昭和の子供たちの禁じられた遊び
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ176枚目
昭和の子供達は今ではちょっと考えられないような危険な遊びをしていた。
2B弾や癇癪玉がその類だ。
どんな物かはあえて説明するまでもないが、元々それなりの威力があり、加えて劣悪な商品のため火薬の量などにもバラツキがあることから些か危険な玩具だった。実際に事故も起きている(ポケットの中で摩擦で爆発し、火傷や怪我をしたなど)。また、蛙の尻に2B弾を突っ込んで爆発させて喜ぶような残虐な遊びをする子供らもいた。それが特に珍しくもない時代だった。かくいう僕もよく2B弾で遊んでいたが、流石に蛙を爆死させたりはしなかった。幸いなことに。
ともあれ、その後日本中のPTAなどから撲滅運動が起き、2B弾は次第に子供の遊びから姿を消していった。
癇癪玉*も同様だった。
ちなみに、この「かんしゃく玉」と言うネーミングは誰が名付けたのだろう? 言い得て妙というか、中々秀逸なネーミングかと思う。
僕も近所の仲間同士でよく地面にぶつけ合って遊んだものだ。
調子に乗って大人に同じ事をすると、酷く叱られたのを覚えている(笑)
戦後暫くの間は、こういった危険な玩具が確かに多く、それが駄菓子屋にごく普通に並んでいたものだった。昭和というのはある意味で乱暴な時代だったのだ。
ピークは昭和35年位までかと思う。