【映画感想文】自宅で最期を迎えるとは? 91歳の父を看取る86歳の母を56歳の息子が撮影! 高齢化社会のリアルを映すドキュメンタリー - 『あなたのおみとり』監督:村上浩康
夕方、時間ができたので、映画を見ることにした。最近はフィクションばかり見ていたので、久々にドキュメンタリーが見たくなり、ポレポレ東中野のラインナップをチェックしてみた。すると『あなたのおみとり』という気になるタイトルが目に飛び込んできた。
このまま社会の高齢化が進むと病院のベッドが足りなくなるので、厚生労働省の方針として、今後は自宅で看取ることが推奨されているらしいという話を聞いたことがある。なるほど、それは仕方がないことなのかもしれない。
しかし、戦後、死を病院にアウトソーシングしてきたせいで、我々は看取りの実態をよくわかっていない。なにをどうすればいいのか、ぶっちゃけ、見当もつかない。
とはいえ、たぶん、うちもそう遠くない未来にわたしも看取りを経験する可能性はある。わからないと言っている場合ではないのだ。
過去の記事で書いたけれど、最近、80代の祖母が入院し、退院後は母が介護のために同居している。
いまのところ元気だけど、いつ、なにがあってもおかしくはない。一時は要介護2となり、早めに介護ベッドを導入した方がいいんじゃないかなんて話も出ていたので、一応、最悪の想定もしていた。その中に看取りも含まれていた。
いつか勉強しなきゃと思ってはいたので、ちょうどいい機会と映画を見に行くことにした。おそらく、すごい内容なんだろうとわかってはいた。それでも、実際に鑑賞してみたら、その想像をはるかに超える傑作だった。
冒頭、介護入浴のシーンから始まる。そういうサービスがあることは知っていたけれど、てっきり、自宅のお風呂に入るのを手伝ってくれるようなものだと思っていた。ところが台所に専用の浴槽を運び入れているではないか!
なんと室内に浴槽を組み立て、車に積んである給湯器でお湯を沸かし、入浴から排水までを完結させたサービスが介護入浴なのだった。たぶん、知っている人にとっては常識なんだろうけど、わたしにとっては未知な出来事過ぎて目から鱗が落ちた。
しかも、映画の舞台である仙台の町でも、多いときで1日6〜7件は回っているというから驚きだ。舞台挨拶で村上監督が言っていた通り、社会の高齢化が進んでいるとは聞いていたけど、まさか、ここまでとは……。この作品が映し出しているのは特殊なものではないとよくわかる。
ただ、そこから監督のお母様がお父様を介護する姿はあまりにも美しい愛にあふれていて、果たして、自分にこれができるだろうかと自問自答がしばらく続いた。
ご飯を食べさせてあげて、カテテール経由で溜まった尿や便の量を確認し、床ずれで褥瘡が発生していないかをチェック。熱中症にならないように水分を細かく摂取してあげて、血行をよくしてあげるためひたすら脚を揉んであげる。夜中には痔の薬をおしりに入れて、介護ベッドの横にある数十センチの隙間で眠る。それもなにかあったら飛び起きるから、一日数時間というから果てしない。
もちろん、炊事洗濯、諸々の支払いや手続きといった日常の家事もこなしながらなわけで、間違いなくオーバーワーク。しかも、いつ終わるともわからない中で。
長年連れ去った夫だったとして、どうしてそこまで頑張れるのだろうと不思議だった。よっぽど仲のいいご夫婦だったのだろう、と。
ところが、ご本人の口から夫婦仲は最悪だったと説明があったので、ひたすら度肝を抜かれた。お父様は小学校の教員で、お母様は福祉施設の職員で、共働きだったのですれ違いが多かったらしい。ワンオペ育児に納得がいかず、監督が幼かった頃は一年間口を利かないレベルの喧嘩をしていたという。
子どもたちが成人し、定年退職し、余裕が出てくるにつれて夫婦でお出かけをする機会も増え、徐々に仲は良くなったようだけど、出会いはお見合いだったようだし、いわゆる純愛の形をしてはいない。
だからなのか、作中もお母様はお父様に感謝を述べることはあっても、愛を口にすることはなかった。介護をすることがわたしの仕事だからというニュアンスの言い方をしていた。86歳でやらなきゃいけないことがあるというのはありがたい、と。
パンフレットに掲載されている手記でも、お母様はこんなフレーズを使われている。お父様が胆管がんで宣告された余命三年を過ぎ、入退院を繰り返し、コロナ禍で面会もままならなくなっていたとき、「家に帰りたい」と繰り返し訴えるようになった際の思いについてだ。
そうは言うけど、画面を通して観客である我々が受け取ったものは深い愛情以外のなにものでもなく、改めて「愛」の複雑さと素晴らしさを目の当たりにした気分だった。
もしかしたら、それを愛情と呼ぶのは恥ずかしいのかもしれないし、手垢のついた表現ではしっくりこない種類のものなのかもしれないし、ひとつの単語で要約するのは不可能なのかもしれない。でも、最期の日々がこのように記録され、映画としてまとめられたとき、素敵なお看取りだったんだなぁ、という感慨だけは確かなものとしてそこにあった。
同じ手記のラストで、お母様はこんな風に書いている。
しみじみといい文章だ。
子どもの頃、おとぎ話などのラストが「二人は結ばれましたとさ。めでたし、めでたし」なことにずっと違和感を覚えていた。むしろ、そこから二人の生活が始まるわけでハッピーエンドにはまだ早いだろ、と。北野武の『キッズリターン』じゃないけど、「俺たちもう終わっちゃったのかなぁ?」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」と言いたかった。
王子様とお姫様だろうと歳をとるわけで、いつかはどちらかが先に死んでしまう。そのとき、どんなことがあるのか。示される童話をわたしを知らない。
でも、みんなにとって重要なのはそちらの方ではないだろうか。だって、平凡なわたしたちに冒険やら運命的な出会いやらが起きる可能性は低いけれど、死だけは100%訪れるんだもの。究極のメジャーコンテンツは看取り看取られに違いない。
そういう意味でも、今回、お看取りのリアリティを見ることができて、とても嬉しかった。どういう経緯でこのような映画を作ろうと思ったのか、興味が湧いた。
奇しくも、上映後の舞台挨拶で村上監督がそのあたりの経緯について語ってくれた。
当初、映画を撮る予定はなかったという。お父様を自宅で看取ると決まり、長男だった監督は東京でフリーランスの仕事をしているということもあり、仙台の実家に通う形で介護の手伝いをする予定だったそうだ。
ところが、いざ、そういう生活が始まってみると介護方針を巡ってお母様と口論になってしまったんだとか。作中も飲み物にとろみをつけるか否かで言い争いになっているシーンが出てくるのだけど、そういうことがたくさんあったのだろう。徐々に介護に関わることが嫌になっていたという。
たしかに、息子という立場だと言葉も強くなってしまうし、お母様からしても「お前に言われたくない」という反発も生じやすく、なかなか難しいんだろうなぁと容易に想像ができる。
どうすればいいのか?
悩んだ末に、息子という立場ではなく、映画監督という立場で関わればいいんじゃないか、という結論に達したというのだ。で、実際にカメラを回してみたところ、ご両親ともに反対はなく、かつ、監督自身も面倒で億劫だった現実が映画を作る上で必要なものと解釈できるようになり、以前より余裕が出てきたというから素晴らしい。
そういう意味では個人的な事情からスタートした撮影だったけれど、前述の通り、訪問入浴介護サービスやヘルパーさんの様子を撮っていくうちに、お看取りという普遍的なテーマにつながっていく。『あなたのおみとり』というタイトルはきっとそのことが反映されているのだろう。
公式サイトには看取りや介護の体験談をまとめているブログもあり、誰もが無関係な問題ではないことが痛感させられる。
そして、監督の話で嬉しくなったのはお母様がこの映画を通して元気になったというご報告だった。
なんでも、地元で上映会をやったとき、人前に出ることを最初は嫌がっていたお母様だったけど、いざ喋ってみるとノリノリだったとか。毎日のように劇場を訪れ、話す内容も充実していき、むかしの卒業アルバムやら住所録やらを引っ張り出して、知り合いに手紙を送りまくったとか。結果、劇場でお母様は長いこと会っていなかった人たちと再会を果たし、まるで生前葬のような有り様だったと監督は笑っていた。
看取りというと途方もなく大変なことに思っていたけれど、様々な福祉サービスはあるし、そのことを通して新たな出会いや懐かしい再会もあるのだと知れて、たくさんの勇気をもらえた。たぶん、それは看取る側だけでなく、看取られる側の安心にもつながると思う。
パンフレットのインタビューで、お母様はこの映画をお父様に見てもらいたかったと言っていると監督が明かしていた。
なお、今後も各地で上映をしていくそうなので、機会があればみなさん、ぜひぜひ見て頂きたい!
自分の死であっても、身近な人の死であっても、とにかくわたしたちは死から逃れることができない。看取りをすでに経験した人も、これから経験する人も、誰もがなにかしらを得ることができる映画だった。
本当、いい作品でした!
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