誰かになれたなら
自分じゃない誰かになれたなら。
ふと想いに更けるときがある。
世界は違って見えるのだろうか。色は匂いは、感じ方は……。
でも、想像する自分じゃない誰かは、いつも、イケメンであったり美女であったり、スポーツ万能であったりスタイルよかったりで、「僕はいったい人生に何を求めているのか」とガックリくる。
なってみたいなと思う人たちの見ている景色が、「確実にいいものだ」と隣の芝は青い症候群。
そんな、自己肯定感爆下がりな妄想内でも、実は、こうも考えている。
もし、本当に他の誰かになれたなら、愕然とするかもしれないと。
世界はこんなに酷いのかと……。
今、僕が見ている景色が最高域なんじゃないかって。
人をうらやみ、憧れた世界は、そんなでもないかもしれない。
今、空を見上げて「キレイだ」と感動する心は、僕という存在を通してからこそなのかもしれないと。
ひとりひとり、きっと見ている世界は違う。
その人だからこそ、見ることのできる唯一無二の景色。
私は、こう見えるよ。
僕は、ああ見えるよ。
きみは? あなたは?
互いが互いに見る景色を語らい、尊重し合い、世界が広がる。
僕は僕。あなたはあなた。
だから、いい。