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【映画感想文】48歳の処女が死にかけて、吹っ切れて、この人生で経験しないはずだったあれこれを経験していく - 『ブラックバード、ブラックベリー、私は私。』監督: エレネ・ナヴェリアニ

 もしかしたら死んでいたかもしれない。

 そんな経験をすると人間は生き方を変えるもの。ジョージアのベストセラー小説を映画化した『ブラックバード、ブラックベリー、私は私。』は48歳の処女がそんな臨死体験をする。

 ジャムを作るため、川の近くの崖でブラックベリーを摘んでいたところ、可愛いブラックバードの声が聞こえた。思わず、そばに寄ろうとした直後、足を滑らせ崖から落ちてしまうのだ。ギリギリで枝を掴んだから助かったけれど、目の前にそのまま川に落ち、溺れ、村の人たちに引き上げられている自分の遺体のイメージが浮かぶ。

 その後、彼女の中でなにかが変わった。経営している商店に納品してくれている業者の男にアプローチ。倉庫で抱いてくれとお願いし、あっという間に処女じゃなくなる。不倫関係だけど恋人ができる。

 母親を早くに子宮ガンで亡くした彼女は、幼い頃から、父親と兄の世話役を押し付けられてきた。家事でもなんでもやらされて、友だちや恋人ができそうになると「不良になるつもりか!」と言わんばかりに暴力で止められてきた。

 そんな父親も兄も死に、いまは一人で暮らしているけれど、壁に二人の写真をかけて生活してきた。でも、臨死体験から目覚めた彼女はそれらを外し、かつて憧れていた女の子の遺影を飾ることにした。

 これまでは近所の意地悪なおばさんたちのイヤミを黙って聞いてきた。なにを言っても言い返さないと思われているから、まわりもドギツイ悪口をぶつけまくる。だが、それに対してもついに反撃。「子どもがいなくて不幸って言うけど、あんたんとこみたいにバカな子どもがいる方がよっぽど不幸に思えるけど!」みたいな感じで啖呵を切る。

 どれもやっちゃダメだと思い込んでいたことばかり。この人生では経験しないはずだった。だけど、臨死体験で、この人生はあのとき終わっていたのかもしれないと考えてみたら、やっちゃダメなんてバカらしい。まるで生まれ変わったみたいになにもかもを経験。そうか。別にやっても問題なんてなかったんだ!

 48歳という年齢をどう捉えるか。グラスに半分入った水の喩えに似ている。むかしの彼女なら半分しかないと思っていた。いまの彼女は半分もあると思える。

 ここから明るい未来が待っているはずだった。なのに、あるとき、おりものが真っ黒なことに気がつく。スマホで調べると子宮がんの症状として出てくる。こんなことになるなんて……。戸惑いつつも、いつかはくると思っていたことでもあるので、淡々と、最期に向かってやるべきことを進めていく。

 そんな風に生死の狭間を行き交う中で、彼女は徐々に自分とはなにかを見出していく。もっと言えば、家族や社会から抑圧されていたことに気がついていく。いわゆるフェミニズム作品にカテゴライズされる内容だけど、その域を超え、誰だって人生はいつからでも取り戻すことができるという強いメッセージになっていた。

 個人的にそれはよくわかる。

 臨死体験をしたことはないけれど、以前、親知らずを抜くため、二泊三日の入院で全身麻酔手術を受けたことがあり、そのとき、わたしも生き方を変える決意をした。

 たまたま親知らずが複雑に生えていたから全身麻酔手術を受けることになったけど、もちろん、それはレアケース。同部屋で入院している人たちに同じ症状の人はいなかった。

 腎臓病だったり、ガンだったり、みんな死と隣り合わせだった。夜、眠ろうとするとまわりからうめき声が聞こえてきた。

 そうか。ここはそういう場所なのだとわかってきた。だんだん全身麻酔手術を受けるに当たって、書かされた同意書が怖くなってきた。死亡率はめちゃくちゃ低いとは言え、その可能性にサインしてしまった重みをずしりと感じた。

 手術日。緊急の人たちが優先なので待たされるだけ待たされた。ようやく名前が呼ばれたとき、ドキドキ、手術室に向かった。

 ガチガチな身体を手術台に横たえる。酸素マスクみたいなものをはめられる。

「吸入の麻酔です」

 あ、もうスタートしていると思った直後、

「点滴でも麻酔を入れていきます。すぐに眠くなりますよ」

 と、説明され、「はい」と答えようとした瞬間、目の前が真っ暗になった。

 次、目を開けたときには名前を呼ばれ、

「終わりましたよー」

 と、言われていた。本気で意味がわからなかった。

 死ぬってこういうことなのかもと思った。勝手に、痛いんだろうなぁとか、苦しいんだろうなぁとか、ネガティブなイメージを抱いていたけれど、きっとそんな生ぬるいもんではないのだろう。パソコンの電源をコンセントから抜いてしまうようなあっけなさ。一瞬で真っ暗になり、他にはなにも残らない。

 無事、退院し、数日後にわたしは仕事を辞めていた。死んだらなにもかもが終わるんだとすれば、こんなくだらないことに時間を使っていられないとそれまでの日常に嫌気が差してしまったのだ。

 会社に行って、必要のない書類を作り、保身的な年寄りと打ち合わせを重なることに意味があるとはもともと思っていなかった。でも、生きていくためには仕方がないと信じ、嫌々我慢を続けてきた。

 でも、死を強く意識したとき、なんで我慢なんてしなくちゃいけないんだろう? と価値観が根本からひっくり返った。どうせ死んだら無になるんだし、我慢せず、好きに生きた方がいいじゃないか!

 仕事を辞めて、わたしはたくさん本を読んだ。たくさん映画を観た。子どもの頃から本が好きで映画が好きで、だから、大学でもそういう勉強をしてきたというのに、大人になって本や映画から遠ざかってしまうなんて、改めてめちゃくちゃ悲しいことだった。

 不安はあった。生活ができなくなってしまうんじゃないかと。あれから一年以上が経った。なんとか生活はできている。収入はすごく減ったけど、たぶん、これでよかった。




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