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デブと貧乏


⚠️ちょっとだけ汚い話とかも書くかもしれないので、読むタイミングに気を付けてください⚠️



世界基準で見ても、
「貧乏な人は、栄養素のある物よりも、安価でお腹が膨れる物を選んで食べる傾向が強いから太りやすい。」
という話は、本当なんだと思います。

ただ、それよりももう少し深い部分に切り込んだ話を書いていきますね。

先に書いた通り、貧乏な人は
『できるだけ安くてお腹が膨れる物を食べよう!』
と考えがちな人が多いのは事実なのではないでしょうか。

そんな中で、【安くて満足感を覚えやすい物】と一言で言っても、
・嵩が多い物
・味の濃い物
・沢山噛まなければならない物
・栄養価が高い物

などなど、何を持って満足感が得られるのかが異なれば、選択する食材は自ずと変わってきます。

この点をまずは念頭に置いた上で、この話を読み進めてみてください。



私のブログを何度も読んだことがある人はご存じだとは思いますが、私は子供の頃から肥満児だった、ポッチャリ体型のプロです。体型の変動が激しかったりもして、何気に
『何故太るか?痩せるか?』
という原因に結構詳しいです。

少し前に書いた記事の内容、
[意識を外側に向けていると太りやすくて、意識を内側に向けていれば痩せやすい]
ということを理解してからスルスルと痩せ始め、最近はまぁポッチャリからは抜け出てないんでしょうけど、ほぼ普通体型に近付きました。

『あぁ、ベルトって必要な物なんだな。』
って理解する時期ですね笑

そんな私なので、基本的にデブ側の視点で書いているということも一応先にお伝えしておきます。



そう。私もしっかり
『より安くて沢山食べられる物を買いたい!』
と、つい考えてしまいやすい人間なんですよね。

私個人の中で、

食べごたえがある物=量が多い物

ということを真っ先に考えてしまう派です。とにかく質より量を食べたい、そんな卑しい意識を持ってる自覚があります。

↑この手の人間がまず
『痩せたい!』
と考えたときは真っ先に
『食べる量を減らさなくては!』
と考えてしまいやすい人が多いのではないでしょうか。私は完全にそのタイプでした。

『よし、痩せるために食べる量を減らすぞ!』
と、考え、
『食べてはいけない!』
というストレスと戦いながら、折角食べられた物に対しても
『これじゃない、物足りない、美味しくない!』
のようにフラストレーションも抱え続けるため、挫折しやすかったり、目標体重まで痩せてもすぐにリバウンドしやすくなります。

そしてこのタイプは恐らく、お金に対しても
『自分にはお金が無いのだから、買わないようにしないと…!』
と考えがちな人が多いと思いますが、どうでしょうか?

『痩せるために食べることを控えないと…。』
『手元にお金を残しとくために出費を抑えないと…。』
思考パターンが同じなんですよね。



ですが、ダイエットも、金運も、

[出すことを優先的に考える]

のが最も重要なんです。

痩せたいのであれば、
『よし!まずは身体の中の余計な物を自分の中から出すぞ!』
と真っ先に考えた方が結果が早く出やすいんですよね。汗なんかも勿論そうですが、一番簡単に沢山出せる、便を沢山出すことを目的に掲げると、体重も体型も変化しやすいのです。

『便を沢山出すぞ!』
と目標に掲げると、水を沢山飲んだり、食物繊維が多い野菜や果物を積極的に捕るようになったり、自ずと自分の身体に入れる物の質を変えたくなってしまうんですよね。不思議なことに、
『食べないようにするぞ!』
と頑なになるよりも
『便を沢山出すぞ!』
とイメージしてスタートした方が、変化した食事内容にストレスを感じないどころか、むしろ満足しやくすなるんです。

まるで北風と太陽のお話と同じです。

お金も同じなんですよね。
『まず、自分の手元にある、余計な物を手放すぞ!』
と、捨てたり、場合によってはリサイクルショップに売ったりするところから始めた方が、
『自分はこんな無駄な物にお金を使っていたのか!』
『リサイクルショップなどで売っても二束三文にしかならないのか…買うときはもっと慎重に選ぼう。あと、手入れも丁寧に行おう…。』
などなど、自分がどんな部分で無駄遣いをしているのか身を持って実感しやすいのです。すると必然的に
『買い物を我慢するぞ!』
ではなく、
『自分はどうせゴミにしちゃうんだから、必要無い物なんだよね。』
と、ストレスフリー、むしろ意欲的に買い物を止められるようになりやすい訳です。

お金に関して、もう少し深いことを言うと、引き寄せの法則の観点的には
[出した方が入ってくる]
のも当たり前なんですよね。今日はこの部分への解説は省略しますが、
「高気圧の場所から低気圧の場所に風が吹く。」
という理論と全く同じように、お金のエネルギーが外側に向いている場所にお金は流れて来やすいのは事実というとになります。

身体、お金、どちらにせよ
『出すことの方が大事なんだよね。』
と、理解している人ほど、太ってなかったり、お金持ちの確率が上がるのは何となく理解できたのではないでしょうか。デブも貧乏も
[余計なものを溜め込みやすい]
性質が強い人が陥りがちなんです。



次は少し視点を変えた話ですが、アメリカ人の肥満、日本人の肥満、そのレベルは明らかに異なりますよね。

これは勿論、遺伝子的に、日本人の身体がアメリカ人レベルの肥満に耐えられない、ということも大いに関係しているでしょう。日本人の遺伝子では、アメリカ人レベルの肥満になる前に死が訪れやすい人が多いという部分はあるはずです。

それ以前に、日本人の身体は牛乳への耐性がそんなに強くない…などなど、そもそも太りやすい食事を受け付けない人が多いという点も関係しているはずです。

何にしても、日本人の遺伝子が、肥満への耐性に弱いという性質の影響はかなりあるでしょう。



そんな中、日本人の食事、和食などを中心に、
【出汁が効いた食事】
をよく摂る文化が根強いのも、一部影響しているのではないでしょうか。

【安くてお腹が膨れる、満足感を得やすい食事】を選ぼうとした場合【味の濃い食事】を求める人も結構いると思います。

ところが、日本においては、
【塩味がしっかり効いた食事】
でなくても、
【出汁さえしっかり効いている食事】
であれば、塩味が少なくとも満足感を得やすい食事って多いんですよね。

アメリカを中心に、欧米諸国では、
味が濃い食事=塩味(もしくはスパイス類)がしっかり効いている食事
などに傾倒しやすいのですが、日本ではそうとも限らないということなのです。

【身体の中に余計な水分を溜め込みやすい塩味が強い食事】
を求めてしまうよりも
【出汁がしっかり効いた薄味の食事】
を求めている方が太りにくいのは当然ですよね。この点の差は地味に影響しているはずです。



また先程の話とは逆に、日本人の身体は塩分耐性が強く、沢山摂っても排出しやすいようにできている可能性もありますね。塩分だけを原因として太りやすい遺伝子ではないのかもしれません。

塩分耐性については置いておいても、
[子供の頃から出汁がしっかり効いた食事を摂る]
か否かは、その後の人生で結構影響が出やすいですね。

日本の家庭であっても、例えば貧乏な家庭で育てば、出汁(の素)を買うことを渋って出汁を使わない食事ばかりになるかもしれません。貧乏に限らず、ズボラな家庭でも出汁の味に触れる機会は減ります。そうして、【出汁の旨味】を知らないままに大人になると、

美味しい物=味の濃い物

という感覚が強まります。

私自身、料理が下手な祖母、母の元で育った人間で、相当な味音痴だったので、
『出汁が効いていれば美味しい!』
ということを全然知らずに生きていました。最近では、出汁の大切さや味の違いなどにも気が付けるようにはなってきたのですが、私が太っていた原因の一部にこの、
『美味しい物=味の濃い物!』
としか思えていなかった点は確実に挙げられます。

私個人的には
[出汁の旨味が分かるようになる]
[繊細な味の違いに気付くようになる]
には、一朝一夕では変われませんでした。結構時間をかけて味の深みに気付いていったように思います。なので、子供や若い内から、
【丁寧に作られた食事】
に触れる機会を持つようにすることは結構大事なんじゃないかと思いますね。勿論、誰かに作ってもらうのも良いですが、一番効果があるのは、自分で調理することなのではないかと思います。複数種類の出汁を日替わりに使ってみて味の違いを確認する、とか、使用する出汁や調味料の分量を毎回変えてみる、とか実験的な感じで試すのが一番自分の味覚を育てられるような気がします。

結構注意は必要ですが、断食や、塩抜きダイエットを安全に行った後に薄味の食事を心掛けるように取り組むと、ダイエットも味覚の育成も上手くいきやすいですね。味とダイエットは何気に密接な関係にあるんです。

貧乏だと、食事にお金をかけたくない気持ちが強くなってしまう人も少なくないのかもしれませんが、味のパターンは色々試して、違いを理解できるようになっておくと心に豊かさは増えますね。折角、手軽に多種多様な出汁を手に入れられる日本にいるので、何か1つ試してみるところから始めると良いのではないでしょうか。



そして味覚といえばそう。
【噛む回数】
によっても、味の感じ方は変わるんですよね。

[デブはあまり噛まない]
これもなかなか真理だと私は思っていて、
『食事を味わいたい。』
よりも
『食事を腹の中に入れたい。』
を優先している人は、太りやすい人が多いのではないでしょうか。私は完全にそのタイプです。

噛むことが満腹中枢を刺激するのは有名な話で、噛む回数が少ない人はなかなかお腹いっぱいになりません。だから食べる量が増えてしまいます。

あまり噛まないまま飲み込めば、その食事を消化するのに時間がかかってしまいますよね。これは単なる私の感覚に基づく話でしかないのですが、消化に口をあまり使わずお腹任せにしてしまうことで、必要な栄養素の吸収がおざなりになってしまう気がするんですよね。栄養素を吸収することよりも胃から腸、腸から外…と、流すことが優先されてしまい、栄養素を上手く吸収できないまま流れていってしまうんじゃないかって感じるんですよね。そうやって、栄養素が上手く吸収されないせいで身体が
『もっと栄養くれ!』
って、過食に繋がっている気がします。これはあくまで私の感覚の話でしかありませんが。

科学的にも、食事をする際によく噛むことによって、食品と舌が触れる時間が増えることから必然的に食品の味を感じやすくなるため、美味しさも感じやすいです。また、噛む回数が多いことが脳への刺激にもなるため、繊細な味なんかにも敏感になりやすいです。沢山噛むことで、食品の繊維を分解したり、唾液が出ることでデンプンを分解してくれたりと、味を隠している要素が破壊されるという点も、よく噛んだ方が食材の本来の味を上手く感じ取れる要因ですよね。

また私の持論ですが、長く噛んで美味しい物が本当に美味しい物、長く噛むとまずくなる物は美味しくない物なんじゃないか…とさえ考えています。

とにかく、食事で噛む回数が多いほど満腹感も、美味しいという満足感も感じやすい訳です。



貧乏…ではなかったとしても、兄弟が多い家庭などに見られる、躾が行き届いていない家庭なんかでは、大皿から家族が各々取っていくスタイルだと、奪い合いになってしまうため、食事を味わう暇がありません。取り合いになるので、速く食べることを優先してしまい、必然的に噛む回数が減ってしまったりします。貧乏というより、心が貧しい状態にあることで、噛む回数が減りやすいのではないでしょうか。

物理的にお金が無いから歯医者に行けず、歯がなくて噛めない…なんてケースも、世の中では0ではありませんよね。歯医者、延いては自分の歯にお金をかけることを渋っているせいで噛む回数が減ってしまうケースは確実に存在しているのです。

理由はこれだけに限らないでしょうが、心の貧しさから食べものにがっつき、あまり噛まずに飲み込むのが癖になっていて、そのせいで肥満を招いている人も確実にいるでしょう。鶏が先か卵が先か。早食いと肥満も、なかなか密接な関係性にある訳です。



本来、適切な回数で食事を噛んでいると、食事の嵩はそんなに無くても満腹になりやすいです。

ところが、しっかり噛んでいたとしても、やはりその食事内容に栄養素が足りなければ、過食に繋がりやすくなってしまいます。

『白米を大盛り、山盛りで食べたい!』
と思う人はいるかもしれませんが
『玄米を大盛り、山盛りで食べたい!』
とは…あまり考えられない人の方が多いと思うのですがどうでしょうか?

玄米は白米と比べ繊維質が多いことから、必然的に白米よりも沢山噛まなければいけない食材です。だから、白米よりも玄米の方が満腹感を感じやすい食材であることはまず事実としてあります。

ですがそれだけでなく、玄米にはミネラルやビタミン、少量ですがたんぱく質やカルシウム等も含まれているため、量を沢山食べなくても満足感を得やすいのです。こういうことを感覚的にというか、直感的に解っていることで
『いやぁ…玄米はそんなに沢山量を食べる食材ではないよね…。』
と、何となくのイメージを持つ人の方が多いはずです。

玄米に限らず、
『お肉って、そんなに沢山食べる物ではないよね。』
と感じる人も少なくないでしょうが、これもお肉がたんぱく質を豊富に含んでいることで、満足感を得やすいことに起因しています。

まぁ…多くの人が
『この食材は栄養価が高いから満足感が高いぞ◎』
なんて自覚している訳ではないと思うので、この点に納得しにくい人が多いのも何となく分かります。ですが、断食をしたことがある人や、ダイエットで食事内容を丁寧に見直したことがある人なんかは実感していることと思います。



また玄米をイメージすると伝わりやすいと思うのですが、玄米を美味しく食べられるように炊くためには、しっかり浸水時間を設ける必要があります。

お肉はしっかり火を通す、野菜や果物等は皮を剥く…などなど、栄養価の高い食材には、ある程度調理に時間をかけることを要する物が多いんですよね。

「貧乏暇無し。」
なんて言葉もありますが、生活が苦しい時って、食事ごときに時間をかけたくない、かけられない場合が多いものです。私もお金のために残業したり、掛け持ちしたりしたこともあって
『さっと食べられる物を食べたい!』
とばかり考えていた時期もあったことから、調理に時間のかからない物ばかり食べていた時期がありました。

調理に時間がかからない物を選んでいると、自ずと栄養価が少ない物や、添加物が多く含まれた食事が増えがちなんですよね。一定の食事量内にて、栄養素ではない、余計な物が含まれる比率が増えてしまうため、お腹が膨れているにも関わらず
『何か…物足りないんだよなぁ。』
なんて気分にもなりやすかったりします。酷い場合になると、その物足りなさを補うためにお菓子を買って、食べて、お菓子代にお金がかかるので、お金の面でも物足りなさを感じてしまったり…と、負のループに陥っていたこともあります。

元々料理が嫌いとか苦手な人はまたちょっと違うのですが
『調理に"時間を"かけたくない。』
と考えてしまっている時点で、心が貧しくなってしまっているということは振り返ってみた方が良いですね。



ここまで書いた内容で、肥満と貧乏には様々な共通点があることは伝わったのではないでしょうか。

ですが、肥満な人が則ち貧乏な訳でもなければ、貧乏な人が則ち肥満な訳でもないという点はしっかり押さえておく必要があります。

何となくですが、
『デブ=だらしない人』
という印象を持ってる人も結構いませんか?私は結構そういう印象があります。
『やっぱ、太ってる人ってだらしないよなぁ。』
と、見ていて感じる経験が多かったのと、自分に対しても
『あぁ…自分ってほんっとにだらしないよなぁ。』
と、嫌気が差す経験が多かったこともあって、肥満とだらしなさは結構結び付けて考えてしまっています。

ですが、
『だらしない!』
という視点ではなくて、
『太っている人は短絡的なんだな。』
の、ように捉えた方が、問題点の核に辿り付きやすいんですよね。

『お腹を満たしたい=量を沢山摂ればいーんだ!』
『痩せたい=食べなきゃいーんだ!』
『お腹が減ってる=さっさと詰め込めばいーんだ!』
などなど、表面的な部分についてしか考えない傾向が強い肥満の人は多いです。意外と(?)アクティブなデブも多くありませんか?肥満になりやすい人は、じっと本をじっくり読んで思考を深めるというよりも、フッ軽であちこち出掛けたり、何でもトライするような人が結構いると思いませんか?まぁ人それぞれではあるんですけど、
『あれ、やってみよう!』
『あれ、食べてみよう!』
なんて深く考えずに動き回れるからこそ、短絡的になってしまって、肥満に陥り、肥満から抜け出せなくなっているタイプもまぁまぁいるんですよね。

そういうことが廻り廻って、自分は太っていない短絡的な人が、太っている短絡的な人を見て
『この人、ズボラだな。』
『この人、だらしないな。』
などと嫌悪感に結び付くケースも世の中には多いです。そう。太ってる人を見てイラッとしてしまう人というのは、その人自身が短絡的だったり、ズボラだったり、だらしなかったりと、自分の欠点(だと思い込んでいる点)を突きつけられる感じがするから、太ってる人を嫌がる、なんてことも世の中にはよくあるのです。

↑こういう人こそ、
「デブってことは貧乏なんだな。」
「貧乏ってことはデブなんだな。」
みたいに短絡的に考えて他人をバカにしやすいので、考えの浅い人にはこの話は届いて欲しくないですね笑



肥満に陥ってる人と貧乏に陥ってる人の最大の共通点というのが、

[満足できていないこと]

という点なのだと私は思うんです。

私の中で、太っている人というのは肥満ではなく【非満】の状態に陥っていることがほとんどなのだと考えています。

『食べても食べても満足できない…。』
こんな風に過食に繋がりやすいですからね。

直接的ではないのですが、貧乏の原因も
『【自分のお金で得た何か】に対して満足できない。』
という感覚が元になっています。

『もっとお金さえあれば満足できるのに…。』
などと考え、逆に
『自分にはお金が無い。』
という暗示を強め続けてしまうので、自分が貧乏に感じやすくなる訳です。

やはり、貧乏な状態も、心が貧しいことで余裕が無くなり、考え方が短絡的に陥りやすい側面もありますね。

いずれにせよ、
『よし!手元にある物で自分を最大限に満足させるには、どうすれば良いだろう?』
と、

[自分を満足させてあげること]

に焦点を当てて考えることで解決の糸口を見付けやすくなります。

例えば手元に500円あったとして、
『たった500円でお腹が膨れる食材は何だろう…?』
『たった500円しか無くては何も欲しい物が買えない。もっとお金さえあれば…?』
などと考えるのではなく、

『この500円を使って自分を最大限に満足させてあげるには、どのような方法を取るべきだろう?』

という風に考えることを癖付けていくことで、肥満も貧乏も解消へ繋げられるのです。

[お腹を膨らませる]
[お金を増やす]
と、目的の幅を絞るのではなく、

[自分を満足させる]

と、目的をアバウトにすることによって、方法の選択肢がとても増える訳ですね。方法の自由度を高めると、まずは余計な閉塞感が1つ消えるので、精神的にもかなり楽になります。

[限られた取り組みの中で結果を出す]
[自由に取り組んで体感する]
こうして見比べると分かるように、後者の方が、取り組むこと自体に楽しさを感じやすい人も多いはずです。もっとも、目標を決めてそれを達成することに楽しさを覚えるタイプなのであれば、前者でも楽しいことに変わりはありません。課題として取り組む方が好きか、遊びとして取り組む方が好きか、という話になってきます。ただ、食事や節約は完全にプライベートな問題なので、どんな人も遊び心満載で取り組んだ方がメンタルケアにも繋がるのではないかと思います。



身体が太っていること、貧乏であることはあくまで経過なんです。結果ではないんです。

自身の状態を見て
『もしかすると、満足足りていないかもなぁ?』
という視点で自分を振り返り、今後の行動を選ぶ指針にすれば良いだけのことなんですよね。

世の中では
「太っていること=ダメなこと」
「貧乏=ダメなこと」
のような浮薄な意見も多いですが、太っている状態や貧乏な状態を自分で目視するからこそ今後の指針として活用できるという点は見直さないといけません。重視すべきなのは目に見えている状態の方ではなくて、自分の心、感覚の状態の方になります。

そりゃあ
「太っていること=ダメなこと」
「貧乏=ダメなこと」
と結論にしてしまった方がそれ以上思考を働かせる必要がなくなるので楽ができますよね。ですが、
『太ったなぁ…と、いうことは…?』
『貧乏だなぁ…と、いうことは…?』
などと自分の精神の観察、調整、自分のケアのための指針として"活用する"ことが最も必要なので、思慮の浅い無精者と同じレベルで考えていてはいけないのです。



非満に陥っていませんか?

この話にピンときた人は、細かいところから自分の満足することを探してみてください。


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