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成長という魔物

今日も帰りのバスでの執筆にトライします。

不思議なもので、書きたい!と思ったその瞬間に書き出すと、もう止まらない!という感じで、スラスラ書けるのですが、構成はある程度決まっていても、熱が冷めた状態では、全然筆が進まないものです。

今日は書きたいことが溢れ出てきたので、構成はまだあまりできてないのですが、書き始めています。

なぜ書きたいことが溢れ出ているかというと、今、Colorbathで一緒に働いているあっすーが、ググッと成長しようとしているまさに渦中にいて、その成長痛が、きっと今一番痛い時期なんじゃないかなと思ったからです。

まさに今日、そんなあっすーと話をして、一つの動画をシェアしました。

この動画の中で紹介されている、成長の階段。
何かを「できる」ようになるまでには、4つの段階を経る必要があるというものです。

  1. 意識していないし、できない

  2. 意識していても、できない

  3. 意識していたら、できる

  4. 意識しなくても、できる

今までできなかったことが「できる」ようになるまでには、必ずこのステップを踏むことになる、というものです。

よく、小さい子どもが自転車に乗れるようになるまで、などが例に出されたりします。

  1. 乗ったことがないし、何かもよくわかっていない

  2. 乗り方を教えてもらったけど、たくさん転ぶし、思うように走れない

  3. コツを意識していれば、思うように運転できるシーンが増えてくる

  4. 他のことを考えながらでも、鼻歌歌いながらでも、運転できる

できなかったところから、できるになるまでには、必ず一定期間「できない」状態が続くのです。
そして、この「できない」状態というのが、私たちにとってはとても不快なものなのです。
その不快を避けようと、そもそも知らなかったこと、無かったことにしようと、防衛本能から心は勝手に一段階目の「意識していないし、できない」状態に戻ろうとします。

不快はしばらく続く。

これだけでも十分に魔物的な手強さがあるのですが、個人的にはこの不快ゾーンにいる時に、さらにしんどさを増幅させるものがあると感じています。

「できる」ようになった自分の姿に、実感が持てない。

こう思ってしまったとき、結構メンタル的にきついよなと思うのです。

それを乗り越えるために、できるようになった自分の姿をイメージするとか、必ずできると信じるとか。
よく言われると思うのですが、そうは言っても心から本当にそう思うのはなかなか難しいものです。

声に出して、そう自分に言い聞かせたとしても、ふとした瞬間に、

「これを続けていて本当にできるようになるのか?」
「結局はまた元の自分にもどってしまうのでは?」

といった不安はよぎるものです。必ず。

だからこそ、

できるようになった姿なんて、今は1ミリも想像できない。それでいいし、それがいい。
でも、必ず、今は想像もできない自分が半年後、1年後、3年後にはそこに確かに立っている。

根拠は0で、そう信じる。

いや、信じるとか信じないとかではなく、きっと、「そういう摂理」なのだと思います。

と、書いてはきましたが、一年ほど前、ことあるごとに涙を流し、仕事の一挙手一投足が恐怖でしかなかった時の私は、そんなふうには、これっぽっちも思えていませんでした。

きっと、そういうものなのです。





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