#12 動物化するポストモダン
東 浩紀(2001).動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会── 講談社現代新書
本書紹介 from 講談社BOOK倶楽部
気鋭の批評家による画期的な現代日本文化論! オタク系文化のいまの担い手は1980年前後生まれ第三世代。物語消費からデータベース消費へ。「動物化」したオタクが文化状況を劇的に変える。
哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
浅田彰と宮台真司と大塚英志と岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、サブカルチャーとハイカルチャーを行き来するはじめての書として、2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。
また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。
2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。
本書感想
本書は現代文化,ポストモダンについてオタクを切り口に論じた書籍です。本書は中身が濃いので色々な論点を取り出せると思いますが,個人的には「データベース(・モデル)」と「動物(化)」がキーワードだと感じました(し,多くの人はそう読み取るのではないかと思います)。
近代(モダン)の世界像は,ツリー・モデルであると東氏は指摘します。ツリー・モデルとは,表層に小さな物語群があり,それらを通して私たちは深層にある大きな物語を見つける,という考え方です。
他方,ポストモダンの世界像は,データベース・モデルであると指摘されます。データベース・モデルでは,深層には「設定」や「キャラ」などのデータの集積しかなく,それらを結合した小さな物語群が表層にあらわれてくる。そのため,ツリー・モデルとは異なり,物語は私が読み込むものとなる。以上の考え方です。
本書でも取り上げられていた,ガンダムとエヴァンゲリオンの対比がわかりやすいので,それを参考に二つの世界像を紹介します。
ガンダムシリーズには色々な作品があります。『機動戦士ガンダム』から始まり,『Gガンダム』,『ガンダムSEED』などいろんな作品があり,作品ごとにそれぞれ物語(小さな物語)がありますが,それらの作品には共通して「ガンダム世界」なる共有した世界(大きな物語)があります。私たちの見えはこの大きな物語に規定されます。これがツリー・モデルです(ただし,ガンダムの世界はあくまで虚構であることに注意。本来はここも本書における重要な論点で,例としてあげるには不適かもしれませんが,割愛します)。
一方,エヴァンゲリオンにはそのような共有した世界観はなく,キャラクターが麻雀ゲームに登場したり,育成シミュレーションに登場したりと,世界観とは関係なくキャラクターや設定(データベースに保存されたデータ)が単体で登場し,それらを組み合わせて(表層の小さな物語)楽しめるわけです(私が物語を読み込む)。これがデータベース・モデルです。
このような時代認識から様々な論点を導きだしますが,その重要なものの一つが「動物(化)」かなと思います。
動物は,特定の対象をもち,それとの関係で満たされる単純な渇望である欲求しかもちません。一方,人間は欲望を持ちます。欲望とは,欠乏が満たされても消えることがありません。なぜなら,人間は他者の欲望を欲望するからです。たとえば,「恋人が欲しい」と思い実際に恋人ができても,今度はそれを他者に自慢したい(他者に良いな(=他者の欲望)と思われたい)などと思うからです。この間主体的な欲望こそが人間の特徴なわけです。
ですので,動物化とは,間主体的な構造が消えて,欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味します(p.127)。できるだけ他者を間に入れずに,自分の欲求にしたがってのみ満足を得ていく,このような時代のことを東氏は動物の時代と呼びます。ですが,このような動物化は表層の部分でのみ生じており,データベース(深層)の部分では擬似的で形骸化した人間性を維持しているとも指摘されてます。
長くなりました。もっと多様な論点がありますが,私もまだ消化できているわけではありません。私は東氏の新しい方の著書(一般意志2.0とかゲンロンとか)から入って,本書(本書の方が古い)にたどり着いているので,まだ少し読みやすかったのかなと思います。
東氏の著作のつながりが見えてくると面白いのだろうなあと思いました。
(以上はInstagramの再掲)
ページ数から見る著者の力点
本書は3章から構成されていました。各章のページ数は以下の通りです。
第2章「データベース的動物」のページ数が102pで,最多でした(本書の約6割がこの章に割かれている)。第2章は本書の本論であり,第1章と第3章は「ウームアップ」と「クールダウン」のようなものなのでこのページ配分なのかもしれません。
また,東浩紀氏はインタビュー記事で以下のように述べていました。
—— それにしても、この鮮やかな読後感の理由は、理路整然としているからだけではないですよね。
これだけ過去の文脈を知らなきゃいけないことを、こうもスラスラと楽しく読めるってちょっと異常だなっていう。
東 自分で言うのも口幅ったいけど、それは基本的には技術によるものです。単に論理を明快するにするだけでなくて、どういう文体でどういう長さの文章を書くかとか、段落をどういうふうに切ってどういうふうに組み合わせるとか。
ネットのせいでいまの若い読者はわからなくなってきているかもしれないけど、考えたことを考えた順番でだらだらと垂れ流すのが批評ではありません。思考の骨組みを論理として整理したうえで、論理を乗っける感情の流れとか、あとは単純な長さによる体力の問題とか、そういうことを全部考慮して文章に落とし込むのが物書きの仕事です。
—— 「長さによる体力」というと「こんな長い文章読む気しないよ」とかそういうことですか。
東 そうです。
—— 語り下ろしで一度構成してあったものを、最後に書き直したと伺っています。
東 ええ。本書については、当初は書き下ろしの予定で、いちどかなりの部分までできていたんです。けれど、昨年秋に一人ホテルでその原稿に向かい合ってみて、これじゃないなと。そこで「です・ます」を「だ・である」に変えて、すべて書き直すことを決意したんですね。
書くなかでは、1章は何文字、2章は何文字、3章は何文字といちいち計算しながら、同じ重要性をもつものは同じ長さになるように、いろいろ整えています。たとえば、ヴォルテールの読解もカントの読解はだいたい同じような長さになっているはずです。そういうふうに調整してる。そうすると、覿面に読みやすくなるんです。
この「物書きの仕事」を意識しているからこそ,第1章と第3章はほぼ同じページ数,第2章はその3倍という配分なのかなとも感じました。
*目次*
第1章 オタクたちの疑似日本
─ 1 オタク系文化とは何か
─ 2 オタクたちの疑似日本
第2章 データベース的動物
─ 1 オタクとポストモダン
─ 2 物語消費
─ 3 大きな非物語
─ 4 萌え要素
─ 5 データベース消費
─ 6 シミュラークルとデータベース
─ 7 スノビズムと虚構の時代
─ 8 解離的な人間
─ 9 動物の時代
第3章 超平面性と多重人格
─ 1 超平面性と透過性
─ 2 多重人格
── 注・参考文献・参照作品・謝辞