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福島県民として生きること
2023/03/11
震災から12年が経つ。
震災当時小学3年生だった私は、もう大学3年生を終えようとしている。大きくなったね。
この12年間、数え切れないほど様々なことを学び、喜び、悲しみ、時にもがきながら、それはがむしゃらに、生きてきた。
多くの人との出会いは私を成長させてくれた。全てが素敵な思い出だなんて、そんな綺麗なことは言えないけれど、感動し涙を流した日々も、傷つけられ落ち込んだ日々でさえも、振り返ると愛おしいものだ。これまでの全ての経験のおかげで今の私があるという事実は揺るがない。関わって下さった皆さん、ありがとうございます。
当事者なのに
12年経った今、思うことをつらつらと。
ちょうど一年前の今日も、例に漏れず、東日本大震災に思いを馳せた。Yahoo検索のスクショがInstagramのストーリーに溢れかえるのを流し見していた。
なんとなく、そのストーリーを上げる気持ちにはなれなかった。その代わりに、その時の感情を、投稿に書き殴った。そして、誰の目にも見せず、そっとアーカイブにしまった。
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拙い記憶を辿って、
思い出せることは少ししかない。
思い出せないのは、単に忘れているだけなのか、それとも思い出したくないものとしてパンドラの箱に閉まってしまったのか、どちらなのだろう。
福島出身という自身のアイデンティティを時に嫌になる時がある。私の地元は福島だ。
でも、被害が大きくあった地域ではなかった。
でも、「福島」と言えばそれは悲しみの象徴や最も被害を受けた地域の象徴として扱われる。
これは10年経った今でもそうだ。
それが嫌だ。
「『幸いにも』私の地域には大きな被害はなくて、大丈夫でした。」私はそう言うしかない。
けれども、幸いにも、ってなんだ?
大丈夫、ってなんだ?あんなに街並みは壊されて、沿岸部には津波が押し寄せてきていて、
今でも地元に戻って生活できていない人もいる。
私が大丈夫なだけ、私の家族が大丈夫だっただけだ。被害者面したいわけでもないし、可哀想って思われたい訳じゃ無い。震災が起きた日に黙祷を捧げて震災の記憶を風化させないことは重要だ。
幸いにも、とか大丈夫、とか
そんな言葉で片付けていいのだろうか。
私の出身は福島県のいわき市だ。いわき市は南北に大きい。ほぼ茨城県との県境に実家はある。震災発生当時は震度6弱の地震に見舞われた。暗く寒い小学校の体育館で余震の恐怖と戦っていた。
原発事故を中継で見ていた。「爆発」という言葉のニュアンスから、何か危険そうな予感もしていた。テレビを見つめる父と母の神妙な面持ちと緊張感がひしひしと伝わり、その空気感に耐えられずに、子どもながらに2人のことを笑わせたくなったのを覚えている。2人の周りで兄貴とはしゃいでいた。当然だが、静かにしろ、と怒られた。
今となってはあの時起きていた事の重大さが理解出来る。紛れもなく私は震災当事者なのだ。
ただ、ひとつ。何か引っかかる。Instagramの投稿に書き殴った私の気持ちはそのもやもやだった。紛れもなく、私は震災当事者であるのに、甚大な被害を受けた地域とは少しかけ離れている被災地に生きていた。これが私のもやもやだ。
同じ地区、同じ年代に生まれた仲間と、勉学に励み、学び舎を卒業した。その時は自己紹介の度に「福島県出身です」だなんて言わなかったから気づかなかった。けれども、外に出てみて初めて、「福島県」という言葉が持つ特殊性に気付いた。
大抵、福島県出身というとかけられる言葉。
「アルコ&ピースの平子さんの出身地ね!」
「ゴー☆ジャス見かけたことある?」
これは、正直言われたことない。
やはり
「地震大丈夫だった?」
「原発とかどうだったの?」
など、東日本大震災関連がほとんどを占める。
やっぱりそうだよね、そういうイメージだ。
それは仕方ないし、事実だ。
「大丈夫だった?」と聞かれて、私は「大丈夫だった」というほかない。だって生きているから。
「福島県出身」というラベルが貼られているせいで、その質問をされた時には、福島県代表として言葉を発さないといけない。
自分が置かれた状況、他の福島県民が置かれた状況、福島の今の状況を正確に伝えるためには、果たしてなんて答えるのが正解なのだろうか、と考えて、考えて、やっと出る言葉が、
「私のところは大丈夫だったよ」
その次には
「私の友達には目の前で津波を見た人もいる」
「原発付近に住んでいた人は今も家に帰れてない人もなかにはいる」
「福島でとれた野菜もお魚も普通に食べてるよ」
福島県出身と聞いて震災関連の質問を投げかけてくる人に対しては、こう答えるしかない。全部事実、だけどその言葉の一つひとつには、なんだか責任感がない。
当事者なはずなのに、ね。
それなのに、どうにもこうにも、福島県に対して無責任というか、なんというか。辛い思いをしたのも事実だし、心の傷がない訳では無い。けれども、大丈夫だったか否かという質問にはどう答えるべきなのだろうか。1から10まで事情を話すのもなんか違うし。別にこの質問をされたくない訳では無いし、むしろ関心を持ってくれて嬉しい気持ちもある。聞いてくれた人も、深くは考えずに会話の話題として聞いてくれたのだろう。ただ、その場における「福島県民代表」としてその質問に答えるのは、私にとってまだまだ荷が重い。
当時者だから
大学3年になって初めて対面授業が始まった。3年生にしては結構つめつめに授業を取っている。
私の関心の中心はジェンダー、政治、文化、思想あたり、というか何にでも興味が湧いてしまう質である。
講義を受けているなかで、思いがけない出来事があった。それは、教職必修の科目として受けていた政治学の講義である。その講義は、現代政治へのパースベクティヴに焦点をあて、政治学的アプローチ、政治学的思考について学ぶものであった。様々な題材が取り扱われるなか、3.11の政治学として原発事故が取り上げられた。
ざっと、その講義の内容を思い返すと、原発は危険性があるにもかかわらずそれを十分に考慮せずに設置してしまったことに非がある、政治の力、権力の大きさによって考えることを放棄すべきではない、というような趣旨であった(気がする)(この講義は先生が答えを示すのではなく常に学生に考えさせる講義であったため、考えた末に私はこう受け取った)。
大多数の人が福島県出身ではない教室で、原発のドキュメンタリーを見て、原発事故の内容を学ぶ。当事者でない人が原発を語る。原発事故を福島だけの問題とせずに捉えようとしていることに安心感もあったが、半分、辛い気持ちにもなってしまった。授業後課題として課されている、レスポンスシートに、生の気持ちを、書いて(書き殴って)しまった。
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こんな感情も事実も意見もごちゃごちゃになったレスポンスシートを提出してしまって、申し訳ないことをしたと思っている。
ただ、「福島は騙された」とか「原発事故が起きてからもう日本には住めない」とか、原発事故という題材を扱ってくれている以上決してそんなはずはないのに、福島県が日本から切り離されて、遠くの出来事として語られているような悲しさを感じてしまった。
なんというか、それは当事者ではない人が語って良いことなのだろうか、という疑問と、もやもやと、悲しさと、に苛まれたのだ。
翌週、先生がレスポンスシートのなかから幾つかをピックアップしてフィードバックをしてくれた。スクリーンに文章を投影し、講義を受けている皆がそれを見る。誰が書いたのかもわからない。その場で話し合うわけでもない。極めて匿名性の高い状況下で私のレスポンスシートが取り上げられた。しかも全文引用してくださった。
正直びっくりしすぎて、その時のことは結構忘れてしまった。ただ、その講義に居合わせたみんなが私のレスポンスを読み、そのコマまるまるそのレスポンスシートへのフィードバックで終了したことだけを覚えている。
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当たり前だが、誰もが同じ当事者性を持つわけではないということを実感した。震災に対する意見が多様化しているなかで、多くの人がどのように語るべきか、意見を持つべきかというジレンマを抱えていることもわかった。
そしてこれも取り上げていただいて…。
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私のレスポンスをふまえ、
「大変非常な自覚があるけれど、今日福島の人たちの声や表情を見ても何も思うことができませんでした。戦争と同じくガラス一枚介したようにぼんやり見えてしまいます…」
と意見してくれた学生がいる。何も思うことができない、ということに悲しさを覚える人も、怒りを感じる人もいるのかもしれない。ただ、私は、その率直な意見に、暖かさを感じた。
そこにはリスペクトが込められているからなのでは無いかと考えた。
当事者じゃないけど寄り添う、同情する、画面越しの彼らの感情に合わせて一緒に悲しむ、それは悪いことではない。ただし、それは当事者の痛みを軽んじることにも繋がりかねない。
「何も思わない、だから私には関係ない」
ではない。
「何も思えなかった」という感想を持ち、
そのことを自覚することに意味があると思う。
第三者から福島県を勝手に語られた気になって、それに不快感を覚え、感情をぶつけてしまったレスポンスに対して、同じ講義を受けていた学生からここまで冷静なレスポンスが返ってきたこと、私には無かった視点を与えてくれたこと、対面で、大学というアカデミックな場で改めて自身の福島県について考える機会を頂けたことに本当に感謝している。
当事者として
今日、3月11日。震災当時、季節にそぐわぬ雪が降ったことを思い出す。親の迎えを待つ時間は途方もなく長く感じ、レジャーシートを頭に広げ、体育館まで避難した。停電のせいもあってか、固く、暗く、寒い箱の中で、クラスの男子が必死に笑わせてくれた。
12年後の今日は長袖が暑く思えるくらいの陽気に包まれ、家の目の前にある小学校からは明るい声が聞こえてくる。
12年後、20年後、50年後、100年後。
どんどん震災を知らない世代が増えてくるなかで、一体私は何ができるのだろう。
今日も当たり前に今日が過ぎていく。私もいま、福島を離れ、東京で、アルバイトに向かうために電車に揺られている。
いつまでも悲しみのなかに沈んでいるわけにはいかない。前を向いていかないといけないのだ。福島県民として、これまでも、これからも私は生きていく。時にモヤモヤを抱えながら、その度に、こうして、文字にしたり、声にしたり、友達に話したり、時に自分と対話をしたり。
誰かとの関わり合いのなかで生きていくのだ。
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震災から12年という節目を迎えて、私自身も様々な節目を迎えている。大学4年生、就活、一休みするか、新たなステージで学びを深めるか。多くの選択の岐路に立たされている。ただ、ここまで生きてきたなかで、将来的に、
「正しい意見や事実を発信する」
「みんなの意見を聞いて更に学びを深める」
「誰かの思いを、また誰かに伝える」
「私たちが生きている『今』を伝える」
そのような営みをしていきたい、というビジョンがある。その手段は何になるかは、まだ熟考中である。
「福島県民として生きること」
このことを、これまでもこれからも、
胸を張っていきたい。
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海に向かって何かを叫んだ
きっと、20代の抱負。
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飛沫が飛んできて、きらきら光っていた。
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帰省の度に海風にあたりにいきます。
穏やかな海がだいすきです。