【ショートショート】寿命投資 (2,966文字)
「98番でお待ちの方ー」
銀行員の洋子は受付で、次から次へと客をさばきまくっていた。まもなく15時になろうとしていたが、未だ、待合スペースにはたくさんの人がいて、わかりやすく貧乏ゆすりをしていた。
みんな、予定があるのだろう。でも、こっちだって朝からずっと働いているのだ。イライラするのはお互い様。つい、洋子は営業スマイルを崩してしまいそうになる。
最近、なぜか、行員に不幸が続いていた。事故や病気で入院し、亡くなる人もけっこういた。そのため、人手不足はピークに達し、洋子たち現場は苦しんでいた。
「98番です。お願いします」
番号札を受け取った。目の前におばあちゃんが立っていた。
清潔感のあるグレイヘアに、大きな丸眼鏡越しの瞳はキラキラ輝き、いかにも気品がありそうだった。服装は紺のニットにアニマルスカーフとネックレスを合わせ、ホワイトジーンズを軽やかに履きこなしていた若々しい上にカッコよかった。
きっとお金持ちなんだろう。洋子はそんなことを考えながら、
「いらっしゃいませ。大変お待たせ致しました。本日のご用件をお聞かせください」
と、いつものように接客を始めた。
「すみません。寿命投資の一部を売却し、引き出そうと思いまして。お電話で問い合わせたら、ネットでやるように言われたんですけど、わたし、そういうの詳しくないでしょ。教えてもらいたくて来たんです」
おばあちゃんは肩をすくめて、はにかんだ。洋子は寿命投資という聞きなれない言葉に違和感を抱くも、
「申し訳ありません。投資関係については信託銀行の管轄なので、こちらの窓口ではご対応できかねます」
と、マニュアル通りに応対した。
「あら。そうなの。でも、寿命投資はこちらでおすすめされて、こちらで口座を開設したんですよ」
「さようですか。もしかしたら、書類だけご記入頂いたのかもしれませんね」
「いいえ。ちゃんとこちらで寿命も預けました。ちょっと、そのときの人を呼んできてもらってもいいかしら。たしか、三田寺くんよ。三田寺くん。とっても優しい好青年の三田寺くん」
それは洋子の知らない名前だった。ずいぶん、昔の話なのかもしれない。寿命を預けたとか、わけのわからないことを言ってもいるし、見た目に反しておばあちゃんの認知機能はけっこう低下しているのかも。
いまは面倒な客の相手をしている場合じゃなかった。とりあえず、適当に帰ってもらおう。洋子はそう判断し、
「失礼します。現在、うちには三田寺という者は在籍してありません。お手数おかけしますが、信託銀行の場所をお伝えしますので、改めて、そちらでご確認をよろしくお願いいたします」
と、地図を渡そうとしたのだが、ピシャリ、紙を跳ね除けられてしまった。
「いい加減にしてよ。わたしはここで寿命を投資しているの。そして、増えた寿命をいますぐ引き出さなくちゃならないの。さもなくば、入院中の孫が死んでしまうかもしれないんだから。とにかく、一番偉い人を呼んできてちょうだい!」
おばあちゃんはすごい剣幕で声を張り上げた。銀行内の空気が一気に張り詰めた。
こうなると洋子も従うしかなかった。おずおず、別室にいる支店長のところへ急いだ。
「なに? 三田寺さんに会いたいって? そりゃ、無理だよ。うちの重役も重役だぞ。こんな地方の支店まで来てくれるわけがないじゃないか」
支店長は洋子から三田寺の名前を聞き、呆れたようにぶつくさ言った。
「じゃあ、三田寺さんって方は本当にいらっしゃったんですか?」
「ああ。いたよ。この支店で信じられない成績を上げた伝説の銀行員だよ。俺が配属されるずっと前の話だから、直接、お会いしたことはないけどな」
「へー。だとしたら、支店長、代わりにご対応頂いてもいいですか。一番偉い人を呼んで来てくれとお客様がおっしゃっているので」
「はぁ。仕方ねえな。それで用件はなんだっけ?」
「寿命投資の一部を売却したいとのことでした」
「寿命投資! バカ野郎、それを早く言えよ!」
突然、支店長は目の色を変え、慌てて窓口目指して駆け出した。戸惑いつつ、洋子はその背中を追いかけた。
すでに支店長は早速おばあちゃんにペコペコ頭を下げていた。洋子が間に入る隙もなく、二人は応接室へ移動した。
それから、洋子は通常業務に戻った。再び、次から次へと客をさばきだした。口座作成や大金の引き出し、高額振込に必要な手続きをテキパキこなした。最後の一人を見送ったとき、17時近くなっていた。
凶悪に忙しい一日だった。早く、スタッフを補充してほしかった。このままじゃ、残っている人たちだって、いつ身体を壊してもおかしくなかった。
ヘトヘトな洋子のぼんやりとした視界の中で、応接室の扉が開いた。ホクホク笑顔のおばあちゃんが出てきた。支店長は腰を低くし、出口まで丁寧に付き添っていた。そして、深々、頭を下げ、
「本日はご足労いただき、まことにありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願いします」
と、高らかに挨拶していた。
洋子は怖くなってきた。あのおばあちゃんは想像以上に偉い人だったのかもしれない。だとしたら、自分の態度は失礼千万。やらかしてしまったかも。
案の定、支店長は真っ直ぐ洋子のところにやってきて、
「今回は仕方ないけど、寿命投資のお客様は必ずVIP待遇すること。わかったね」
と、険しく注意を促した。
「すみませんでした。寿命投資について把握していなかったもので」
「まあね。一般の行員は知らなくていいことだからな」
「なるほど。勉強になりました。極秘の商品なんですね?」
「一応、そういうことになっているな」
「……ちなみに、それって、具体的にはいったい?」
「さあ。俺もわからない。ただ、戦前、三田寺さんが営業に力を入れ、何万人もの寿命を集めることに成功したって話は有名だよ。その運用益でうちはでっかい銀行になったんだとか」
「戦前って、三田寺さん、いまも重役として働いているんですよね?」
「ああ。だから、150歳はいってるだろうな」
洋子は支店長が冗談を言っているんだと思った。だが、笑いそうになった瞬間、真剣な表情が見えたので、ひとまず息を飲み込んだ。
「待ってください。だとしたら、さっきのおばあちゃんの年齢は? 三田寺くんに寿命投資をすすめられたって言ってましたよ。とっても優しい好青年だったって」
支店長は黙って書類を見せてきた。そこにはおばあちゃんの名前と生年月日が記されていた。元号のところには「天保」の文字が鎮座ましましていた。
支店長は身体を伸ばし、
「新選組や徳川慶喜の思い出について聞かされたよ。他にもペリーは男前だったとかも。あー、疲れた」
と、ため息まじりにボヤいた。
「じゃあ、おばあちゃんの孫っていうのも」
「100歳は越えているだろうな。増えた寿命を充てがって、長生きさせてやりたいんだってさ」
洋子は唖然とした。そんな世界があったなんて。しかも、自分が働いている身近な場所で。
あまりの衝撃にまともな思考ができなかった。それでも、湧き上がる欲望に突き動かされ、
「寿命投資って、わたしも始められるんですか?」
と、尋ねずにはいられなかった。
支店長はニヤッと笑った。
「やめてくれ。お前まで寿命投資に失敗したら、業務が回らなくなっちまうだろ」
(了)
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