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お願い

お願い。
電車のドアに貼ってある警告を母親に呼んでもらい、それを聞いた子どもが声を出す。

ふしんなものって、何?

それは、爆弾とか、鉄砲とか、
怖ーいものだよ。

そう答えた母親の顔を見て、子どもは続ける。

じゃあ、ママもふしんなものだね。
駅員さんに伝えないと。

母親は慌てて

そんなことないでしょう

と子どもに訂正させる。

ううん、そんなことあるよ。ママ、パパとお話してる時、すごく怖いよ。
だから僕はいつも寝たフリをするんだよ。

どう怖いの?

母親は子どもに聞く。

怖い顔してる。僕のことはパパにあげるからいいでしょーって、
こーんな顔して話してる。

目の端を手で抑えて、つり目顔を作る子ども。

だから僕は、なにか悪いことしたか考えて布団に入るの。
でもいつも何も考えつかないんだ。
ふしんなママは見たくないから、僕が悪いことしたらすぐに教えてね。

子どもはつり目を直して座り直す。
そして満面な笑顔を向けて、母親に言う。

僕はパパとママが笑ってないと嫌なんだよ。

母親は電車の中で涙を流す。

ママ、なんで泣くの。泣かないで。
僕はあのヒーローみたいに強いから大丈夫だよ!
ママを何からだって守ってあげるから!!

子どもが母親の膝に座る。

もう、遅いの
ごめんね、ごめんね。

母親は小声で子どもに謝る。
子どもはよく分かっていないまま、

ママは何も悪いことしてないよ。

と笑う。

お願いと同じアナウンスが流れて、
私と親子だけの車両に響き渡る。

僕がふしんなものからママを守ってあげるから大丈夫です!

子どもはアナウンスに答える。

次の駅で、その親子は降りていった。
きっと、もう親子が戻ることは無いのだろう。
私は窓からその親子を見送る。

泣く母親の手に繋がれた子どもは
笑顔で母親の前を先導する。

そういえば昔、クラスに
一生のお願い!が口癖のお調子者がいたっけ。
消しゴムを借りるのも、給食の牛乳をもらうのも
彼にとっては一生を使ったお願いだったのか。

あの子が今、一生のお願いを使っても
親子の関係は戻らないのに。

お願いとは色々な使われ方をする言葉だなと考えていた私は、自分の駅の到着に気づかず、
そのまま通り過ぎるのだった。

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