「50円と友情と弱い心」昭和少年
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ195枚目
転校生
ある時、僕の近所に5階建てのビルが建った。
そこに僕と同い年のK君の一家が越してきた。
ビルは一階と二階がK君の父親の経営する〇〇アイスという冷菓の会社で、一番上の階にK君が一人で住んでいた。当時の田舎町ではちょっと珍しい程に贅沢な部屋だった。
K君は知り合うとすぐに分かったのだが、我儘なところがあった。甘やかされて育ったのが誰の目にも見えた。怒りっぽくクラスメイトと掴みあいになることもあった。結果、クラスでも何となく敬遠されるようになっていた。
けれど、僕とK君の間には特段問題も起きず、登下校も一緒で、K君の部屋にもよく遊びに行った。最上階の彼の部屋は、ちょっと日活映画にでも出てきそうな現代的な部屋で、僕などにとっては全く羨やむばかりの暮らし方だった。
そんなある日・・・
いつもの様にK君の部屋で遊んでいて、僕らはつまらないことで喧嘩をした。僕は「帰る!」と言って部屋を出た。後ろでK君も怒りに任せて僕に何か大声で叫んでいた。
その夜、僕は凹んだ。
たかが子供同士のよくある喧嘩と笑うなかれ、子供の世界では大きな事だ。
原因は間違いなくK君の我儘、身勝手だった。だから、自分は絶対に間違っていない、と僕は思っていたが、翌日学校で顔を合わせる事を考えるとやはり憂鬱だった。
『あ〜あ、学校へ行きたくないな〜。明日教室で会っても僕は絶対に自分からは謝らないぞ、、、、間違っているのはK君なのだから、、、。』
と思い、、、
『もしかしてK君がいつもの通学路で待ち伏せしてたりして、、、あいつならやりかねないなぁ、乱暴なとこあるから、、朝が来なきゃいいな〜、、、』
と心は千々に乱れた。
だが、運命の朝は否応もなくやって来る・・・
僕は明くる朝、暗い気分で家を出るといつもの通学路を歩いた。
『絶対に謝らない、俺は絶対に謝らないぞ、、、あんなやつ知るもんか!』
何度もそう自分に言い聞かせた。
僕はそうとうドキドキしていた。K君と顔を合わせるのを恐れてもいた。何しろ喧嘩になったら十中八九僕が負ける。
そうして、最悪の事態が訪れた。
最初の角を曲がった公衆電話の陰に案の定K君が待ち伏せしていたのだ。
僕は、引き返す事も出来ないので(だってそりゃあ幾ら何でもカッコ悪い)ただ知らん顔で公衆電話の前を通り過ぎようとした。
『無視だ、無視、こんな奴!』
と思った。
だが、K君は素早く公衆電話の影から出ると、僕の前に立ち塞がった。
『最悪! これは朝っぱらから掴み合いや!』
だが、そう思った刹那・・・
何と目の前でK君は僕の予想を遥かに超える行動をとった。
K君は僕の前に立つとこう言った。
「昨日はスマン! オレが悪かった。これで勘弁してくれや!」
そう言ってK君は僕の手に自分の手に握っていた50円硬貨を握らせた。
僕はあまりの事に何をどう言っていいのか分からなかった。
K君は何とお金で解決しようとしたのだ。
これを買収というべきか、懐柔というべきか・・・
当たり前のことだが、僕らはどんなに子供同士で揉めても、お金で方を付けるなんてことはなかった。つまりお金で懐柔した事もされたことのないのだ。
「これまでとおんなじ様に付き合ってくれるよな、ゆう君」
K君はそんなことを言った。
それは、今までのK君からは全く想像ができない下からの物言いだった。
僕は喧嘩にならなかったことに安堵し、一方で思いがけぬ事態に狼狽し、自分が何とK君に言ったのか、全く覚えていない。昨日の夜、K君も僕と同じように不安で苦しい夜を過ごしたのだと僕は思ったが、上手く言葉に出来なかった。僕は愚かにもただ何か曖昧な返事をしていつもの様に二人で学校に向かって歩いた。
結局、僕とK君とはこの朝以降は前のように付き合えなくなった。
僕は部屋にも遊びに行かなくなった。
それから暫くしてK君は再び引っ越して行った。
五十円硬貨
五十円硬貨が初めて出たのが昭和30年。ニッケル硬貨だ。
この頃の僕らにとって50円はまだまだ大金だった。
何しろ毎日の小遣いが5円、10円の時代だ。小遣いなんて貰えない子供だっていたのだ。駄菓子屋には5円、10円の駄菓子がずらりと並んでいた時代だ。
五十円硬貨なんて見たことがなかった僕は結局の所見事に懐柔されてしまったのだ(笑)
しかし、この懐柔策はとどのつまり僕にもK君にも何の役にも立たず、二人共一番大事なものを損なってしまった。心の弱かった僕とK君は事態にちゃんと向き合う事をせず、本当の和解を遠ざけてしまったのだった。
僕はずっと後で思った。
『K君は、親からずっとあんな風に育てられてきた・・・
忙しい親は何かあるときっとK君にすぐに謝り、お金を渡し、それで方をつけてきた・・・だからK君にとってはあれが一番慣れ親しんだ解決法だったのだ・・・。』
と。