想を綴ろうと思う。
先日この「エゴイスト」を元に制作された映画を観に行ったのだけれど、観賞後真っ先に原作を読みたいと思った。
感想記事↓
映画館近くの書店にはなく、「これでダメならAmazonかなー」と、ダメ元で地元の本屋さんに電話したところ、「現物があります」とのことですぐに購入。
あらすじ
より浮き彫りになる主人公のエゴ
原作を読んでいてまず思ったのは、映画よりもかなり赤裸々に浩輔の心の内が明かされている、ということ。
それに伴い浩輔のエゴイストっぷりが嫌というほど堪能出来る。
もちろん映画は映像作品だから、セリフよりも映像で魅せるところはあると思うし、ある程度は綺麗なものとして表現しなければならないとは思うけど、それにしても映画では味わえなかった原作の荒々しさや情動の激しさには、驚きが隠せなかった。
例えば、龍太を月10万で買うことが決定した後、自分も生活を切り詰めなきゃいけないのに龍太の母親のためにお寿司の具を大量に買ってみたり、オーブンレンジや車を自分がしたいからと強引にプレゼントしてみたり。
自分が出来なかったから無理やり龍太の母親を自分の母親に置き換えている感じ。
確かに、この部分は映画でもあったけど、文章で読むと余計に浩輔の(言葉を選ばずに言えば)自己中心さを感じ、エゴイストという題名も頷ける部分だった。
また、浩輔は龍太の異変に気づいていながら、2人でいる時間を選んでしまう。
病院に行くことを勧めることだって出来たはずなのに。
浩輔は清々しいまでにお金や、物を渡すことでしか自分の愛を伝えることが出来ない。
学生時代から自分の本当の姿を抑圧してきた浩輔の、自己表現の不器用さを感じる場面である。
病気と貧困と孤立
この作品は同性愛がテーマである一方、裏テーマとして“貧富の格差“があるのではないかと私は思っている。
主人公浩輔が東京で悠々自適の生活を送り、男1人をお金で買えるほどの余裕があるにも関わらず、龍太は母親にちょっとしたお土産を買うことも躊躇してしまうくらい、お金に困っていた。
映画ではこの表現を階段の段差や、マンションとアパートなど物理的な高低差で描かれていたけれど、原作ではちょっとした日常の描写を繊細にピックアップすることで表現されていた。(例えばオーブンレンジがない台所であったり、小菊が1ヶ月前から萎れていたり)
それでも中村親子は慎ましく幸せに暮らしていたけれど、龍太が突然あの世に旅立ち、母親もまた癌に侵されていく。
貧しいものはどんどん貧しくなっていき、
助けを求めることもできず孤立していく。
そんな日本の課題が浮かび上がっていた。
親子の絆
龍太が亡くなった後、どんどん衰弱していく龍太の母親を、浩輔は甲斐甲斐しくお世話する。
末期の癌で、対症療法(病気に伴う症状を和らげる、若しくは消すための治療。根本的な治療にはならない)しか出来なくなっていく龍太の母親。彼女の病室には他にも入院患者さんがいて、その1人からお見舞いに来る浩輔のことを「息子さん?」と聞かれる。
最初のうちは、浩輔も龍太の母親もそのことを丁寧に否定していたが、ある時から龍太の母はその言葉を肯定するようになる。
それは面倒臭くなったわけじゃない、本当にそう思っているのだ。
浩輔が彼女にしていたことは、母親のもしかしたら代替えに過ぎないのかもしれない。
だけれど、その行動が彼女を救い、やがて愛に変換された。
血の繋がりがなくとも、例え人生のほんの一時の関わりだったとしても、その瞬間瞬間の密度が高ければ親子としての絆を築けるーー。
最後の章、1ページ1ページ捲る度に私の目からは大粒の涙が零れ落ち、浩輔と母親の愛が心を貫いた。
最後に
こんなにも自己中心的で、こんなにも愛に溢れた作品を私は読んだことがなかった。
愛とは何か?
それは永遠のテーマではあるけれど、この作品はその一つの答えではないだろうか。
この原作の最後に、映画で浩輔を演じた鈴木亮平さんの言葉が載っているので紹介したいと思う。
愛が何か、深い沼に溺れそうになっているあなたに是非。