わたしを煽っていたのはわたし
今日から毎日、日記をつけようと思って、ひさしぶりにnoteをひらいた。
そうしたら、ちょうど10カ月前から5カ月前のあいだに、ちょっと前の自分が残した投稿がいくつも出てきて、ひさしぶりに読み返して、ちょっとびっくりしてしまった。
読みながら、長男の保育園への登園しぶりや、療育や、就学相談や、自分のエゴやキャリアになやんでいた気持ちを思い出した。「思い出す」くらい、過ぎていったことなんだと感じる。
あんなになやんでいたけど、結局はなるようにしかならなかった、というよりもなるようになった。
苦しかった気持ちを作りだしていたのは、環境というよりわたし自分のエゴだった。
前回noteを始めたときは、そんな自分のエゴを記録することにつかれてきて、noteの更新をやめてしまった。
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あれからゆっくり時間が過ぎて、繊細で予測不可能だった長男はこの春ぶじに小学校に入学し、日々順調にふてぶてしくも甘ったれな小1男子に成長しつつある。
支援級に登録していて(息子の小学校には独立した支援級はなく、担当の先生が数名いて、その子にあわせた対応をしてくれる)、長男がクラスメイトとおなじペースで行動するのがいやなとき、サポートの先生が根気強く話を聞いたり、説明したりしてくれる。学童にも行っている。学童の先生たちはみんなさっぱりしていておおらか。長男いわく、小学校も学童も「なかなかいい」らしい。
家では、遊んでいるときやテレビを見ているときなんかに「お風呂に入りなよ」とか「そろそろ寝る時間だよ」なーんて声をかけようものなら、すぐ「いじわる!」などと息を吐くように気軽に文句を言うけど、夜眠る前やソファに並んで座っているとき、「ママ大好き」とごろごろ甘えてきたりもする。夫とは相棒よろしく、一緒に動画を見たりゲームをしたりしている。
ちいさなころからずっとそばに、わたしの庇護のもとにいた、やわらかくて甘く幼いすがたと、わたしの目も手も届かない場所へ旅立っていく青年の気配が混ざり合って、なんだかとっても興味深い時期だ。
地球にきたばかりで宇宙人全開だった次男は、いまやほぼ正確に言葉を習得し(もうすぐ3歳)、意思疎通が容易になってきた。お調子者でへこたれない。舌足らずな口調でしゃべり、「いっちょに!いっちょに!」と兄をおいかけている。
たまに仲間にしてもらえるとにこにこ嬉しそうだけど、たいてい最後は身体能力の違いとコミュニケーションの不備によりどちらかが泣いて終わる。
先日、はじめて次男に「将来誰と結婚するの?」と聞いてみた。
長男は長い間「ママと結婚する!」と言い張り、わたしは甘くしあわせな時間をすごすことができたので、またあの甘~い気持ちを味わえると期待していた。しめしめとほくそ笑みながら答えを待っていたら、次男はしばらく考えてから「みほちぇんちぇい!」と保育園の若くて優しい先生の名前を叫び、「みほちぇんちぇい、かわいい・・・」とうっとりしていた。
次男は、金曜の夜には「あちたは保育園ない・・・」と悲しみ、日曜の夜には「あちた保育園、やったあ!」と飛び上がって喜ぶ。彼はわたしとも長男ともタイプが違う。自分によく似た長男を育てるなかですくわれたことはたくさんあったけど、自分とまったく違うタイプの次男がきてくれて、すくわれていることもたくさんある。
ちなみに、5カ月前までやっていた、前回までの投稿には、次男のことがほとんど出てこない。長男のことで必死だったから、1歳のころのかわいい次男はもう写真や動画のなかでしか見ることができない。
ごめんよ次男。今日からは、次男のこともたくさん書き残そうと思うよ。
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なお、わたしは生まれてこのかた日記というものを続けられたことは一度もない。はじめようと決意したことは何度もある。
それくらい毎日日記をつける行為と縁遠い自分だけれど、なんとなく今回は毎日続けられるような気がしている。
noteをやめていたこの5か月間で獲得したのは、楽観性と客観性なのであった。たぶん。この状態は長男の言葉を借りると、「なかなかいい」。
この先ふたたび、自分のエゴと不安にがんじがらめになって迷うことがあったら、この空白期間を思い返そうと思う。