「二度あることは三度ある」因果を止める
昭和歌謡が、YouTubeなどのネット情報により、リバイバルしているようですね。
私は、オシャレな在京FMラジオ局の“J-WAVE”リスナーですから、音楽を日頃聞かない人に比べれば、今流行りの音楽を、結構、耳にしている方なんですね。
ちなみに、ラジオって、聴くのがタダなんですよ。当たり前のことのように思いますが、CD購入が普通だった私たち世代にとっては、改めてスゴいことのように思ったりします。
また、ラジオは、多くのリスナーに曲を届けますから、自分好みの曲しか聴かないネットに比べて、耳新しい曲も聴けますからね。
それはそうと、昭和歌謡で、見直されている歌手の一人が、当時から歌唱力が抜群であった「中森明菜」です。
昭和歌謡の曲は、現在の曲に比べて、シンプルなため、耳馴染みがよく、素人でも、口ずさみやすいのです。
今の曲は、とにかく歌詞が長すぎて、かつ、曲調も複雑で、とても素人がまともに歌えるレベルじゃありません。
私には、そんな時代背景もあって、揺り戻し的に、昭和歌謡が見直されているのではないかと感じています(おそらく、一部の真実はあると思いますよ。)。
そんな中森明菜の曲に、「セカンドラブ」という曲があり、そこに「恋も二度目なら、少しは上手に♪」という歌詞があるのです。
私は、まだ若いときに、両親を続けて亡くしており、業務上、講師を行うタイミングなどで、それをネタにし、上記の歌詞をもじって、「喪主も二度目なら、少しは上手に♪」と、軽く歌って聴かせるのです。
受講者のみなさんは、笑って良いのか迷うみたいですが、気にしないでいいんです、多少、頑張って、ネタにしているんですから。
でね。世の中には、「二度あることは三度ある」ということわざがあるんです。これに関しては、本当かどうか、世界中で研究が蓄積されており、どうやら事実(に近い)らしいということが、わかってきています。
私は、若い頃、占い師に、手相を見てもらったことが何度もあるのですが、生命線のつけ根あたりが、大変乱れた線となっており、「若い頃、大変苦労されたでしょう」と、ずいぶん言われたものです。
私は、特に若い頃、本当に葬式だらけの人生で、自分が相続人になったことが、今までに、なんと「8回」もあります。
最後には、自分自身の相続人が誰もいなくなって、生命保険の死亡保険金受取人を(将来、実存するときを見越して)「法定相続人」と書かざるを得ない状況になりました。
ここで、「二度あることは三度ある」に照らしてみると、起こったことは繰り返し起こりやすいの典型例でありますが、私は、決意したのですね。
「親の因果が子にたたり」とは、時代劇などによく出てくるセリフですが、「この悪い因果は、私の前の代で止めるのだ!!」と、私は、強く決意しました。
運命に何も逆らわないと、おそらく私も、すでにあの世とやらに行っていたかもしれない流れなんですが、「悲しい葬儀の歴史は私の前で止めるのだ」と決意してから、私の周りでの葬儀はなくなりました。
幸い、お見合いおばさんの親身の協力もあって、結婚して、家族もでき、子どももできましたから、今や、私の「法定相続人」は実存しているのです。
そうこうするうちに、私の生母や私の父の亡くなった年は超えました。
身体には悪いところが何もない、という状態ではありませんが、コントロール下にあって、一応、世間の荒波を乗り越える毎日です。みなさんも、悪い因果がありそうでしたら、自分の代で絶対止めると決意すべきですね。