「いつか」の時のために。
知床の観光船「カズワン」沈没事故から5ヶ月が経った。
まるでそれは1912年に沈没したタイタニックを彷彿させるようで、
「知床」という日本だけどとても遠いところで起きている現状を、
私はニュースを見て、ただただ茫然と見守ることしかできなかった。
乗船していた乗客乗員26人全員が死亡・未だ8人が行方不明の大事故。
この日の知床の海は1〜2度だった。
報道を聞く中で、私の中で特に印象深かった人が2人いる。
1人は、乗船当日に彼女へプロポーズをしようとして帰らぬ人となってしまった男性の話。
彼はその日、船から戻った後、
愛情を綴った手紙と共にティファニーのペンダントを渡す予定だった。
しかし、それは叶わなかった。
妻になるはずの彼女は、事故当日一緒に乗船しており、そのまま行方不明となった。
事故後しばらく見つかっていなかったが、
その後国後島で発見され、先日ロシアから日本へ引き渡されたという。
皮肉にも、事故当日は彼女の誕生日だった。
男性の家族とその彼女の家族は、
話し合いの結果、
2人が暮らすはずだった街の役所に婚姻届を出しに行ったそうだ。
受理されなくとも
「せめて形を残してあげたい」という思いで。
ニュースには男性の親友も出ていた。
「お疲れさんって。ありがとうって。」と泣きながら話していた。
亡くなった男性の父親も取材に応じ、
「車から手紙とペンダントが発見された時、
残されていた手紙は読めなかった」と。
涙を流しながら語る親友と父親の悲痛な思いに、私も涙無しではとても見れなかった。
もう1人は佐賀に住む男性の話。
男性は、亡くなる直前に妻へと電話し、
「船が沈みそうだ。
今までありがとう。
お世話になったね。」
と言ったそうだ。
その後、別の親族を通じて、
妻は夫の死亡確認を知らされたそうだ。
男性の義弟は、
「義兄の優しい人柄が出ている。必死だったのだろう」と話していた。
助かるわけがないと思いつつも、
ほんの少し、どこかで生きていのではないかと希望をかけることのできる「行方不明」。
もう一度会うことはできるが、
大事な人が亡くなった事実を目の当たりにしなくてはならない「遺体発見」。
「大切な人が突然いなくなる」
という経験をしたことがない私には、
もちろんどちらの方か良いかなんて分からないし、言うこともできない。
しかし、遺族の方々を思うと、
どちらであってもとてもやるせなく、計り知れない悲しみや不安に襲われることは私にでも分かる。
元気に帰ってきてくれるならもちろんそれが良いに決まっている。
それでも人の寿命は私自身も含め、いつ終わるかなんて誰にも分からない。
だからこそ、
自分の大切な人が生きている間にたくさん会って、
もういいよというくらいたくさん話して、
自分と大切な人を繋ぐエピソードを
これからも紡いでいかなければならないと思った。
そんな「いつか」の時の為に、
自分の大事な人をいつだって大切にできる人でありたい、心からそう思う。
残された人は何を思い、
その人のためにその後の人生をどう生きていくのが正解か、考えさせられる一端にもなった。
この事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に、一刻も早く、残り8人全員が無事発見されることを願っている。