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【ショートショート】すっごく楽なバイト (1,943文字)
「最近、すっごく楽なバイト始めてさー」
スタバでお茶をしていると、友人の美咲はそう言って嬉しそうに笑った。たぶん、いろいろ聞いてほしいというのがわかったので、わたしは素直に「どんな仕事?」と尋ねてあげた。
「タイミーで見つけたんだけど、辞書に載っている言葉をパソコンで入力するだけなのに時給二千円ももらえるの。ただし、在宅はダメで事務所に行かなきゃいけない。一応、監視役の人はいるんだけど、別にノルマがあるわけじゃなくて、九時から五時まで作業すればオーケーでさ。すっごく楽に稼げるんだよ」
「なにそれ、めちゃくちゃ怪しくない?」
「だよね。わたしも最初はそう思った。でも、すでに一ヶ月が経過して問題はゼロ。まだア行の単語も終わってないのに採用担当の人は褒めてくれて、ずっと続けてほしいって頼まれたぐらい。給料もちゃんと振り込まれていたし、いいことばかりなんだよね」
「えー。そんなことある? なんか、赤毛組合みたいに騙されているんじゃない?」
「赤毛組合? なにそれ?」
「シャーロック・ホームズの有名なエピソード。髪の毛が赤かった大金持ちが亡くなったとき、遺書に自分と同じような赤毛の人たちを助けるため、辞書の言葉を書き写すだけで高給を与える仕事を作ると宣言したって話。それを間に受けた質屋の店主が面接に行くとあっさり採用。店番は最近雇ったばかりの若者に任せて、その美味しいバイトを始めるの」
「やば。そっくりじゃん」
「でしょ。似てるよね」
「似過ぎだって。鳥肌立ったもん。ちなみにそれでどうなるの?」
「本当はそんな仕事なくて、質屋の店主を昼間追い出すことが目的だったの。というのも、その店は銀行のすぐ裏に位置していて、店番を任された若者は穴を掘って強盗を目論んでいた。そのことに間一髪、シャーロック・ホームズが気がつき、大犯罪は未然に防がれるって筋立てだよ」
「なるほど、じゃあ、わたしも家を留守にしているところを狙われているってこと?」
「うーん。問題はそこなんだよね。美咲はお店なんてやってない。家は普通にマンションで、金目のものを置いているわけでも、近くに銀行や宝石店があるわけでもない」
「たしかに。ただ、なにもないっていうのも変だよね。自分で言うのもなんだけど、あんな入力作業に時給二千円ってあり得ないもの。辞書だって、いまはもう電子化されてるし、コピペしちゃえばすぐに終わる。でも、それは絶対にダメと言われた」
「監視役の人に?」
「ううん。採用担当の人」
「監視役の人はなにをやっているの?」
「さあ? 見た感じおばあちゃんなんだけど、いつも寝ているというか、愛想が悪いというか、ボケているというか。挨拶をしても返事なし。ずっと同じ部屋にいるというのにこれまで一度も会話したことないの。たぶん、あの人にも給料が発生しているんだろうけど、ぶっちゃけ全然意味ないよ。わたしはサボらないし、だいたい、サボったところで問題のない仕事なんだもん」
そこまで聞いて、わたしはふと「監視されているのはどちらなんだろう?」と素朴な疑問を抱いた。赤毛組合と違って、向こうの目的は美咲を家から追い出すことではなく、事務所に縛りつけていくことにあるのではなかろうか。そして、それはおばあちゃんらしき監視役がそこにいると証言してもらうためだとしたら、必要のない入力作業に破格の報酬を払うこともあり得る。
そんな推論を口にしようとしたとき、美咲のすぐ後ろに白髪の老婆が薄気味悪く立ち尽くしていることに気がついて、思わず、言葉を飲んでしまった。老婆は乱れた毛の隙間から充血した瞳でこちらを睨んできていた。
「どうしたの?」
美咲はギョッとしているわたしを訝しむ。本当は説明したかった。でも、そこで老婆が聞いているわけで、適当に誤魔化すことしかできなかった。
「……ちょっと体調が悪くて」
「うそ! 無理しないでね。そろそろ解散する?」
「ああ、そうだね。ごめん、突然」
「いいよ、いいよ。今日は付き合ってくれてありがとう。また遊ぼうね」
「うん。こちらこそ、ありがとう」
しかし、もう二度と美咲と会うことはなかった。共通の知り合いから噂で聞いた話だと、ある日、突然、美咲は人格が変わったようになってしまったとか。言葉遣いも考え方もやけに古めかしく、名前を呼んでも反応しなくなり、黙って外出したと思ったら毎回のようにトラブルを起こし、警察のお世話になりっ放しだったという。困り果てた家族は役所や病院に相談。ついには美咲の医療保護入院を決定したらしい。
お見舞いに行くかと誘われたとき、わたしは断ってしまった。怖かったのだ。美咲が美咲でなくなっていることが。いや、それ以上に、再びあの老婆の充血した瞳を見ることが恐ろしくって仕方なかった。
(了)
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