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【映画感想文】醜いのに美しく、理屈がないのに納得できて、退屈だけど永遠に見ていたい - 『美しき仕事』監督:クレール・ドゥニ

 渋谷のBunkamuraル・シネマで映画を見るたび、予告編が流れ、どういう話なのかさっぱりわからないけれど、ひたすらに映像が綺麗で興味を惹かれている作品があった。クレール・ドゥニの『美しき仕事』だ。

 やたら評判がよいらしく、錚々たる受賞歴と選出歴を誇っているらしい。

"史上最高の映画"2022年度7位(BFI)
TIME誌2023年度版「過去100年の映画ベスト100」選出
第35回全米映画批評家協会賞最優秀撮影賞受賞
第26回セザール賞最優秀撮影賞受賞
「映画史上最高のLGBT映画ベスト30」2016年度選出(BFI)

映画『美しき仕事』予告編より

 さらには『バービー』(2023年)のグレタ・ガーウィグ監督や『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の濱口竜介監督も影響を受けたと公言していた。これからの映画界を担う若い世代のクリエイターに相当な支持されている。

 なにがどうすごいのだろう? 興味が湧いた。

 予告編でわかることは以下のセリフから連想されるサバイバルだけ。

フォレスティエ
サンタン
そして私 ガルー
私たち3人のうち ただ1人が
外人部隊 第13准旅団にとどまった
サンタンは皆を魅了した
心の底に憎しみが湧くのを感じた

映画『美しき仕事』予告編より

 で、見てみた。まんま、この予告編にある通りの内容だった。信じられないけれど、約90分の物語はこの短い文章ですべて語り尽くせていた。

 ドニ・ラヴァン演じるガルーはフランス外人部隊にいた頃を回想する。具体的な国名はわからなかったけれど(わたしがぼーっとしていて聞き逃したのかも)、アフリカで曹長として部下を訓練していた。

 そこにサンタンと名乗る新兵がやってきて、みんなの人気者になるだけでなく、部隊を率いるフォラスティア少佐の心まで鷲掴み。その鮮やかさにガルーはサンタンを不審に思う。

 で、そこから、ガルーは一方的な嫉妬に狂い、逆恨みからサンタンに理不尽な攻撃を仕掛けるも、すべてがバレてご破算に。男同士の歪な三角関係について、その誕生から終わりまでが描かれていく。

 ただ、個人的に、なぜガルーが新兵サンタンをそこまで憎むのか理解ができなかった。

 一見すると、自分が敬愛しているフォラスティア少佐を奪われたとヤキモチを焼き、いじめずにはいられなくなったかのようだった。でも、それじゃあ、ガルーはあまりに勝手過ぎないか。

 この謎を紐解く上で、フランス外人部隊という環境の特殊性を押さえておく必要があった。

 このフランス外人部隊。名前は聞いたことがあったけれど、どういう仕組みなのか知らなかったので調べてみたら、1831年に創設され、現代まで存続している歴史ある部隊で驚いた。しかも、勝手に傭兵と思い込んでいたが、フランス陸軍に所属している正規部隊なんだとか。

 そして、このフランス外人部隊は特殊な人間構造を持っていて、それが『美しき仕事』の展開と関係してくる。

 というのも、将校は基本的に全員フランス国籍を有しているけれど、下士官以下は基本的に外国人志願者。人事権があるのは戦闘を行わない第1外人連隊である。

 特殊なのは入隊の際、本名を変更し、偽名を用いることが要求される点。(最近は本名のままだもOKになったいるみたい) これは「アノニマ」と呼ばれる制度で、もともと所属していた国家と縁を切り、別人に生まれ変わることで、新たにフランスへ忠誠を誓うという意味があるようだ。

 凄いのは入隊後、その偽名に基づいて、身分証や銀行口座、社会保障番号などが新たに発行されること。正式な書類として使えるので、文字通り、別人になることができるのである。

 そのため、かつては偽名制度を利用して、犯罪者が経歴を洗浄する目的で入隊することも多かったらしい。しかも、新兵の募集対象は外国人だけど、フランス系外国人と自称することで、フランス人が応募することも可能みたいで、ある意味で便利な組織となっている。

 いまは人手が足りないわけでもないので、スクリーニングで犯罪者は採用しないようになっているようだが、『美しき仕事』で回想される時代はそういうこともあったのだろう。

 つまり、ガルーはサンタンがフランス外人部隊に入隊したのは企みがあってのことなのだろうと疑っていたのだ。

 その疑いに根拠があったか否か、作中では描かれていなかった。故に、ヤキモチを焼いてから、後付けでこしらえた動機なのかもしれない。ただ、重要なのは、フランス外人部隊という特殊な環境において、その疑いは強い力を持つということ。

 本国から遠く離れた異国の地。過去を捨てた偽名の男たちが集団で生活している。日々、肉体を酷使し、いつ死んでもおかしくない緊張感が漂っている。そんな空間で感情を理性でコントロールするなんて、どう考えても不可能なのだ。

 監督のクレール・ドゥニはそのことを表すかのように、雄大な自然と隆々たる筋肉を淡々と撮り続ける。食事を作り、洗濯をし、余暇を過ごすルーティンワークを鮮やかにすくいあげる。そんな原始的に美しい世界だからこそ、男たちの醜い欲望はありのまま立ち上がってきてしまう。

 そこに理屈はない。だけど、納得はできる。

 さて、これまで述べてきた通り、この作品に物語的な山場はない。具体的な意味もなく、カタルシスを感じるオチもない。いわゆる「やおい」で、予告編の説明でストーリーはすべて語り尽くされている。はっきり言って退屈だ。どこで見るのをやめても問題はない。

 なのに、この映画を永遠に見続けていたいと思ってしまうのはなぜなのだろう? 

 特にエンディングのダンスは圧巻だった。レオス・カラックスの映画でも毎回、肉体を雄弁に動かすことに定評があるドニ・ラヴァンはここでも「美しい仕事」をしていた。

 タバコをくわえ、クールさを保とうとしているにもかかわらず、気づけば優雅に舞っている。飛び跳ね、身体を震わせて、最終的には床を転がり回ったかと思ったら、幸せを感じていたはずのダンスホールを逃げるように飛び出していく。

 まるで映画と独立したショットのようだけど、ガルーが味わった感情のぜんぶが表現されていた。なんなら、このドニ・ラヴァンの踊りを完成させるために、これまでの90分があったのだろう。

 最高に贅沢な映画だった。




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