村弘氏穂の日経下段 #34(2017.11.18)
約束と決まりの嫌いな君の書く婚姻届けは偽札のよう
(横浜 檜澤さくら)
婚姻届とは云わば現在から未来への口約の束であるが、その束の全てが偽札だという。ここでいう「偽札」は「儀礼」の化身なのだろうか。残念ながらそれでは法律上の効力が発生しない。そんな婚姻届が偽札という喩えからは鋭敏かつシュールな感覚が窺えるのだが、読後には「君」との今後に対する作者の不安感が浮上して胸を打たれる。初句の約束と結句の偽札の間に挟まれた五つの言葉は、全てカ行であることも哀調を帯びた理由のひとつで、もの悲しさを演出しているのだろう。だが、この作品も短歌の「約束と決まり」を軽々と破った五・八・五・八・七の形式なので、実際には作者と「君」は決まりが嫌いなもの同士である可能性も否めない。気質が似通っている二人の心が、末永く通い合うことを願うばかりだ。
エレベーター蕾のように夜にのびて花びらひらくはるか海まで
(古賀 砂山ふらり)
群青の天に伸びゆくプルメリア咲いて晴るかすこころの蕾。エレベーターを花の蕾に喩えてしまう凄腕の作者は、今まさに妖艶な恋に酔いしれている状況なのか、山ねこハイボールで泥酔状態なのか、そのどちらかだろう。天に向かう蕾といえばプルメリアを想起する。その爽快な花色は海との相性もぴったりだ。タワーの展望台から海を眺めるというよりは、最上階に幻想的な海が広がっているようなイメージが鮮やかに浮かぶ。蕾、夜、花、海、という単漢字のみを作中に表記した手法は、高速エレベーターが静かに、そして軽快に上昇してゆくビルの通過フロアを現しているようだ。プルメリアの花を髪に挿しているであろう作者が抱いている、天上の楽園に辿り着くまでの高揚感を読者も共有できてしまう一首だ。
ラッシュ後の駅にはいろいろ落ちていて今朝はゼムクリップと名刺と歯
(東京 古賀たかえ)
上の句の「駅にはいろいろ落ちていて」という字余りかつ、雑ともいえる表現が、実は雑踏のあとのプラットフォームを巧みに照らし出している。さらに作品の末尾に、やはり字余りでポツンと落とされた「歯」は三段オチの役割を見事に果たしている。実際それが天然歯だろうが人口歯だろうが、紛う事なく落ちた「歯」なのだ。たぶん電車の歯車のことなんかではないだろう。ところで、この朝落ちていた三つ、「クリップ」は挟んだり掴んだりして留め置くための器具であり、「名刺」は相手の心を掴んで留め置くためのツール、「歯」は言うまでもなく上下で挟んで咀嚼するための器官だ。つまり素材も用途も異質でありながらこの三点は、何の関連性もないわけではない。故にそのことも私のコメント欲をしたたかに掴んだ理由のひとつになった。様々なストーリーが存在する駅における様々な電車でも駅員でも乗降客でもない、様々な遺失物にスポットをあてた事で、もうひとつの世界を見出して、急がない読者をしっかりと得たのだ。