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【ショートショート】アンチを開示してみたら (3,232文字)
高校生の息子が自ら命を絶ってしまった。スマホに残された遺書によればSNSで誹謗中傷に遭っていたらしい。普通の子どもがなにをそんなに攻撃されることがあるのか? とにわかには信じられなかった。だが、息子のアカウントを覗いてみれば、いまもなお酷いコメントがつき続けていて言葉を失った。
どうやら息子はイラストを投稿していたようで、人気アニメのキャラクターを描き、多くの人に応援されていた。妻もそのことは知らなかった。葬儀に来てくれた同じクラスの友だちはなんとなく聞かされていたみたいだけど、それも最近、本人が、
「アンチコメに悩んでいる」
と、話す中で明かされただけ。ずっとこっそり頑張っていたようだ。息子の絵には性的な表現も多々あったし、つぶやきのみの投稿には日常の愚痴が記されていたし、現実とインターネットを切り分けていたのかもしれない。
わたしたち夫婦は途方に暮れてしまった。息子の様子がおかしいと気づいてはいたが、学校でトラブルがあったものだと思い込み、担任の先生に相談するなどしてきたがなんの意味もなかったのだとようやくわかった。まだ若い教師が自信なさげに、
「いじめはないと思いますけどねぇ」
と、答えるたび、ちゃんと調べてくれと怒号をあげていた己が恥ずかしく、また、親として息子がどんな生活を送っているのか把握できていなかったことが悔しくてならなかった。
なにもかもが手遅れだった。それでも息子を死に追いやった連中の顔を見てやりたかった。お前らの書き込みがどんな事態を引き起こしたのか、一言、ぶつけてやりたかった。そして、できることなら殺し返してやりたかった。
殺人で捕まった場合の懲役を調べた。五年以上の懲役とあった。最大は二十年らしい。内容が内容だけに情状酌量されるのではないかと皮算用もした。もし、最初の犯行が発覚せず、複数人殺せた場合はどうなるのかも確認した。どこかで聞いたことのある永山基準についても詳しくなった。三人以上を殺したら死刑。私にとって、その言葉は死刑になる覚悟があるのなら、三人以上殺してもよいという許可に聞こえた。
密かに私は息子のアンチアカウントを全員殺す計画を立て始めた。あえて会社は休まなかった。無理をしないでくださいと上司は言ってくれたが、
「むしろ働いている方が気がまぎれるんです」
と、日常を取り戻すため奮闘している姿に擬態した。
家庭では悲しむ妻を支えた。息子がいた頃は決して仲のいい夫婦ではなかった。会話もあまりなかったし、一緒に出かけることもなかった。それが様々な手続きをするにあたって、妻と多くの時間をともにした。さすがに出会った頃のようには戻らないけれど、こうして二人、長い時間を過ごしてきた蓄積を改めて実感した。
いっそ妻には明かそうかと思った。復讐をするつもりなんだと。だが、健気に毎日を生きる彼女に罰を受けさせるのは忍びなく、やはり私が一人ですべてを背負わなくてはいけないと何度も何度も考え直した。
誹謗中傷している人物の特定は想像以上に大変だった。弁護士にお願いしたところ、遺族による開示請求をサービスの運営会社はおそらく拒否するだろうとのことだった。仮に開示されたとして、権利侵害が明らかでないという理由でプロバイダーも拒否する可能性が高い。さらに契約者と発信者が異なる場合もあり、それら複数の壁をひとつひとつ乗り越える必要があるとのことだった。
まだ三十代そこそこの若い弁護士は申し訳なさそうに、
「お金も時間もかかります。精神的な負担も大きい。それでもやりますか?」
と、尋ねてきた。私はかまわないと答えた。
たしかにお金も時間もかかった。もし、これが息子本人による開示請求であればスムーズに進むらしい。匿名のアカウントと私はどのような関係にあり、該当の書き込みが息子の自死とどのような因果関係があるのか、遺族である私が発信者の情報を知る妥当な理由はどこにあるのか、などなど、多くの説明が求められた。
最初は納得がいかなかった。こんなもの、息子に向けていまも投稿され続けている酷い言葉を見れば明らかじゃないかと憤った。弁護士もうんざりしていたが、
「表現の自由は国家権力に介入されやすく、そういう圧力から守るために、各社、一生懸命なんですよ。我々にとっては煩雑ですが、丁寧に乗り越えていけば最終的には求めているものにたどり着けますので頑張りましょう」
と、励ましてくれて、三年間頑張ることができた。
そして、ようやく、発信者の特定に至ったわけなのだが、複数人いると思われていた加害者はたった一人だった。矢田寺誠。東京都練馬区に暮らす人物が大量のアカウントを所有し、息子を攻撃していたのである。
住所と氏名が明らかになった夜、私はすぐにその場所は向かった。凶器には柳刃包丁を選んだ。何度も何度も刺してやるつもりだった。
目的地であるアパートは二階建て。剥き出しの鉄骨階段は錆びつき、黄ばんだ壁面には黒いシミがところどころについていた。
クソ野郎の暮らす一階の角部屋にはインターホンがついていなかったので、鞄から柳刃包丁を取り出し、後ろ手に持って扉をドンッドンッ叩いてやった。反応はなかった。もう一度叩くも同じだった。試しにドアノブをひねると簡単に開いた。
中からぶつぶつと呟く声が聞こえた。ガラス戸の向こうにやつがいることを確信した。じめっとした手のひらで柳刃包丁の柄をつかみ直し、家中を整え突入した。驚かれると同時に腹を割き、頬を突き刺し、靭帯をズタズタに壊してしまうつもりだった。
しかし、そうはならなかった。そこにいたのはゴワゴワの白髪を床まで伸ばし、焦点の定まらない老婆だった。私が入ってきたことも認識できないまま、パソコン画面に向かって呪詛のようなものを唱えながら、老婆はキーボードをカタカタと打ち続けていた。
その後、弁護士の調査で判明したのは矢田寺誠は八十二歳の女性で、身内はなく、以前は立ち食い蕎麦屋のパートで生計を立てていたけれど、持病の腰痛が悪化してからは生活保護を受給していること。デイサービスや訪問支援協力員に見守られているようだ。
矢田寺誠の趣味はインターネット。仕事を辞めた後、区の無料パソコン教室に通い、SNSのやり方を覚えたらしい。もともと絵を描くのが好きだったので、イラストを投稿し、いいねを通して様々な人と交流していた。恐らく、その中で息子のアカウントもフォローしたのだろう。
それからどうして息子に誹謗中傷を送るようになったのかはわからない。どうして複数のアカウントを作ったのかもわからない。ただ、現在も息子に向かって罵詈雑言を書き込み続けている矢田寺誠が正気でないことだけはたしかだった。
彼女の地域を担当しているソーシャルワーカーさんに伝えたところ、すぐに医療チェックが入り、矢田寺誠のアルツハイマー型認知症はかなり進行していることが明らかとなった。頭部MRI検査で海馬や側頭葉内側の萎縮が確認された。もともと物静かな人で、会話などには症状が現れていなかったのでヘルパーさんは見逃してしまったのだろうとのことだった。そんなバカな話があるかと思ったものの、みなさん、いろいろあるわけなので不満はぐっと飲み込んだ。
医者曰く、矢田寺誠の場合、文字を入力するときに暴力性が高まるようで、それが誹謗中傷の投稿につながったのではないかとのことだった。つまり、息子を傷つける意図を持っているとは考え難いとのことだった。
たぶん、そうなのだろう。許せない気持ちとは裏腹に、薄暗い畳の部屋で一心不乱に息子に対する罵詈雑言を入力している矢田寺誠を見てしまった私は納得せざるを得なかった。あのしょんべん臭い空間は事理弁識能力および行動制御能力の欠如をなによりも物語っていた。
だから、私はあのとき握った柳刃包丁を下ろせないまま今日までこうして生きてきた。明日からもこうして生きていくのだろう。
(了)
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