見出し画像

摂食障がいの克服424【英語の勉強記録:社会復帰と英検1級への挑戦68】

 こんばんは。お疲れ様です。

 摂食障がいの克服423【素敵なサッカー選手のご紹介】|N A

 今日は素敵なノーターさんのご紹介をさせて頂きました。
 ずっと応援させて頂きたいなって思っております。

 読んでくださりスキを頂いた方に、ありがとうございます!とっても嬉しいです。

 ここからは自分自身の今日の内容になり、後半で自分のあまりよくない心理面や、摂食障害に関して感じたことを書かせて頂いております。

 英語の勉強記録です。
 
 【大問1:語彙問題】
 21/25
 *2014-1で、昨日同様に難しく感じました。100%覚えるとはやはり至難の業で間違えた後に復習している際に頭が締め付けられるように痛みます。
 
 【大問3:長文空所補充】
 3/3
 2/3
 *長文読解で3段落目が難しいと感じることがあって、こういう問題に当たったらまず次の問題を解いたほうがいいかもしれません(本番は時間との闘いで焦ると一気に読めなくなる)。この問題に関しては、3段落目は日本語で読んで納得。
 3/3
 3/3
 3/3
 2/3
 (そして、ここまで解いてそのままパタリと倒れて2時間ほど経過)
 2/3
 3/3
 *ここまで過去に読んだ問題も含んでおります。過去の記憶ではなく、英文を忠実に読んで理解して選択できるか再度勉強しました。
 少しだけ書き手の方が空所に何を補充したいのかという気持ちに寄り添えつつ、1級独特の言い回しに結局どっちだろうと悩みながら読んでいます。

 【コロケーション(自然な言い回し)】
 *AIにもらって45パターン記憶
  知っている単語が多いですが、実際にライティングの際に自然に書けるよう学習しました。これに1時間ぐらい費やしました(テスト5回)。
 *eradicate infectious diseases(感染症を根絶する)
 *curb inflation(インフレを抑制する)
 *develop cutting-edge technology(最先端の技術を発達させる)
 *expand the frontiers of knowledge(知識の最前線を拡大する)等

 【大問3:長文空所補充】
 3/3
 2/3
 2/3
 1/3

 今日は12題長文を読んで11題目までは文脈が分かっても来たと思ったのですが最後に1/3です。

 受けるのやめよう、と本気でよく考えます。
 生物学の問題が出題されることがありますが、毎回0/3~1/3です。

 (その後、1/3の問題は日本語を読み返して1級のトリックをひとつ発見。少し前に自分自身で悩んでいた『1級独特の言い回し』が含まれておりました)

 今後も努力を続けます。英語の勉強と仕事で1日の半分以上をここまで何ヶ月間休みなく過ごしてきて、1日でなくとも半日休んでみたいと思います。家から一歩も出られないのに何時間も勉強して完全に本質を見失った状態であるとも思います。健康になろうと思うのであれば(言い換えると『摂食障害に特化して健康になろうと思うのであれば』)今すぐに英語の勉強をやめるべきだと。(1日休む=1級を受ける気がないと考え、ここまで毎日を過ごしています。)

 そして、気づくんですよね。『応援する』ということは簡単だということに。人が頑張っている姿を見ることは、応援を心からしたくなることでもあり、私も日々様々な方を応援して生きています。クライエントの方にもそういう趣旨でお伝えしていますし、サッカー選手のノーターさんが高い目標に向かって日々努力されていることを毎回のように『応援しています』と私は言ってしまうけれど、応援されるということは、同時に時にここまで辛いんだなと今私自身は感じています。(私自身は鬱気質であり摂食障害の後遺症と共に社会復帰している立場であるので)

 頑張っている当人は(私の場合は)頑張っているを通り越して無理をし続けているので、心も体も安定しません。

 がんばって乗り越えられる壁ならいくらでも努力するけれどそうじゃない出来事がなんて多いんでしょう。

 摂食障害の話になります。

 摂食障害に完治はあるのかというと、私の場合は寛解だと思います。
 抑えつけている我慢が、食欲の我慢に比例するようになり、体型のコントロールのみが自分にも許される自由で、最大限の無理を強いるようになる、痩せが自分に対する唯一の自己コントロールであり且つ、ご褒美というか。
 同時に抑えつけているのは、本来ならばもっとあっていい体重の抑圧であり、感情、心、しかも蓄積されたところであるため、常に頭には思い切り食べてもみたいという思考がぬぐい切れず、どうしようもなく辛い時、きついときに過食となって現れる。

 過食症=摂食障害であり、普段から自由に食べていく際には起こり得ないのだとも思います。普段から何らかの基準で体型や体重を厳しく自己管理して、それに見合った世間の価値観で食事をする。

 私が拒食症から回復する中で一番救われたことばは、『たくさん食べて』だった。毎日毎日、仕事が終わればそう言ってもらったことで救われました。

 間違っても、『食べ過ぎだけは注意』と言われたら、もうどうやって生きていいのか治していいのか分からなくなると思います。

 昨日は数ヶ月抑圧した我慢(私の場合は1日の半分以上を勉強と仕事をしたこと)が明日は休みなんだからと、過食でした。ぎりぎりあり得る量でもありますが、その際は『ご褒美』過食がほしかった。

 過食は自分への罰であり、ご褒美であり、矛盾だらけの摂食障害になるときっと全部わかるんですけれど、なかなか認知度は低いです。

 ご褒美過食ではあっても(つまり、本来食べたい量が、このボリュームなんです、それを何らかの形で抑えている。24時間、毎日)自分を罰する行動でもあるという相反した行動が、過食なんだなと改めて過食の根深いところにある抑圧された心、食べる自由度の低さ、自己肯定感の低さからの他人のジャッジにのみよって自分の体重まで決めなければならない苦しさ、等に気づきました。

 50キロの私には過食が許されない。
 50キロの私にはもう体重増加が許されない。
 なぜなら食べ過ぎに注意と言われる。

 そうなるとまた何だか無理を自分に強いるでしょう。

 英語も今後も明日起きた瞬間から勉強をするけれど、過食症のことにも(拒食症のことでも)経験から何かできたらいいなと思った今日でした。それこそ摂食障害に苦しむ方の気持ちがとてもわかるし、私自身が昨日の過食のカロリーは500キロカロリーを超えています。

 私は、『お食事』だと言いたいです。
 けれどジャッジによっては食べ過ぎになるのであれば、私は世間の価値観に合わせるので。けれど、何キロでもいいし、それが『食べるな』『食べ過ぎるな』と言われず、今まで苦しかったね、食べていいよね、っていう優しい気持ちがあれば過食や過食嘔吐は少なくなるとも思います。

 読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集