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【ショートショート】あらこんなところにはっぱ隊 (3,026文字)
大学生の頃から付き合っていた彼氏に振られた。お互い三十歳になったことだし、そろそろ結婚かなぁ、なんて考えていたのに最悪だった。なんだよ。他に好きな人ができたって。
おまけに職場でも嫌なことがあった。部下からパワハラを訴えられたのだ。わたしの指導が原因で新入社員の子が適応障害になったらしい。
そりゃ厳しいことは言ったかもしれないけど、あくまで仕事に関することで、人格攻撃をした覚えはなかったので即座に反論した。すると、注意してきた上司は困った表情を浮かべ、
「そういう理屈っぽいところがダメなんだよ」
と、不快そうに吐き捨てた。
いや、あんたのそれはパワハラじゃないんかい! と思ったが、きっと、なにを言っても無駄だった。結果、わたしは承知しかねる部署異動を受け入れざるを得なかった。
公私ともに地獄だった。占いは信じていないものの、さすがに星の巡り合わせが悪いとか、なにかしらの原因はあるような気がした。
慌てて、新宿東口の占い館に駆け込んだ。いかにも母って感じの丸っこいおばちゃんに、手相、タロット、占星術と、見れる限りの運勢を見てもらった。きっと大殺界中の大殺界に違いないから。
ところが、おばちゃん曰く、なにをどう占ってもわたしは調子がいいらしい。良縁ありで、恋も仕事も絶好調。特に旅行運が抜群で、
「行きたいところがあるなら行かなきゃダメよ」
と、後押しされた。
ぶっちゃけ、あまりのはずれっぷりに一ミリもテンションは上がらなかった。でも、ここまで徹底的にダメダメだと、すべてを投げ出し、どこか遠くに逃げ出すというアイディア自体は悪くなかった。
そう思ったら、途端にストレスを溜めているのがバカらしくなってきた。
新宿の母に感謝して、そのまま近くにあったHISに直行。むかしから漠然と考えていた「いつか」がついにやってきたんだと認識し、プランをどんどん紹介してもらった。
で、いま、わたしはパリにいる。
シャンゼリゼ通りを歩き、凱旋門を見て、エッフェル塔の前で写真を撮った。ルーブル美術館でモナリザを鑑賞し、一番老舗のレストランというトゥール・ダルジャンで鴨肉のローストに舌鼓を打った。観光らしい観光をした。
楽しいと言えば楽しいし、こんなもんかと言えばこんなもんかって感じだった。でも、お昼にビストロでバゲットにハムとバターを挟んだシンプルなサンドウィッチを購入し、再建中のノートルダム大聖堂を眺めながら、セーヌ川沿いでランチをしていると、それなりに感慨深くはあった。
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
子どもの頃に読んだ中原中也の詩が頭の中を漂った。そのせいだろうか。本を読みたくなってしまって、橋を渡ったところにあるブキニストと呼ばれる古本市まで足を運んだ。
フランス語は読めないので、「冷やかしでごめん」と心の中で謝りつつも、色鮮やかな本がずらり並んだ光景は圧巻だった。
当然、ほとんどフランスの本だった。でも、そこそこの割合でHaruki Murakamiの名前が混ざっていたので驚いた。長年ノーベル文学賞候補になり続けるってこういうことなのかと、いまさらながら、その凄さを思い知らされた。
本だけでなく、ポスターや絵葉書を売っているお店もあった。絵画とか写真とかレコードとか、お土産によさそうな品もけっこうあった。
これだったらほしいものがあるかも。そう思って、積極的に箱の中を見ていたところ、明らかに場違いなCDを見つけた。股間に葉っぱをつけた裸の男たちがディスコっぽいところでポーズを決めているジャケット。はっぱ隊のヒット曲『YATTA』だった。
まず、懐かしさが込み上げてきた。小学生の頃、日曜夜八時からフジテレビで放送していた『笑う犬の冒険』がわたしは大好きだった。はっぱ隊はその中の人気コントで、『YATTA』のCDが発売したとき、生まれて初めて駅前のレコードショップに走った。
たぶん、実家にあるはずだけど、もしかしたら母が断捨離にハマったとき、捨ててしまっているかもしれない。YouTubeやSpotifyで聴けるような気もするが、せっかくの縁だし、ゲットしちゃおうかなぁ。どうしようかなぁ。
うっかり、童心に戻って悩んでしまった。ただ、ふとした拍子に視線を上げると、パリにいたことを思い出して戸惑った。どうして、こんなところにはっぱ隊が? 本来、それは最初に至るべき疑問だった。
でも、果たして、場違いなのははっぱ隊だけなのだろうか。ここでこうしてブラブラしているわたしだって十二分に場違いだった。
そのことに気がついた途端、なんだか、自分が裸であるように思われてきた。
冷静になると、彼氏に振られて、仕事でトチッて、占い師にそそのかされる形で、着の身着のままパリに逃げ出すアラサー女なんて、痛々しいにもほどがあった。
同僚の都合も聞かずに有給を取れるだけ取って、結婚資金で貯めていたお金を使うだけ使って、わたしはなにがしたいのか。自暴自棄もいいところ。三十年の人生で積み上げてきたあれこれが台無しになってしまった。
へこみ、うなだれ、絶望に全身が支配されようとしていた。
しかし、その瞬間。後方から、
「ヤッター! これでなんでもできるぞ!」
と、明るい声が聞こえきた。
振り向くと、そこには股間を葉っぱで隠した裸のナンチャンがいた。
「え? ナンチャン?」
「あなたは三十年頑張ってきた。だから、これから三十年、新しいことがなんでもできるんだ! ノット・ネガティブシンキング。ゲット・ポジティブシンキング。ヤッタ! ヤッタ! ヤッタ!」
そして、ナンチャンは両手をあげて、左右に踏み踏み飛び跳ねだした。
間違いなかった。はっぱ隊だった。
なぜ、こんなところにはっぱ隊がいるのかわからなかったが、混乱するわたしをよそにコントはどんどん進行し、裸の原田泰造、名倉、ホリケンも登場。さらにビビる大木とその元相方も加わって、
「ヤッタ! ヤッタ! ヤッタ!」
と、六人のボルテージは急上昇。まわりのフランス人たちも好奇の目をして集まってきた。
あまりの騒ぎにわたしは他人のフリをしたかった。でも、ナンチャンが凛々しい顔で、
「歌を歌わせてもらってもいいですか?」
と、聞いてくるので、無視をするわけにはいかなかった。
「そんなこと言われても、どうすれば……」
「ミュージックをください」
よく見るとビビる大木がラジカセを持って立っていた。
「もしかして、これですか?」
わたしは手元のCDをはっぱ隊の面々に示した。みんな、満面の笑みで頷いてくれた。
こうなったら買うしかなかった。Duolingoを行きの飛行機でささっとやって身につけた似非フランス語を駆使して、わたしは古本屋の店主から『YATTA』のCDを購入した。20ユーロは恐らくボッタクリだった。しかし、もはや、そんなことはどうでもよかった。
CDをビビる大木に渡した。音楽が流れだした。
気づくと、オーディエンスの数は増えに増え、通りは人であふれんばかりになっていた。曲に合わせた手拍子があたり一帯に鳴り響いた。
明るく楽しく、パフォーマンスに没頭し、歓声を浴びるはっぱ隊を見ていたら、なんか、勇気が湧いてきた。いろいろあったけれど、これでよかったのかもしれない。
やっぱり、新宿の母が言った通り、わたしの運勢はとても調子がよいらしい。
(了)
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