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摂食障がいの克服314【安心して存在していい場所】

 お仕事から帰りました。
 今は21時半です。

 概ねいい子だと思っている息子が全国を自由に旅している(らしいです)。

 3月にイギリスに一緒にいったことは比較的最近だったのですが、その後の強烈な出来事たちにより今年のこととは思えないような遠い記憶になりつつあります…。

 ロンドンでは、ミュージカル『ああ無情』を観たり、パブに行ったり。
 ロンドンの小さな駅からのホテルまでの道のりとか、拠点としてもいたので外食だけでなく、普通にスーパーに行ったりとか。スコットランドでは街並みにまたロンドンとは違う感動があったと今振り返ります…。

 旅行から戻り1週間ほどで今の企業に応募して、1次試験と面接(面接もほぼ全部英語だった…)で合格して働くことになりました。実際に就職活動を退職してからしたのは3回。3社目でで受かった。働くことになってから実際に働くまでに多少時差があり多少なりとも不安が生まれたのですが、働いてからが更なる不安でした。

 仕事をするということの不安ではなく、この企業にいていいのかという不安。笑顔の裏にいい加減なことがあるとか、私は本当に不誠実だと思うので。

 恐らくですが、中間管理職的な立場である現在のオーナーも、管理職であるという性質上私のオーナーとして振舞いつつ、上の立場の方の誠実さ(もしくは)というところではなかったのかと、そう思います。

 待遇・処遇、そういうところに疑問を感じつつ、責任は果たそうと思っていた際に、自身は守られていなかったのかと疑問に思うこともあったのですが全力でそこは主張もしたので。

 今は、下手をしたら『やりがい』もしくは『生きている意味』ぐらいになっているかもしれない、毎日の仕事が。…体力気力振り絞って…。

 今日もひとつ落ち込んだけれど。もっと実力があったなら、と思います。

 毎日書かせて頂いているように、一旦摂食障がいの波に乗ると、ぐるぐる回るというところではあると思います。私の場合は、本当に深刻だった食べられない(なので食べ過ぎる)からは離れています。私もやはり、知っているので。ご飯が、一口食べられない恐ろしさと気づけば止まらない恐ろしさを。今は仕事だし、あんまりおなかすいていないけどと、普通サイズのおにぎりを食べるので。それはもう、普通と言われている世間一般の行動というより私自身そう思うのでそうしています。けれど、辛い時に食べ過ぎる夜もある。1日で1キロ増える夜もある。

 そして、また次第に落ち着くというか、本当に螺旋階段のように、症状は密接に関わる自分の心のすぐ傍にいるにはいる。

 食べることに、けれども100%自信がないというのも、またこれだけ『克服』と書いていながら真実。
 この量を食べていいのかと、頭で考えるので、両親や妹が食べたいだけ食べ(食べたくないと食べない)ということには嫉妬する。

 何に嫉妬しているのかと考えると。

 言い換えると、愛情というか、”存在してもいい”
 ”その量食べてもいい”という環境がある。
 そういうことを望んでいるとも言えます。私には安心して存在していい場所がない。

 ここまで書いて不安になり、不安だっていうラインを送ったら、本当に意図としないで間違えて息子に送ったらしく。

 『なんだ?』
 『おかーさんって言ったら1番泣く人だろ』

 『一番泣く人間が何涙流してるんだ?』

 と聞かれて笑いました。
 『ごめん、大丈夫』って返信しました。

 大丈夫かー。もういつもいつも大丈夫っていう癖がある。

 無論大丈夫じゃなくても、息子にはそう言い続けるけれど。

 おやすみなさい。


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