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村弘氏穂の『日経下段』2017.4.1~

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土曜版日本經濟新聞の歌壇の下の段の寸評
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2017年11月の記事一覧

村弘氏穂の日経下段 #35(2017.11.25)

村弘氏穂の日経下段 #35(2017.11.25)

死んだ蝉羽根が壊れて青白い抜け殻ももう壊れたろうか
(東京 田中有芽子)

 過ぎ去ったひと夏を懐古しているようにも読めるが、失った大切なひとを追慕しているのかもしれない。それとも「青白い抜け殻」は青春のメタファーだろうか。そこにまだある壊れた羽根、そしてもうない抜け殻と、甦らない小さな生命をじっと見つめつつ、帰らない季節を遡っているのだ。朽ち果ててゆく亡骸を憂うばかりか、誕生した証でもある抜け殻

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村弘氏穂の日経下段 #34(2017.11.18)

村弘氏穂の日経下段 #34(2017.11.18)

約束と決まりの嫌いな君の書く婚姻届けは偽札のよう
(横浜 檜澤さくら)

 婚姻届とは云わば現在から未来への口約の束であるが、その束の全てが偽札だという。ここでいう「偽札」は「儀礼」の化身なのだろうか。残念ながらそれでは法律上の効力が発生しない。そんな婚姻届が偽札という喩えからは鋭敏かつシュールな感覚が窺えるのだが、読後には「君」との今後に対する作者の不安感が浮上して胸を打たれる。初句の約束と結句

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村弘氏穂の日経下段 #33(2017.11.11)

村弘氏穂の日経下段 #33(2017.11.11)

水に水かさねるように抱き合うふたりのことを月はみている
(釧路 北山文子) 

 見ずに見ず薄暗闇で抱き合う二人をそっと見てる眉月。「水」の解釈に多様性があって美しくも愉悦を覚える一首だ。「水」は若さの象徴でもある。人間の体の水分は若ければ若いほど多いのだから。そして人間は水中で誕生した生命体を祖先にもつ生物でもある。しかしそのように若くて麗しい「人と人」であっても「水と水」に成り得るのは相思相愛

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村弘氏穂の日経下段 #32(2017.11.4)

村弘氏穂の日経下段 #32(2017.11.4)

呼ばれても振り返れないイチョウには銀と杏と想い出の人
(東京 瀬戸えみり)

 秋冬の銀杏並木をゆくひとは振り返らずに春へ駆け出す。なぜ振り返ることが出来ないのだろう。なぜ銀杏を銀と杏に分けたのだろう。その心情は全てこのトリックアートのように巧みなレトリックを用いた作品の中にある。しかしよくこれだけの切ない詩情と恋物語を定型に収めたものだ。ぎんなんはおそらく追憶における苦味を含有する種子であろう。

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