大江健三郎作『ヒロシマ・ノート』を読んで
まず、『ヒロシマ・ノート』との出会いを説明しようと思います。
以前から私は大江健三郎さんが好きで、おそらく5冊ほど文庫本で読みました。
息子との共生や父親のことなど、個人的なことを徹底的に書いて、その感情の動きに感動していました。
何度も大江健三郎さんのWikipediaを読み、大江健三郎さんとはどんな人なのかを想像していました。
もっと大江健三郎さんについて知りたい。
大江健三郎さんを好きな人にはどんな人がいるのか。
(私の今の周囲には、読書をするという人は一定数いても、大江健三郎さんが好きという人はいません。)
大江健三郎さんに関するNHKの特集を、NHKオンデマンドで視聴していました。何人かの著名人と一部一般の方が、大江健三郎さんの作品について感想を述べるという番組構成でした。
そこで、『ヒロシマ・ノート』が紹介されていました。
私が読んだ、大江健三郎さんの最後の作品『水死』の中には
主人公、おそらく大江さん自身を投影した存在が、クラシック音楽を聴き、
ナショナリズム的な意識の高揚を感じ、
一方で、その意識の高揚を恥じるという感情が描写されていました。
不思議でした。
私の大江健三郎さんのイメージは(Wikipediaなどの情報から)、ナショナリズムに傾倒する人ではないものでした。
大江健三郎さんの作品を読みながら、大江さんが戦争や天皇制、日本の近代、戦後の流れについてどう考えていたのかを知りたくなりました。
『ヒロシマ・ノート』は小説ではありません。広島に大江さんが実際に行って、原水爆禁止大会に参加して感じたこと、実際に原子力爆弾の被害に遭った人を治療していた医師の話を聞いて、患者と会って考えたことが書かれています。
大江さんの取材の結果、考察したノート。ある種類のエッセイという感じの書物です。
広島ノート読んで、私は自分の日記に、
・情けない
・卑怯
・記録をとるという、もっともストイックな自己証明
・現実的に 目の前の 手探りに
と書きました。
卑怯で情けない私を発見し、それでも私に少し自信を持てました。
もう一つ今、振り返って記憶に残っているのは、奇形児を産んだ、自身もケロイド状態の母親の話です。限界を超えたその先の絶望的状況に、人間の勇気と新しいヒューマニズムを見るという話が私の心に残りました。
(奇形やケロイドという言葉は、文中そのままを引用しています。現在はこのような言葉は使われず、より細分化された疾患名が代用されるとのことです。)
2年ぐらい前の私は、綺麗なものを望んでいて、綺麗であることに価値を置いていました。
環境の変化、小説を読みながら、私の感性は変化していきました。
絶望する状況の中で、暗く光る一粒の何かにすがる気持ちが、人間としてとても大事なのではないかと考えるようになりました。
(読書中、ノーベル賞の報道があり、日本原水爆被害者団体協議会が平和賞を受賞しました。また、衆議院選挙が開始されました。
今、私は、大江健三郎作『沖縄ノート』を読んでいます。)