見出し画像

浮気された私が雨の中立つ理由

雨は、降る。私は、歩く。
雨は、雫。私は、人間。

どこかに消えてなくなりたいと思っても
私は消えることができない。
無残な死体を世に晒すくらいなら、生きていた方がマシ。
でも雨は違う。
目の前を通り過ぎる時は形があるけれど
下に落ちてしまえば、もうどこにいるかわからない。
翌日晴れてしまえば、彼か彼女かもわからないその一滴は
跡形もなく、消えるのである。


ため息をつく。
今日、私は浮気をされた女になった。
オフィスの一角、とある部屋を開けてびっくり。
婚約したはずの私の彼氏は、一個下の後輩と抱き合ってました。
えー、漫画みたい。素敵っ。
隠れて付き合って誰も来なさそうな部屋で抱擁。
スリル満点ね!
こんなオフィスラブ、憧れるゥ!
現実逃避した私は、なぜか頭にこの文字を浮かべていて
違うんだ、と漫画のようなセリフを吐いた彼を
何が違うのよ、と漫画のようなセリフで返した。
おい、女。てめーが泣くな。
泣きたいのはこっちだよ。
なんかそれも漫画みたいで嫌になった。


で、帰りは雨。何これ、出来すぎてるでしょ。
神様がいるなら勘弁してよ。私はこんな運命求めてない。
傘は持ってきていない。だって、走って出てきたから。
多分デスクの横にはあった。
だって今朝、彼の分と一緒に持ってきたから。
あの時買ったビニール傘。コンビニで500円出して買った
ただの変哲のないビニール傘。

下に顔を向け、地面に消える雨粒を眺める。
あんたたちは可哀想ね。
こんなに綺麗なのに、人の目に触れるのは一瞬だなんて。

会社には戻りたくない。
今日の仕事、終わらせておいてよかった。
お茶なんか取りに行かないで、さっさと帰ればよかった。
あいつらもあいつらで、給湯室でいちゃつくなよ。
今思い出しても腹が立つ。
「結婚が確定してから会社には話そう」って、
そういうことだったのかって今思う。
気づかなかった私も私だけど、あいつの隠し方もプロだった。
本当、こんな風に、紛れて、

紛れて、消えてた。

でもあいつの嘘は、全く綺麗じゃない。
どうせ隠すなら、その一瞬の現実と嘘の間くらい、
綺麗にしてあげてよね。

綺麗な浮気なんて、無いと思うけど。

馬鹿らしい。さっさと帰ろう。
私はタクシーを止めようと、地面を見ながら大通りへ向かう。
急に、滴が落ちてこなくなった。

「待って、話を聞いて」
上を向けば、あの日買った500円の傘。
聞き慣れた彼の声。

絶対許したくないと決めていたはずなのに。
彼の声を聞いて、涙が出る。

あぁ、私好きだったんだなぁ。

傘の上には、美しい雫が何滴か落ちずに残っている。
新しい雫とぶつかって地面に落ちる。
一瞬でも、この雫はただ地面に落ちる雫と違って
長く生きている。
長く、そこに留まり続ける。

私が、彼の言い訳を聞いてしまっているのは、
それがただ、儚くて綺麗だから。

雨の下、ワンコインの安いシェルターの中で
その命の美しい瞬間を、ただ見たいだけだから。

ただ、それだけ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?