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摂食障がいの克服298【あなたには帰る家がある:私には帰る家がない】

 こんにちは。
 昨夜の報告を受けて息子も充分に悲しみながら、いつか自分の母親である(つまり私)もそうなると理解して言った。
 『形あるもの、いつかそうなる』大人になったものです。あと少し見守ればきっともう大丈夫だと思います。

 私には帰る家がありません。厳密に言うと、『おかえり』と言われる場所です。本当にないのではなく、人はいる。言わないと決めている人の元、ありません。

 このところ書いているように、息子のことをお世話したという両親は、私の息子や私の妹には、『ここが帰る家だ』そう提供します。

 しかし、私には帰ることを許しません。

 私は、本当に両親の家に頼ろうとは片時も思っていない。けれど、『いつでも帰ってきてもいい』そういうことばはほしかったので。

 冗談めかせていうのです。『妹も漸く家をでるし(18で家を出た私と違ってずっと実家暮らし)、その部屋を使わせてもらおうかなー(めちゃくちゃ明るい口調で言ってみる)』

 『無理!!!』

 即座に言う母親。

 その理由は、私があの、あり得ない労働環境で朝早くから夜遅くまで働き、ふらふらでほぼ朝昼食べられず、夜帰り道コンビニ(もっと品質の落ちる100均以下のお店)でおにぎり買って食べることが止まらなくなって、苦しくて苦しくて息子ともども少し実家にお世話になりたい、そう思ったら実家のお米のお釜を抱えて食べて、翌日も早朝から仕事で、父親に”人のせいにするな!!"(食べすぎたこと)を吐き捨てるように何度も言われて、母親に泣きながら”もう無理だ”と言ってもとりあってもらえなくて、その家を私だけ出ることになったこと。

 ”ね?だから私とあなた(私)が一緒に暮らすことはあの時に無理って証明されたでしょ?”と今も言われる。

 本格的な摂食障がいではない、”プレ”の時期の一番深刻で、いわば一番苦しかったあの時のそのせいで。私は一生実家や、両親という人には”他人”になったのです。

 プレの時期を経て、本格的摂食障がいになったとき、私はそういう血縁関係に愛を求めなかった。依存対象が体重や、拒食や過食に移行したのです。

 恐らくはもう、物質や行動に依存しなければ抱えきれなかった心の爆発だと思います。一言で言えば孤独とかにはなると思う。

 とあるきっかけで拒食になりましたが、もうそのまま死んでもよかったと思うけど、人は生命力があるので、危機感を覚えて、あり得ないほどのむくみも経験し、もう一度体重に向き合った(拒食からの回復時、一度非常にむくむ。恐らく。私はそうだった)

 そのむくみも同僚がみて心を傷めるぐらいのものだった。すごかったです。37キロがむくみだけで一瞬41キロになりました。その後39キロに戻りましたが。

 昨日お別れをした方も亡くなる前にあり得ないぐらいむくんだそう。
 どれだけ辛かっただろう。
 そう思います。経験した立場から。
 そして、両親や妹はそのむくみを心底心配し、私には無関心だった。

 本格的摂食障がいの後にあり得ない出来事があり(固定記事にさせて頂いた内容です)、私は母や妹に頼った。

 母や妹は自分たち自身の人生が大事なので私を切り離しました。

 もう、どうなっても知らないって。
 
 私は思うんです。そのころの私の状況(息子と過ごしたいのに、いられなくて、母にはたびたび言われた。『(息子は)おばあちゃんのお料理が極上だっていうのよ~』

 私がしたかったことを母が全部もっていった。
 妹もまた実家にいるので、私の息子との時間を多々持っている。

 私と言えば過酷な労働状況下でぼろぼろになって頼れば吐き捨てられひとりになり、お金だけを納めて。。。もう死んだほうがずっとましなのに、働いたら拒食症になるし、過食症になるし。

 嘘でもいい。

 あれからもう月日が経った。
 冗談でもいい。

 ”妹の部屋をじゃあ、使わせてもらおうかな”

 そう言ったら、『いいよ』って言ってほしかった。
 無理!!!(一生私とは無理。母も妹も無理だそうです)

 父に言えば、じゃあ、それを解説するって。

 解説とは、私がいかに最低かを解説するということで。
 
 人が人として育っていく過程において、手を抜くと後後本当に大変です。

 両親はとても幸せだそうです。
 ふたりの子に恵まれ孫に恵まれ、兄弟と旅行を楽しむ。

 そして、私を除外する強さを持っている。

 私は今もひとりで、摂食障がいなどに立ち向かう。

 ここで書いたのが恐らく1割、2割で、それ以上に色々あったので、愛を追及するようにもなっているし、常に不安感が伴うようにもなっているし、もっというと、今すぐもう消えたいという思いにもなる。

 誰も困らないから。私が今消えても。
 後は証券口座などの位置を明確に妹か息子に伝えれば概ね、思い残すことはありません。

 子供は、親が自身の人生を満足するために存在するわけではないので。
 子供という立場は傷ついていいと思います。いくつであれ。

 小さい時に傷ついたと言えなかった数々の出来事(私は小さいころから家事なども一通りしてきたので。親が働いていたため。いじめなども、親には言えなかったし。壮絶でしたけどね。。)も、あったからこそ、蓄積されて無理が無理を呼んだ。

 もう十分に生きたし、もう充分に傷ついた。
 主に、近い人たちから。

 生きている間にひとつされたいこと。

 『ここに帰ってきてもいいんだよ』とか、妹におはようって言われるとか、そんなことでよかったです。一生ないらしく、次妹と会う時はまた、だれかもしくは自分の葬儀です。妹はそれでいいから。

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