
【映画感想文】夜中の街を徘徊するわたしは幽霊なのか? - 『ゴースト・トロピック』監督:バス・ドゥヴォス
朝、コーヒーを飲みながらYouTubeを見ていたら、知らない映画の予告編がオススメに出てきた。
監督も知らない。役者さんも知らない。なにもか知らない映画なのに、落ち着いた映像と穏やかな音楽がとても心地よくて、すっかり心を掴まれてしまった。
渋谷のル・シネマで上映しているらしい。わたしはそのまま家を飛び出した
高校生の頃から通った映画館。いつもの通り、109の右側の道をテクテクしたところ、東急本店を目の前にビックリ。解体工事を行っていた!
そう言えばニュースになっていた。一年以上前だろうか。残念だなぁと思った気もする。だけど、それから実際に訪ねる機会がなかったせいで、未だ、わたしの頭の中では東急本店は営業中。ありありと鎮座ましましていたから、事実とのギャップに愕然とした。
しかし、落ち込んでいる暇はなかった。だって、目当ての映画館があるはずの場所にないのだから。すでにスマホでチケットは購入済み。上映まであと十分。移転場所へ急がなくてはならなかった。
Googleで慌てて調べた。

なお、Googleマップにまだ反映されていない
徒歩11分。
素直に絶望。
わたしは渋谷事変ばりにセンター街を疾走した。
結果、間に合ったけれど、息は絶え絶えだったので、エレベーターに乗ったとき、けっこう恥ずかしかった。一応、オシャレな映画をオシャレに観にきたつもりだったので、こんな風にゼェゼェやるのは本意じゃなかった。
上へあがっている間、深呼吸しながら、もし移転先が違う街だったら、わたしはどうしていたのだろうと考えた。タクシーで行くのはもったいないし、ちゃんと調べなかった自分が悪いと映画を諦めていたのだろうか。でも、このまま帰るのもバカらしいし、その辺のお店でカロリーを摂取していたかも。まあ、それはそれで悪くないかも、と起こらなかった可能性に思いを馳せた。
さて、このときは突拍子もない妄想をしているつまりだったが、『ゴースト・トロピック』を鑑賞して驚いた。そういう映画だったのだ。
真夜中のブリュッセル。仕事終わり、終電で帰るつもりが寝過ごしてしまったアラブ系の女性。目が覚めると終点で、娘に電話をかけるもつながらず、手元にお金は全然ない。遠い道のりを歩いて帰らざるを得なくなってしまう。日常の起こり得るけど、起こらないはずの可能性が本当に起こってしまった物語。

行くはずじゃなかった街で、やるはずじゃなかったことをする。そのため、会うはずじゃなかった人に出会い、交わすはずじゃなかった会話を交わす。キャッチコピーの「真夜中の一期一会」がグッとくる。
いつもだったら、とっくに帰宅し、明日の仕事に備えて寝ているところ。なのに、ひょんなことから都会の夜に迷い込み、ふらり歩き回る彼女は異質な存在。まるで幽霊みたいであった。
たぶん、アラブ系であることに意味があるのだろう。決して詳細が語られることはないけれど、移民として、ベルギーにやってきて、朝から晩まで働き、一人で娘を育てる苦労が伝わってくる。来たくて来たわけではなくて、来ざるを得なかったから来た場所であっても、人間、どうにか生きていかなきゃいけない。そんな背景が彷徨うヒジャブ姿から伝わってくる。
ときおり、都会のあちこちからトロピカルな鳥のさえずりが聞こえてくる。彼女にとっての楽園がここに重なっていることを示唆しているのか。あるいは、どんな場所でも我々は楽園を見出すことができるということなのか。とにかく、ゴーストにトロピックが垣間見える。
移民問題と比べて、わたしの経験は大したことないけれど、この感覚はけっこうわかる。
学生時代、よく夜中の街を徘徊した。なにかをしたいわけじゃなく、ただ、家に帰りたくなくて、あてもなくフラフラ歩き回った。
その頃は実家暮らしで、家に帰ると現実が待っているようで、十八才の精神は自由を求めて躍動していた。真っ暗な竹下通りを走ってみたり、誰もいないスクランブル交差点に寝転んでみたり、皇居近くの真っ暗な広場で踊ってみたり、昼間にはできないことをたくさんやった。
お巡りさんに声をかけられたこともある。学生証を見せると呆れたように「若いね」と言われた。そのときは嫌な感じがしたけれど、いまならわかる、「若いね」と。
朝になったら築地でラーメンを食べた。いまはなき井上。尋常じゃない量の化学調味料がふぁさーっと目の前で投入されるのを見るのが好きだった。

それから、お金を貯めて一人暮らしを始めてからというもの、夜中に出歩くことはなくなった。地に足がついた気がした。日本の幽霊には脚がないけれど、だから、ああやって夜になるとそこら中を飛び回っているのかなぁ、なんてことを思った。
居場所がないって、本当に苦しい。大袈裟でなく、幽霊になったようなもの。それはもちろん物理的に寝る場所がないという話ではなくて、自分はここにいてもいいのだと安心できる精神的な拠り所という意味だ。
生まれ育った土地であっても、そうやってしんどくなってしまうのだから、よその国へ行かなきゃいけなくなったとしたら、想像するにあまりある。
ただ、バス・ドゥヴォス監督は『ゴースト・トロピック』で希望を提示していた。そのことがとても嬉しかった。
鑑賞後、映画を後にして、渋谷の街並みを改めて眺めたとき、頭の中で鳥のさえずりが聞こえた。ここにトロピックを見出せるかはわたし次第なのかもしれない。
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