フィンランド旅行記録No.6
日が差した 初春の国の 大通
湿度と空間、そして人との触れ合いでととのい尽くしたあとで、フワフワしたまま街へと駆け出す。
湯上がりのからだを撫でる昼下がりの海風が心地よかった。
港の市場を抜けると、何やら公園のような広場が見える。
その名もエスプラナーディ公園。語感が良くてつい連呼してしまう。
「もしやこれは!噂に聞いていたエスプラナーディ公園ではなかろうか!!」
「いやいや、まさしくここはエスプラナーディ公園に違いない。」
「きっとエスプラナーディ公園なのだろう。」
「ああエスプラナーディ公園。エスプラナーディ公園…!!!」
などとひとりで騒ぎながらとことこ。
ヘルシンキの港側から東西を一直線に繋ぐ公園で、様々なストアが通りに連なっているのもあって結構賑わっていた。
街中に一直線な公園といえばそう、我らが札幌・大通公園も似たようなものである。なんとなく馴染みのある風景に少し得意げに胸を張ってみたものの、いかんせん周辺の環境が違いすぎてすぐ猛獣に睨まれた様はアフリカオオコノハズクの如く。
細身になったまま、なぜか小走りで人混みのなかを駆け抜けるしか術はなかった。
みぎひだり うえしたうしろを キョロキョロと
そんなこんなで此度の最大の目的のひとつ、アアルト建築の代表作ともアカデミア書店にやってきた。
そう、この旅は自らの五感でホンモノを味わうことが大きな目的でもあるのである。決して娯楽のためだけなどではなく、自ら学びに来ているのだ。そうなのだ!!
ひとり舞い上がりつつ、グリッド状に並んだ窓と色が沈着した青銅が美しい外観を舐めるように眺めて、鼻息荒く建物に入る。(興奮しすぎて手摺などを撮り忘れていた…)
中に入ると確実に年を重ねることでその輝きが増していくような、大理石・青銅・真鍮・ガラスが緻密に重なり合うことで演出される気品が漂っていて、開いた口が塞がらない。
これまで雑誌やWebで幾度となく見てきたある意味では見知った建物ではあったが、いざ目の当たりにすると、全く異なる感情が湧き出してくる。
空間を区切る真鍮の枠や各扉に取り付けられた手すり、こだわり抜いた家具の数々、踊り場の広さ、天井の高さと差し込む光。
細部に宿った神に問いかけるように丁寧に彩られた空間に、全くもって抜け目はない。
にもかかわらず、「我こそは名建築なり!!」という圧迫感は少なく、開放的にも感じる。
人が常用的に活用することが目的なだけに、あまりに余裕が少ないと行動が狭まってしまうからなのかもしれない。
そういった見えない部分への配慮が見え隠れするためか、逆に適度な緊張感もあって背筋は伸びた。
見渡すと、買い物を楽しむ街のひとたちが大半で、私のような観光客もチラホラと見かけられる。
市民にとっては書店として、必要なものを必要なタイミングで手に入れるために活用しているようで、自然に溶け込んでいるように思えた。
書店二階には聖地のひとつである「CAFE AALTO」が憩いの場として人々を待ち受ける。大理石と真鍮のバランス感、ゴールデンベルから漏れ出す柔らかな光は天井から差し込む陽光と混ざり合って、独特の温かみを演出していた。
アントチェアの黒が空間を引き締め、落ち着きと騒がしさの合間で人々が気ままに過ごす風景が印象的。ちょっと混んでいたのもありコーヒーはまた別の機会に。
一階にはスターバックスが併設されているのだが、いまだかつて見たことのないレイアウトに目が奪われる。
大通りに向けて開いた開口からは光が入るものの、店内は書店とは異なりどこか暗めな印象。
天井から吊り下げられたAA220とブラックレザーが設えられた66チェアが並ぶ姿は圧巻で、ブルックリンとノルディックを違和感なく混ぜ合わせていた。
ここに座ったらコーヒー一杯で済むのだろうか…。
何時間でも居られそうな気がする。毎日のように足を運んではコーヒーを飲める環境が羨ましくて仕方なかった。
空が描かれた本のような天窓から、優しい光が店内を照らす。少ししか知らないフィンランド語を、辿ってパラパラと立ち読みしてみると、なんとなく文字以上の情報が入ってくる気がしていた。
本が持つ情報はただただ言語的なものだけでなく、それを手にする空間や時間などの3次元的なものも複合的に絡み合っているのだと感じる。
雑誌も同じで、表紙や中身の情報はもちろん肝心だが、それを手にする人がどんな心情で、どんなシチュエーションで、誰と一緒にそれを読むのか、とか。
色んな奥行きを想像することで、新たに見える世界もあるのかもしれないと思った。
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