見出し画像

泡沫に酔う


今日も一日が終わる。
俺は缶ビール片手にベランダの縁に肘をかける。
今日も何の変哲もない普通の一日だった。
俺の24時間は、果たして有意義な時間なのだろうか。

スーツのネクタイを緩めてビールを空ける。
この瞬間がいつも堪らなく最高だ。
俺の24時間で唯一の幸福を感じる瞬間。
これで彼女の1人でもいれば、最高なんだけど。
マッチングアプリを開いて本日の俺への反応を確認、これが日課。
今日も好みの人はいない。
まぁ、これと言って好みなんて無いんだろうけど。

ビールは今流行りの泡缶というやつで、
おでん缶みたいに上が全て開いて泡が盛り上がる。
居酒屋に行かなくてもこんなビールが飲めるなんて、世の中も捨てたもんじゃないな。
口の周りについた泡を拭いて、俺は横を見る。

ベランダの壁に、夕方が映っていて。

夕日と影のコントラストが、堪らなく美しくて。

俺は何をやってんだろうなと、ハッという声が漏れる。

下を見ると笑いながら歩く小学生。
俺にもあんな頃がありました。
少なくとも稼ぎとか明日の仕事を考えてないあの頃が。
いや、あの頃も明日は考えていたっけな。
明日に対する希望しか無かった。

缶ビールが半分くらいになっていて
俺は外界に背を向けた。
そのまま空を見上げると、そこにも夕方が描かれていて。

暮れた日の色と雲の色が堪らなく愛おしくて。

涙が出る。
畜生、いつからこんなに情けない自分になっちまったんだろう。
親に大口叩いて背を向けて都会に旅立った俺は
今は息をしていないじゃないか。
たまに来る親からの電話は面倒だから出ない。
どうせ俺の事を心配するフリをした、説教電話だ。

畜生。畜生。畜生。
俺の人生、24時間、畜生だ。
会社に雇われて、下げたくない頭下げて、
俺の人生は昔夢見てた、
あのキラッキラな映画みたいな
そんな素敵なもんじゃない。

手元の缶ビールの泡は無くなっていて、
俺は自分を重ねて切なくなった。
涙は頬を伝って、夕方を映した道に落ちていく。

辞めちまおうか、こんな人生。

ポケットの携帯が震える。
連絡アプリの震え方だが、
見たくなくて、あえて無視する。
もう1回震える。
もう1回震える。
畜生、なんなんだ。
今はただ、夕方に染まりたくて、無視を決め込む。

もう1回震える携帯。
さすがに緊急だったらヤバいかと、舌打ちをしてから携帯を見る。

その連絡は母さんからで、何個もの写真が送られてきていて。

その写真が、また堪らなく懐かしくて。


「今年も家の花が咲きました。あんたが昔持ってきたアマリリス。
庭の花も咲きました。牡丹が綺麗です。
あんたも、ガンバれね」


俺は空になった缶を潰して、手で目を覆う。

「最後の文で誤字るなよ……」

母らしいミスに笑って、家に入る。

鞄から辞表を出して破いて捨てた。
あの頃の俺が、深く、深く深呼吸をした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?