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【料理エッセイ】選挙の日だし、うちもなぜか、投票行って外食したんだー! 誤謬に満ちた東京都知事選挙2024を振り返る
昨日、期日前投票に行ってきた。歩いて行ける距離だったけど、あまりの炎天下に疲労困憊。投票所内のベンチに座り、ちゃんとクーラー浴びて休まなきゃ、鉛筆を握ることもできなかった。
なんで、こんな暑い時期に選挙があるのだろう。正直、ドア開けた時点で引きこもりを確定させたかったぞ。これは投票率に影響すると思う。
都知事選って、春とか冬とかにやってなかったっけ?
ふと、気になり調べてみたら、2011年までは4月開催だった。ところが、2012年、石原慎太郎さんが国政復帰を宣言。途中で辞めたことにより、12月に都知事選が行われた。その後、猪瀬さん、舛添さんと途中で辞める人が連続し、2016年からは7月開催となっていた。
おいー! 途中で辞めた人たちのせいじゃん!
頼むから春に戻して欲しい。お年寄りとか熱中症なったらヤバいよ。というか、わたしもヤバい。つい、自販機でセブンティーンアイス売ってたから食べちゃったもん。ソーダフロート、マジ美味い。
投票自体はあっさり終わった。国政選挙だと比例があったり、最高裁の裁判官国民審査があったり、やることがいろいろあるけれど、都知事選は一人の名前を書くだけなので、こんなもんかと拍子抜けしてしまう。
一応、これまで書いてきた通り、蓮舫さんに投票したけれど、本当にそれでよかったのか、未だモヤモヤしている。
最後の最後、蓮舫さん支持者が小池さんの演説を堂々と妨害し始めて、そのことをSNSで嬉々として報告する様子はあまりにグロテスクだった。蓮舫さんに投票したら、選挙妨害を肯定しているような罪悪感がけっこうあった。
どんなに相手のことが嫌いでも、話す機会を奪うというのは民主主義の否定が過ぎる。少なくとも、今回、わたしは小池さんに投票しなかったけれど、過去に投票してきた一人の有権者として、いまなにを語るのか聞きたいもの。
できれば、蓮舫さんには自分の支持者に対して、選挙妨害はやめるように表明して欲しかった。それをしないことによって、失われた票は多いと思う。わたしもギリギリまで投票するか迷ったし、いまだって蓮舫さんに投票するべきじゃなかったかもと後悔している。
そんなんじゃ2位にもなれないよ……。
なんだかスッキリとしない気持ちのまま、投票済証を頂いた。
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でも、まあ、選挙はいつもこんな感じなんだよね。支持政党なしなので、毎回、「これでよかったのかなぁ?」とモヤモヤする。
ただ、それでいいんだと思う。テストを受けているわけじゃないんだし、自分の選択に間違いはないと確信を持てたら、逆に危ない気がする。いるわけがないんだから。完璧な政治家なんて。いや、完璧な人間なんて。
別にベストな選択をする必要なんてない。各々のベターを集積することが大切なのだ。うまくいがないのは大前提。そのため、面倒くさいけど、数年おきに選挙でトップを入れ替える。マクロな視点で捉えれば、概ね悪くないというのが民主主義のいいところ。視野が狭くなったらおしまいだよね。
そういう意味で、今回の都知事選は蓮舫さんをはじめ、視野の狭い陣営がやたら多かった。あいつのバックには誰々がいるとか、過去にこんな発言をしているとか、真偽不明な情報が飛び交った。
このとき、論理的推論の禁じ手である誤謬が多用されていた。これは他人を説得するため、意図的に論理を逸脱する詭弁と違って、語り手に誰かを騙す意図はないのでよりタチが悪い。あくまでロジカルシンキングを重ねた結果、不合理な結論に至ってしまうだけなのだ。
わかりやすく言えば、どんなに頭のいい人が目の前にある情報から論理的には正しく未来を予想しても、間違えることはあるということ。
だって、そこにはないけれど、本当は重要な情報が他にたくさんあるかもしれないし、災害だったり、病気だったり、戦争だったら、予想外の出来事が生じる可能性もあるから。
最近はなぜか、「論理的であること=正しい」という誤解が広がっているけれど、別に論理的なことは正しさを少しも保証してはいないのだ。むしろ、論理的な分、自分では間違いに気がつきにくい点で陰謀論に陥りやすく、けっこうマズい。
今回の都知事選に関して言えば、賢い人ほど誤謬をSNSで拡散していたように感じた。このあたり、アリ・アルモサウィさんが記し、南学正仁さんが翻訳した『絵で見てわかる誤謬の事典』日本語版を見ながら確認していこう。
※なお、この作品はクリエイティブ・コモンズBY-NCライセンスによって管理されている。つまり、著作権者を表示した非営利の使用である限り、自由にシェアし、改変することが可能なので、興味のある方はどんどん活用していこう。
今回の都知事選でよく見られた誤謬は以下の通り。
無関係の権威者に訴える論証
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有名人や大学教授、企業の社長、アーティストが支持していることを伝えることで、その候補者に価値があると錯覚してしまう現象が広く見られた。また、逆にそのような著名人の批判コメントを根拠に特定の候補者を攻撃するケースも確認された。
偽りのジレンマ
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都知事の仕事は多岐に渡っているにもかかわらず、ある問題だけを掲げ、それに賛成か否かの二択に絞って考えてしまうケースが多かった。
とはいえ、今回は候補者が56人とかなり多かったので、あえて論点を絞らなくては語りようがなかったという側面もあるかもしれない。
いわゆるジャムの法則というやつで、選択肢があまりにあり過ぎると人間はなにも選べなくなってしまう。立候補は自由なので仕方ないけれど、選挙を二段階に分けるなど最終的な候補者を絞る工夫をしなければ、我々は偽りのジレンマに陥り続ける危険がある。
恐怖に訴える論証
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ある候補者が都知事になったら、こんな酷い世の中になるぞと恐怖シナリオを出している人がけっこういた。気持ちはわかるけど、あくまで都知事選は地方自治に関する話であり、二元代表制が敷かれていることを考えれば、あまりに恐怖を煽り過ぎていると言わざるを得ない。
早まった一般化
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SNSでもリアルでも、政治の話はセンシティブなので、自分と似た思想を持っている仲間同士でコミュニケーションが重ねられていく。そのため、自分が支持している候補をみんなも支持していると勘違いしてしまう。エコーチェンバー現象というやつだ。
ネットにアップされている演説の写真や動画を見ていると、どの候補者も民衆の熱烈な支持を受けているようだけど、実際、そこに映っている人の数は東京都民の数と比べればごく一部。なにせ、東京の人口は約1,500万人だからね。そのうち、有権者の数は約1,200万人。駅前がおしくらまんじゅう状態になったとしても、その1%にも満たないわけで、さすがに世の中を変える熱狂と評するのは早計だよね。
発生論の誤謬
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候補者の経歴をもとに批判したり、擁護したりするケースが多々あった。現在とのつながりが不明な以上、あくまで質問の形で候補者自身にぶつけるのが適切だろう。それに対して、候補者がどのように答えるか、あるいは答えないか。そのリアクションを通して各々が判断可能になる。なのに、それを理由に誹謗中傷したり、信奉してしまったら、収拾がつかなくなってしまう。
わたしたちは都知事選で神様を選ぶんじゃない。総理大臣を選ぶんじゃない。ましてや悪魔や鬼と戦っているわけでもない。都民の利益を代表する都知事を選ぶだけなんだ。そのことが蔑ろにされていた。
連座の誤謬
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支持者を否定する形で、その人たちに支えられている候補者を否定するという方法は嫌というほど繰り返されてきた。これをやってしまうと分断が深まるばかり。異なる意見を持つもの同士が永遠に分かり合えなくなってしまう。
滑りやすい坂道
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ある候補者を都知事にしたら、次はこういうことになるぞと急展開の予想を披露する人が多くいた。不安を感じているのかもしれないけど、まだ起きていない問題について、誰かを責め立てるのはちょっと無理がある。
わたしが認識する限りでは、ざっと、このような誤謬をたびたび目にした。悲しいのは頭がよい人ほど、世の中をこうしていきたいというビジョンも明確だし、自分で情報も収集するし、発信力も強いので、誤謬を振り撒きまくっていたところ。
本人としては自分だけが「真実」にたどり着いた喜びから、みんなを啓蒙しなきゃと熱くなるのはわかるけれど、立場が変われば「真実」の見え方も変わってくる。自然、ドン引きしちゃうんだよね。
最終盤、安野たかひろさんの支持を表明する人が増えた動きはそのことを象徴していた。特に、安野さんの妻・りなさんの演説は評判がよく、他の候補と比較したつぶやきがXでバズっていた。
あんのたかひろの妻の演説を改めて聴いたけど…
— Henry (@HighWiz) July 6, 2024
『自民党は〜 』→ない
『岸田政権は〜』→ない
『小池都政は〜』→ない
『蓮舫候補は〜』→ない
『弱者差別が〜』→ない
『生活が苦しい』→ない
こんなポジティブな選挙演説初めて。
今すごく新鮮な気持ちになっている。pic.twitter.com/pEM3BugH42
誤謬にうんざりしている人はけっこう多いはず。少なくとも、わたしはうんざりしている。
結果的に蓮舫さんに投票したけれど、選挙期間中の振る舞いとしては小池さんや安野さんの方が都知事に相応しいと感じている。正直。
そもそも都知事の役割を踏まえて、都知事にできることを政策として発信していたのは、わたしの観測した範囲では小池さんと安野さんだけだった。
もちろん、当選可能性を考えれば、小池さん以外はその後の活動につなげるためのPRが出馬理由かもしれず、戦略として否定はできない。ただ一点、悲しいのは蓮舫さん陣営がそれをやってしまったこと。
ダメだよ、それじゃあ。都知事選なのにどうして自民党の裏金問題とか、政治パーティ禁止とか、電通だとか、統一教会だとか、関係ない論点を手当たり次第増やしちゃうんだよ。勝手にそういう一切合切を重ねてしまったせいで、小池さんの当選によって都民がすべてを肯定したみたいに見えちゃうじゃん。有権者はそんなつもり、まったくないのに。
相手の弱点を突きたいのはわかるけど、それで誤謬を広めてしまったら、選挙の意味がわからなくなってしまう。結果の意味することが事実からどんどん乖離してしまう。
都知事はあくまで都知事なんだよ。それ以上でも、それ以下でもない。
今回の選挙は必要以上に大きなものを背負わされていた。ただ、投票しただけなのに、なんか、すっごく疲れちゃったよ。
まあ、暑過ぎるっていうのもあるけどね。
できれば、もっと、選挙は気楽に行けるものであってほしい。正解なんてないんだし、それぞれ誰に入れてもいいんだから、とりあえず投票に行くってことが人々のナチュラルな習慣になるといいなぁ。
ただ、投票が義務のような言い方は個人的にすごく嫌い。まるで投票に行かない人はダメなやつみたいに聞こえてしまう。
そうじゃなくて、投票に行った方が楽しいという空気を作ることが重要だと思う。それこそ、モーニング娘。の『ザ☆ピ〜ス!』の歌詞ぐらい、ゆるいハイテンションでOKなはず。
選挙の日って ウチじゃなぜか
投票行って 外食するんだ
(奇跡見たい すてきな未来 意外な位 すごい恋愛)
LET'S GO!
(LET'S GO! ×3 LET'S PEACE! PEACE!)
うちもそんな感じ。選挙になるたび、投票行って外食できるとウキウキしてしまう。
昨日はずっと行きたかった中華料理店SEN YOの麻婆豆腐とチャーハンをシェアして食べてきた。あと小籠包も。本当はもっと家から近い投票所もあったんだけど、このためだけに少し多めに歩いたほど。
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美味しかった。幸せだった。
つんく♂さんの歌詞はすごい。『ザ☆ピ〜ス!』がヒットしたのは2001年のことだけど、当時、小学2年生だったわたしの選挙観は確実にこの歌で形成された。この歌があったから、うちも選挙の日はなぜか投票行って外食するようになった。子どもながらに選挙の日が嬉しかった。
論理的じゃなくていいのだ。なんとなくピースができる。それだけで選挙が好きになれた。
今回の都知事選は誰に投票しても、誰かに非難されてしまいそうで全然平和的じゃなかった。そうなっちゃうと選挙そのものが嫌いになってしまいそう。
ルールというよりはマナーとして、投票先を理由に他人を非難することだけはやめていきたい。それをやり始めたら、選挙の意味がなくなってしまうもの。
気に食わないやつがいたら殴り倒すというやり方じゃ、強いものの意見しか通らなくなってしまうから、わたしたちは面倒を承知で選挙をやっているわけで、そのことを忘れたら民主主義は簡単に終わっちゃう。
いるよ。そりゃ。自分と意見の合わない人は。社会はこんなに大きく複雑なんだもん。
その不都合な事実と定期的に向き合う機会が選挙なのだろう。きっと、元来、ストレスのかかるものなのだ。殴り合うよりはマシだけど。
だからこそ、そんな日は外食ぐらいしないとね✌️
マシュマロやっています。
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