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【読書コラム】死ぬほど辛い失恋の悲しみが回復していく過程を記録したレジリエンスなアート作品 - 『限局性激痛』ソフィ・カル(著), 青木真紀子, 佐野ゆか(訳)
恋人にフラれたときって世界の色がモノクロに変わってしまうほど辛いものである。自分が生まれてきた意味すら壊れてしまって、これからどうやって生きていけばいいのかわからなくなる。
なにをしていてもフラれたという事実に頭を支配され、心ここに在らずで目がまわる。食欲はなくなり、お笑い番組を見ても笑えない。街ゆく人たちに「お前らは幸せでいいよな」と悪態をつきたくなるほど、自分がこの世で一番不幸なんだと本気で悲しくなってしまう。
もう死んだっていい。そんな投げやりな気持ちでほとんどの時間を布団で過ごし、お風呂にも入らず、自分自身に興味を持てなくなる。そして、ひたすら、どうしていればよかったのだろうと後悔を重ねまくるのだ。
こんな苦しい失恋、きっと、わたししかしていないのだろう……、とみんな思っている。主観だと特殊も特殊な出来事なのに、客観的にはありふれているのが失恋で、当事者は小説になるような経験と盛り上がる一方で、聞かされる方はよくある話だなぁとうんざりとしてしまう。
だから、
「彼なしで生きていけない……」
と、絶望していたはずのあの子も数ヶ月も経てばケロッと復活、いま気になっている人は商社に勤めていてね! なんて明るく楽しくしていたりする。
時間が解決してくれる。
すっかり陳腐な言い回しだけど、そこにはやはり真実があり、誰もが時間の凄さは実感している。ただ、すり傷がどうやってカサブタになり、治癒が進み、元通りの綺麗な肌を取り戻すのか過程を把握している人は少ないように、わたしたちは失恋の痛みが回復するプロセスについてはあまりよくわかっていない。結果的になんとなかなると知っているだけ。
そんなレジリエンスのあり方に注目したアーティストがいる。今年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したことでも話題になったフランスのソフィ・カルだ。
現在、70歳の彼女は40年前、30歳の頃に奨学金を得て日本に3ヶ月滞在したという。それはちょうど10歳のときに出会って以来、片想いをし続けてきた年上のアーティスト・Mと恋人になったばかりのことだった。
ようやく手に入れた最愛の人と離れ離れになるのは不安だった。でも、相手が自分をどれだけ好きか確かめるためにも長い旅に出ると決めた。
ある日、日本のホテルにパリから彼の手紙が届く。3ヶ月の滞在が終わったら、ニューデリーのホテルで待ち合わせよう。早く君に会いたい、と。これを読み、ソフィ・カルは勝利を確信する。
だが、当日、ニューデリーのホテルに行ってみるも彼の姿はなかった。代わりに伝言が待っていた。
「M氏デリー来られず。パリにて事故で入院。パリのボブに連絡を。敬具」
この後、ソフィ・カルに限局性激痛が訪れる。これは医学用語で文字通り局所の鋭い痛みを刺すらしい。要するに会えるはずの恋人がパリでなにかしらの事故に巻き込まれ、約束の場所に来れなかったと思ったら、実はぜんぶ盛った表現をしているだけで、本当のところは何事もなく無事で、要するに別れたいという話をしたいだけだったというオチなのだが、彼女にとっては寝耳に水の失恋であり、愛する男に振られてしまったのである。
言ってしまえば、多少、豪華なシチュエーションだけど、よくある失恋の変奏曲に過ぎないわけで、普通だったら「時間が解決してくれる」で惨めな日々を探せばいいだけだけど、さすがはアーティスト、ソフィ・カルはただじゃ転ばない。この痛みを作品にしようと考えた。
そして、先述の限局性激痛に至るまでの91日間のカウントダウンをまとめ、その後の痛みが帰るまでの99日間を克明に記録したコンセプチュアルアートを『限局性激痛』という一冊の本に仕上げた。
ちなみに最愛の人に振られてからの99日間、なにをやっていたかというと、自分のつらい失恋のエピソードを誰かに話して聞かせた後、相手の人生で最大のつらい出来事を教えてもらうという対話をソフィ・カルを重ねた。
最初、ソフィ・カルはそのことについて長文でドラマティックに振り返る。
5日前、愛する男に捨てられた。
彼は父の友人で、少女のころからすでに憧れていた。私はふたりの初夜のために、ウエディングドレスを身にまとい、ベッドに滑り込んだ。それ以前に私は、3ヶ月間日本に滞在する奨学金を申請していた。折悪しく認められてしまった。Mは私がこんなに長い間いなくなることに不満気だった。私を忘れると脅した。もしかしたら、彼がそれを待てるほど愛しているのかどうか、確かめたかったのかもしれない。結局出発してしまったからだ。彼は彼で、待つよう努めると言い、日本滞在後にインドで落ち合おうと提案してくれた。私がパリを発ったのは、1984年10月25日だった。悪夢だった。この日本滞在を憎み、1月24日に予定されていた彼との再会の日を頼りに生きた。再会の日の前日、彼は自分の便の離陸3時間前に、到着予定を知らせる電話をしてきた。私より早く着くので、ニューデリー空港で東京からの便を待つと。私は勝ったのだ。しかし空港で、こんなメッセージを受け取った。「M氏デリーに来られず。パリにて事故。病院。ボブに連絡を」彼とは電話で話したばかりだったので、オルリー空港へ向かう途中で事故に遭ったこだと思った。ボブというのは医師である私の父のことで、Mは重傷を負ったか、あるいは死んだのかもしれないと思った。彼が予約していたインペリアル・ホテルの部屋に入った。連絡が取れず、父をつかまえるのに10時間かかったが、父はメッセージのことなど何も知らなかった。Mは確かに病院に行ったのだが、指の甘皮の膿みを取るための10分間だけだった。たったそれだけ。彼の家に電話をすると、彼が出てこう言った。「君に会って説明したいことがあったんだ」私は言い返した。「好きなひとができたのね?」「そうだ」私は受話器を置いた。夜が明けるまで、電話を見つめて過ごした。こんなに不幸だったことはない。
すごい長いよね笑
ちなみにアート作品として展示したときはこの文章を刺繍で表したというから苦労のほどは想像に難くない。そこまでする価値があると熱くなるほど思いがほとばしっていたに違いない。
ただ、対話した相手の人生最大の不幸を聞くにつれて、ソフィ・カルのテンションは変わってくる。例えば、兄弟の理不尽な死だったり、父親の死だったり、鬱病で自殺を試みていた日々だったり、読むだけでこちらも苦しくなってしまうような内容が並んでいるんだもの。相対的に失恋なんて大したことじゃないのかもと気づかされてしまう。
展示ではその変化を文字数の現象だったり、刺繍のあの数が減っていく様子で感じ取れたらしい。その辺りのニュアンスを再現するために書籍バージョンでは文字の色が薄くなっていくという粋な演出で再現していた。
この変化が面白いというか、わかるわかると共感できるというか、こうやって他者との関わりの中で自分の痛みを相対化し、大したことないと納得する行為を我々は「時間が解決してくれる」と言っていたんだなぁと追体験できるというか、思い出させてくれるというか、紋切り型となった言い回しの本質を炙り出していく様子に惚れ惚れとしてしまう。
ちなみに98日目は以下の通り。
98日前、愛する男に捨てられた。
1985年1月25日。261号室。インペリアル・ホテル。ニューデリー。それだけ。
めちゃくちゃ淡白。かつ短いと。というか、教科書に載っている歴史的事項みたいに自分とは遠い存在になっている。
なお、ラスト99日目がどうなるかは想像がつきそうだけど、ぜひ、ご自身の目で確かめて頂きたい。
これはカテゴリーとしては美術書になるんだけど、一流の文学作品と言えるはず! 日本語で読めるなんてめっちゃありがたい!
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