【ショートショート】ラスコーリニコフはもういない (1,954文字)
ババアから金を盗むことになった。でも、それは悪いことじゃない。だって、ババアは金貸しで荒稼ぎし、何億という金を溜め込んでいるのだから。俺は別に立派な人間ではないけれど、先のない年寄りがタンス預金で経済を停滞させるよりも、これからの未来ある若者が経済を回した方が社会として合理的に決まっている。指示役のカラマーゾフさんもテレグラムでババアを痛めつけるように言っていた。それが正義なんだ、と。
「悪いことをして集めた金なので、いくら奪っても問題ありません。どうせ税金も納めていないでしょうから、警察に相談だってできないです。故にリスクはゼロ。懲らしめるつもりで殴ったり蹴ったりしてください。黙って見ているだけの人間に報酬は出せません。家には数千万円あると聞いています。現場ではくれぐれもムイシュキンくんの指示に従って、うまいことお願いしますよ」
とにかく、俺は金が必要だった。競艇にハマってからというもの金を借りても借りても切りがなく、建築の仕事じゃ間に合わないところまで来てしまった。藁にもすがる思いでインスタの怪しい求人に応募した。さすがに犯罪をさせられるってわかってはいた。わかってはいたけど、万が一、逮捕されても気づかなかったと言えばなんとかなるはず。だって、俺は末端として手伝っているだけ。バカなフリをしておけば警察だって手が出せないだろう。
しかし、まさか、強盗をさせられるとは。受け子とか、出し子とか、最初のうちはみんなやってるような内容だったのでよかったけれど、高額報酬につられて来てみれば、案の定ヤバそうな話になってきた。ムイシュキンくんは慣れた様子で廊下で鉢合わせしたババアを拘束し、さっきからモンキーレンチでじゃんじゃんやっている。てっきり空き巣に入る程度だと油断していたから、俺は軍手もマスクも持ってきていない。監視カメラも気にしてなかった。たぶん、証拠を残しまくっている。
最悪だ。パクられちまうかもしれない。
カラマーゾフさんはリスクゼロと言っていたけど、さすがにそんな甘くはねえ。強盗だと五年とか入らなきゃなんねえのかなぁ。前回捕まったときは未成年だったけど、それでも少年院でクソ退屈な目に遭わされた。マジ勘弁してほしい。
そう考えるとがぜんババアに腹が立ってきた。年寄りの五年と、若者の五年じゃ重みが違うんだよ。お前がさっさっと金のありかを言わないせいで、俺の貴重な五年が無駄になるかもしんねえんだぞ。人の良さそうな顔をして、闇金やってたことをこっちは知ってんの。怒りがむくむくと湧いてきて、気づけば、俺もババアの顔面を蹴り飛ばしていた。
「おお。やるねぇ。さすがはラスコーリニコフくん」
ムイシュキンくんが褒めてくれた。一応、高校までサッカーをやっていたのでそれなりに自信があったから、素直に嬉しかった。ババアは泡を吹いていた。脳しんとうを起こしているのかも。でも、まあ、頭だし死にはしねえだろ。俺はしゃがみ、ババアの顎を持ち、頬をペシペシ叩いてやった。
「なあ、バアさん。あんたが悪いことして近所から金を巻き上げてんのはわかってんだよ。自分の懐にしまい込みたい気持ちはよくわかる。でも、それで経済が回らなくなったら、世の中が困っちまうだろ。そういうわけで回収させてもらうから、とにかく、どこに金を隠しているのか言えや、おら。殺すぞ」
バアさんは息も絶え絶えになにかつぶやいていた。名前だろうか？ よく聞き取れなかったけど、何回も繰り返し続けていた。埒があかなかった。仕方がないので、ムイシュキンくんはカラマーゾフさんに電話をかけた。
「あー、もしもし。ダメっすわ。全然話さないっすわ。本当にこいつ、そんな大金持ってんすかね。けっこうな歳だし、やたら上品な雰囲気っすよ」
ムイシュキンくんは通話しながら、スマホで血だらけになったババアの写真を撮影し送った。まもなく、カラマーゾフカラマーゾフさんの笑い声が真っ暗な廊下に響き渡った。異様な状況に研ぎ澄まされた俺の嗅覚はムイシュキンくんの耳もとで震えるスピーカーの向こう側から、
「あちゃー。人違いですね」
と、楽しそうに答える声をたしかに聞いた。
人違い？ じゃあ、金貸しで荒稼ぎし、何億という金を溜め込んでいるババアはどこに行ってしまったのだろう？ 俺は掌の中で痩せ細った顎が急速に重たくなっていくのを感じながら途方に暮れた。そして、そういう自分たちのことしか考えていない銭ゲバの汚い年寄りを成敗し、経済を回すという形で社会に貢献する合理的な若者としての俺はどこに行ってしまったのだろう？
たちまち力が抜けてしまって、その場に座り込んでいた。隣ではムイシュキンくんが立ち尽くし、もちろん、その間もカラマーゾフさんの歓笑だけは鳴り続けた。
(了)
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